Apollo96

地球の月から文化共有。音楽、映画、文学、旅、幅広い分野を紹介します。時々創作活動も。

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King Crimson来日レポ12/09/2018&12/10/2018@グランキューブ大阪

moon-milk-overtrip.hatenablog.com

 

人がロックやポップスなどのポピュラー音楽のライブやコンサートを見に行く理由とは何だろうか。

おそらく一番多い理由は「写真や映像の中の人間が目の前で見れるから」「生で演奏が聞けるから」という「本物」志向に基づいた答えだろう。雲の上の存在だと思っていた人が目の前に現れる。それだけでも我を忘れるぐらいに興奮状態になる人は沢山いる。その「現前性」はただそれだけで効力を発揮するのだ。

次に多いであろう理由は「彼ら/彼女らはライブバンドだから」「演奏がライブだと凄いから」などという、音楽体験に対する反応だ。「ライブバンド」が何なのかという問いには色々な意見があるだろうが、大きくまとめると2つ。「即興」か「扇動」か。この2つを巧みに行うバンドはライブバンドとして高い評価を得る。

 

クリムゾンの場合は主に後者の「即興」による評価で人々を会場にいざない、半世紀という年月を生き延びてきた。スタジオアルバムはあくまでも記念撮影や設計図に過ぎないと言わんばかりのライブの実態は、多くのブートとFripp御大による大量のアーカイブ公開によって明らかにされてきた。彼らが始終自らをライブバンドと定義付けてきたのは大体のファンが同意するところであろう。

 

さて、今のクリムゾンはどういう存在なのだろうか。オールタイムベストの選曲とトリプルドラムという編成は、かつてのような即興を行う場を失った。そして「現前性」に関しても、来年50周年を迎える彼らを生で見て、今更そこまでの興奮を覚えるファンもいないだろう。

今のクリムゾンは「現前性」を音楽体験に接近させた上で1つのパッケージ作品を提供しているバンドであると自分は考える。3人のドラマーが直接空気を震わせることによる迫力は、その場でしか体感できないものであり、即興を切り捨ててでもライブでしか得られない経験を創出している。

(その点では映画館の最近のトレンドである「爆音上映」が1番近いかもしれない。「何故人はわざわざ映画館に高い金を払って見に行くのか」という問題に向き合って出した1つの回答である)

そして所々に差し挟まれる即興によって、かつての伝説化されたバンドの亡霊が顔をのぞかせ、そのパッケージ作品にライブたる必然性を更に加味する。

 

このレポが、何故クリムゾンが同年代の同窓会バンドと異なる次元で邁進し続けるのかを、部分的にでも理解する一助となれば幸いである。

 

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3年ぶりの来日は、前回に増して厳戒態勢でのおもてなしで迎えられた。

前回の本編後とアンコール後との退場までの間の撮影可能時間は、アンコールの曲も撮影する違反者の続出で制限され、撮影はアンコール後のみとなった。また、ホール内でのスマートフォンの操作も禁止と徹底され、誘導スタッフの顔や口調はいつとなく厳しいものとなり、場内ではロックのライブだというのに非常にピリピリした空気が漂っていた。

定刻スタートということも場内スタッフにはお達しが来ており、エントランスで団欒してる客も10分前には追い立てられるように座席に座らさせられる。3分前にはFrippによる「撮影禁止、Tonyがカメラ取り出したらいいよ。20分の休憩がある。さあパーティーしよーぜ。いぇーい」というアナウンスが流れ、終わりと同時に暗転する。

 

そこから始まるのは地獄である。

 

セットリスト

12/09

第一部

Larks' Tongues in Aspic I

Neurotica

Suitable Grounds for the Blues

Lizard

Discipline

Indiscipline

Epitaph

Larks' Tongues in Aspic IV

Islands

 

第二部

Devil Dogs of Tessellation Row

The ConstruKction of Light

Peace: An End

Easy Money

Moonchild

The Court of the Crimson King

Radical Action III

Meltdown

Radical Action II

Larks' Tongues in Aspic V(Level Five)

 

アンコール

Starless

 

12/10

第一部

Hell Hounds of Krim

Discipline

Indiscipline

Cirkus

Moonchild

The Court of the Crimson King

Fallen Angel

Larks' Tongues in Aspic II

Cadence and Cascade

Radical Action III

Meltdown

Radical Action II

Larks' Tongues in Aspic V(Level Five)

 

第二部

Devil Dogs of Tessellation Row

Neurotica

The ConstruKction of Light

One More Red Nightmare

Red

Epitaph

Easy Money

Starless

 

アンコール

21st Century Schizoid Man

 

両日とも、そして第一部と第二部ともどもドラムの独奏、あるいは三重奏で3時間に渡る長丁場のライブは幕を上げた。「Larks' Tongues in Aspic I」冒頭のガムラン音楽のように金物が絡み合う精密さ、「Hell Hounds of Krim」の全員片手にドラムスティックを2本ずつ挟んでタムを叩く力強さ、「Devil Dogs of Tessellation Row」のドラムソロとしては比較的分かりやすいキャッチーさ。いずれにしても野獣のように吠える現行の真の顔を見せるには至らず、場内の張り詰めた空気に気圧されたオーディエンスを懐柔するかのように、紳士的な自己紹介を始める。

とは言え、3人のドラマーがいるという事実を会場が受け止めた途端、すぐに彼らは牙を剝く。Frippのギターのフェイドインから一気に不穏な空気が醸成され、ヘヴィーな主題のユニゾンになだれ込む「Larks' Tongues in Aspic I」、Steve Reichなどのミニマルミュージックをロック的解釈で再構築したポリリズムナンバー「Discipline」「The ConstruKction of Light」、原曲の爆発力をジャジーなイントロでより強調させた「Neurotica」と、誰か1人でも気を抜いたら即崩壊の音の集合体をオーディエンスに耳に突きつけ、3方向からの打音でスピーカーを介さずに体を内側から直接揺さぶるのだ。

開幕早々脳内で処理しきれない量の情報の洪水に襲われたオーディエンスは、この感覚こそがまさに現行クリムゾンでしか味わえない音楽体験であり、それは会場で直に音に揺れ動かされないと理解できないものであるということを感じ取る。極めて即物的であるが、近年のネット文化においてライブ会場に行かないと分からない音楽を生み出したということは彼らの最大にして最高のアイデンティティーである。

「Discipline」ではドラムフレーズを三分割して重ねがけすることでSteve Reichなどがガムランなどの民族音楽のフィールドワークで得たポリリズム的音楽により一層の回帰を果たし、「Lizard」ではGavin HarrisonとJeremy Stacy(全ての音量がでかくてまるでボンゾのよう)の怒涛のドラム捌きが頭を吹き飛ばす。これらはその場にいなくても楽しむことが出来るが、会場で体全体で音を感じ取ることで得られる高揚感は段違いである。「クリムゾンとはライブバンドである」。即興要素が少なくなってもそうだと言い切れる理由がここにある。

とは言いつつも、充実面はその生音での迫力だけではない。現編成での新曲「Radical Action I」は前回の来日以降更なる編曲が施され、よりダイナミックに、よりスリリング(高速ユニゾンはまるで往年のRushのようである)に、そしてよりヘヴィーに進化している。「Indiscipline」でのドラム回しの曲芸は、おふざけのようでいて確かなテクニックをエンターテイメントに昇華させたものであるし、「Larks' Tongues in Aspic IV」のFrippの高速シーケンスパートにはただ圧倒されるばかりである。

また、「Islands」の孤独に響き渡るピアノや流麗たるサックスソロとその後ろで海の広大さを示すかのように響き渡るメロトロンのストリング音。「Easy Money」の中間パートから歌に戻る直前のギターとスキャットの大立ち回り。定番のハイライトもより精度を上げて再現され、トリプルドラムという目玉にもたれかかったわけではない真剣勝負の演奏を聴くことが出来た(そういう意味で、「Indscipline」「Starless」の爆発パートで妙にドラムが静かなのは実に面白い。意識して聞くと「ここぞ」という山場でドラムがシンプルであったり、ジャズの香り漂うナンバーで粗野なドラムが炸裂するパターンが結構あるように思える)。

とは言え、完全無欠なパフォーマンスだったわけではない。「The ConstruKction of Light」ではギターが鳴らなかったがため、他のパートも相次ぐ拍子の変化にミスが多発し、「21st Century Schizoid Man」ではMelのソロが長すぎたのか、途中でFrippが爆音でソロを開始し、強引に引き継ぎを行った(あと、 Jeremyのリードパートが必死にタムを叩いていて到底「伴奏」と呼べるものではなかった)。「なまもの」であるが故のそういったアクシデントや緊張感も感じ取れる。スタジオアルバムのような完全なパッケージ作品ではないため、オーディエンスは複数の観点から楽しむことが出来る。

 

曲目的にはオールタイムベストで、特に「Lizard」「Red」優遇の曲目にはFrippの思い入れもあるのだろう。だが決して懐古主義に陥ることのない、非常に濃密な体験を提供する素晴らしい演奏であった。老化をものともしない演奏には来年50周年という肩書きが非現実に思えるし、彼らに「引退」という文字はまだ全く関係ないようである。あわよくば次の来日も、という願望も決して無茶ではないことは、実際にライブで彼らを見た人なら同意してくれるであろう。

 

改めて考えよう。「何故人々はコンサートやライブに行くのか」

クリムゾンの場合、そこには多くの楽しみが詰め込まれている。

そしてそれを同時代に体感することが出来た人々は幸せである。

 


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King Crimson来日レポ12/09/2018@グランキューブ大阪【ロイヤルパッケージ編】

moon-milk-overtrip.hatenablog.com

 

※雑な記憶と貧相な英語リスニング能力と個人的解釈のフィルターがかかっています

 

10分前に着くと既に40人ほどの列。サイン入りの限定セットが各日45個販売とのお達しだったので若干冷やっとしながらも、メールの印刷(最悪なくても画面提示で済む)とチケットと写真付きの身分証明書を見せて入場。

と入って早々、その限定セットが19個用意された時点でバンドがリハに入ってサインの書き込みが一時中断されたというアナウンスが伝えられる。大丈夫かなと不安になりつつリストバンドに後の購入の際の整理番号を書き込んでもらう(これも整列順だった)。

そんなギリギリに用意しなくてもいいんじゃないのかと思いもしたが、ライブ直前ベテランの8人組を1室に詰め込んでサインを書かせるという所業はやはり簡単ではないのだろうとスタッフたちの苦労に想いを馳せ、リハが終わるまでの入場待ち。割と後ろに並んでしまったため、音漏れは一切聞こえない位置に。

入場し、最前部分の座席に誘導されて一同が着席するとFrippの入場。悠然と歩く様はまさしく「紳士」な立ち振舞い(後方のスタッフにも着席を促していた)であり、ロックスター特有の過剰な愛嬌の振りまきは一切なし。拍手が終わってしばらくしても喋り出さず、場の空気に負けた一部が笑ってもニコリともせず、ヒトラーの演説手法そのままの出だしから来場したことの感謝と我々バンドとクルー一同ははるばる遠くから来たということを話し出す。文の途中でも意味が一区切りしたら一旦黙って通訳に訳させ、ゆっくり穏やかに喋る様は我々の知るフリップ像そのもの(そう言えば内容が抽象的な分、喋るのめちゃくちゃ遅いんだよね)

そんな我々の苦労や努力とは裏腹にという嫌味でも言いたかったのか、東京初日公演では15列目の客がこっそり持ち込んだ酒を取り出して酒盛りを始め、隣の客はさぞ不快な思いをしただろうと俺は見ているぞアピールを突如発揮。客もバンドと同様に真摯たる態度でライブに挑むべきであるということを示唆したかったのだろうか、確かに穏やかな口調で言われると一周回って恫喝に聞こえました。先生。

そこから、「ライブの演奏は確かにその時に鳴るものだが、その音楽自体は時間に縛られない永遠なものなのだ」という話をし、「ライブでは時たま素晴らしいことが起きる」と音楽がもたらす効力についての持論を展開。「音楽は世界を変えるか?」という永遠の議題に対して、「確かに変える」と断言。というのも、(政体がひっくり返るだとかそういう外的世界での変革ではなく)「頭が吹き飛ぶ」感覚を覚えるような内的世界での変革ならいくらでも起こしてきたからだ。本当に頭が吹き飛ぶことはないが、本人にとってはその音楽経験で世界は変わっているのだ。

その一方で最近はそういった世界を変える音楽がなくなっていると音楽界の現状を嘆き、だけれども「我々は世界を変えます」と自分たちにはその能力があるという宣言をし、「バンドとオーディエンスが一丸となれば素晴らしいことが起きるだろう」と彼の演説は締めくくられた。

ところで機械類の操作禁止の厳命が出されていながらも途中で携帯のアラームが鳴るというハプニングが発生した時、彼は怒るでもなく話を中断してただ発生源を見つめ続けるという1番恐ろしい対応を取っていた。その後、そのことには一切触れずに話を続けるところも含めてやはり「紳士」であった。

最後に「写真撮りたいでしょう?私も撮るからあなたたちも撮りなさい」とカメラを取り出し、お互いに撮影会。今日の客は先日より素晴らしいだとかおべっかを振りまきつつも「写真チェックしないと本当か分からないが」と一瞬出した飴をすぐに引っ込めるあたり、徹頭徹尾「あのFripp」であった。

 


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そんなややピリッとした空気を和らげるようにマネージャーのDavid Singletonが登場。早速最前列の客の持っていた限定セットをいきなり取り上げ、宣伝を開始(笑)。

その後、何でも質問してくださいと大らかな姿勢を見せる彼、Frippと態度が全く真逆である。「その前に」と先回りして2つの聞かれがちの質問を回答。「スタジオアルバムは作らないのか?ー作る予定はない。ただし作らない予定もない」「日本はまた来るのか?ー分からないが3年周期で来てるから来るなら2021年かな」

それから本格的に質疑応答がスタート(覚えきれてないので取りこぼしがあったら是非教えて欲しいです)。

Q「Keith Tippettが病気で治療費のチャリティーとかやってましたが今どんな感じですか」

A「最近連絡がなくて分からないんだ。ごめんね(調べたところ、どうやら回復していてライブやるみたいです)」

Q「John WettonとMel CollinsとGavin HarrisonとJakko JakszykとでCrimson DNAというバンドを組む話があったが、レコーディングなど音源は残っていないのか?」

A「ない。オフィスでミーティングをして宮殿やRedの曲をやるという話をしたが、当時ライブからの引退を表明していたFrippが途中から興味を示して現行のKing Crimsonに繋がってしまったので、そのメンツで実際に演奏するということはなかった」

Q「中国でライブをしないのか?」

A「今度アジアツアーをするなら候補として考えている」

Q「どうやってセットリストを決めているのか」

A「自分にはちょっと分からないな...友達に聞いてみるとしよう」

 

と、ここで気づかれないうちにこっそりと客席に座っていたBill Rieflinが登場。

A「色んな方法があるんだ。Frippが決めたり、他のメンバーの提案があったり。と言っても彼は民主制を装いながらも聞く耳持たない時もあるんだけど(笑)」

そこから追加して

「で、我々がそういうことだとか機材だとか云々かんぬんをやっているのは、最高の音楽にするため。人生と同じで素晴らしい場所にたどり着くための道というのは、率直(straightforward)なものなんだ(馬の蹄のものまねをして道を邁進する表現を行う)。普段答えないことを答えてみたよ(セットリストの質問は別日に既に出ていたことを踏まえてか)」

Q「70年代のレパートリーが増えていくことはありますか」

A「僕がバイオリンを覚え直したらね(笑)19歳の時にはやってたけど19歳の時に売り払っちゃった。チェロ奏者(=Tony Levin)なら今もバンドにいるけど」

Q「ドラムからキーボードに切り替えるのに苦労しませんでしたか?(あなたがハンサムでクールなのは同じですがという前置きにBill「ダー」とニヤッと反応)」

A「(ここら辺正直自分の理解が怪しい、というか綺麗な答えになってない)2つ答え方があるね。1つ目だが、そうでもない。ドラムはよりフィジカル(ドラムを叩くジェスチャー)だが、キーボードはそれほどでもない。まあミスは多いんだけど。2つ目だが、それぞれやり方が異なる(態度や方法が異なるということか?)からあんまり関係ない」

「ところで、鍵盤を弾いてる時の僕の顔が怖いとよく言われるんだけど、あれは僕がリラックスしてる時の顔なんだ。諺に「仏頂面ほど心穏やか」(何と言ってのか分からなかった...)とあるけど、まさにそんな感じだね」

Q「今まで様々なバンドを渡り歩いてきた中でクリムゾンってどうですか」

A「まずクリムゾンでの自分の役割は「正しい時に正しい行動をする」というものだ。クリムゾンというバンドは個人の欲望よりも全体の音楽を優先する。と言ってもFrippはよくWhat to doを指図するけど、実際には本人たちの自由の余地は多いよ。自分は「正しい時に正しい行動をする」というやり方が性に合っているけど」

Q「3人のドラマーでどのようにフレーズを振り分けてるのですか」

A「(ここら辺殆ど覚えてない)3人だけで合わせたり色々とやって決めてる」

ここで時間が来たので最後に記念撮影をして解散。Bill Rieflinはクールなイケメンキャラで、発言は謙虚ながらもハンサムだと言われても嫌味っぽくなく素直に受け止める辺り、他のクリムゾンファミリーとはだいぶ毛色が違いました。

 

そして、限定グッズは無事に買えました!!

 


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ライブレポに関してはまた後日...

The 1975 の『A Brief Inquiry into Online Relationships』を徹底調査

今からThe 1975 の「A Brief Inquiry into Online Relationships(ネット上の人間関係についての簡単な調査)」を再生する。一曲ごとに、聴きながら感想を書いていく。初めて聴いた瞬間の感想は二度目聴いた時にもあるとは限らないし、初めて聴いた時の感想はなんとなく素敵だからである。

で、しっかり全部を書き終えたり書き加えたりしながら、四周聴いていたら朝でございます。何度聴いても、1日ではザッとしか感想は書けないものですね。

 

このアルバムには前もって予想記事も出してたので、どのくらい当たったかなと気になる人は読んでみてね。

moon-milk-overtrip.hatenablog.com

 

 

The 1975

目を見開くよう。新しい部屋に引きずり込まれる気持ち。激情と静寂のギャップを強く魅せる、Bon Iver の22, A Million のあれのオマージュだ。そう、ILIWYS以降で一番衝撃だったアルバムの一つだ。わかる。

常にこの曲が、世界を作る。頭の中の準備はすぐに整う。

(ピッチフォークでのインタビューによれば、これがアルバムの最後の最後に完成したパートだそう。どうやら元々はスティーブライヒ譲りのイントロを作っていたが、いくらやっても完成せず、結局しゃあないからピアノで、なんか良い感じになるかもね、とできたものだそう。仕上がって見たらバリええ感じだとご満悦の様子。)

Give Youself A Try

珍しく今回はアルバム全編の長さが一時間を超えていない、曲数が多いは相変わらずだけれど。確かこの曲を先行シングルとして公開する際のラジオで、「二枚組?論外、論外(笑)。俺プログレ嫌いなんだよね(テヘヘ)」とのたまっていたマッティを思い出すね。彼でも、ジェネシスは好きって言ってた覚えあるよ。

何度聴いてもこの曲は素敵。素晴らしい、Joy Division へのオマージュでもある。しかし、それを抜きにすれば2000年代の音楽への花束、粋だ。

ディスオーダーがオープナーだったことを踏まえて、この曲疾走感のある曲が実質一曲目なのは、アツい。燃える。エモい。

TOOTIMETOOTIMETOOTIME

ポップで、原付二人乗りで旅に出たくなる曲で(原付信者の僕の性癖、免許は持ってないから僕は後ろ)、元気もたくさん出てくる。今日も風邪を引いて寝込んでいたけど頑張って聴けるし少なくとも今はしんどくない。

最近、今となってはアダム・ハーンのギターはこのバンドの音楽から聞こえるものの中で唯一ダサいものになってしまったなと思う。そもそもマッティがダサいロックスターの象徴のようであったのに、もはやダサさ、ナヨっちい感じは、少なくとも世間的な印象には薄い。でも、マッティもカッコいいけど、このバンドで一番カッコいいのは、ジョージだなって思う。マッティと一緒に唯一曲を書いているのはドラマーの彼、黙ってるけど、顔もかっこいいしタッパもあるし、推せるよ。ピコピコ電子音作ってるのは基本的に彼よ。

How To Draw / Petrichor

既出のアンビエントトラックで、元々はもっとピアノピアノしていた。

www.youtube.com

今作のテーマにもなっているであろう、当たった音、とでも言うべきだろうか、でリズムを構成したことで、新鮮。ラッパもグー、味をしめたな、僕もこれはずっとやってくれと思う。このトラック、ミニマルなアプローチが前作より鋭くなっていることがわかる。良い。元バージョンまだダウンロードできるかな、以下のリンクから、押してみて。

 

ここからがPetrichorで、早くなる。ペトリコールとはどういう意味か、雨の後の地面の匂いのことだ。こういう単語を、曲の題に使うバンドなのだ。間違いのあるはずがなかろう。

RadioheadがKid Aでエレクトロニカを取り入れたのはエイフェックスツインなどの影響だった。The 1975の場合こういうのは大概ジョージダニエルの上手の横好きで、こう言うのが堂々とアルバムでできるようになり、またそれが評価されるバンドになったのが素敵だ。ちな、前作の表題曲もエレクトロニカだったのに、特に誰も騒いでおらなかったから新鮮なり。

もう、売れない心配と、売れようとしすぎる葛藤は捨てられただろう。僕は間違いなく、この曲が一番好きだ。

Love It If It Made It

これは、新しいチョコレートである。

シングルの中でも、今年リリースのアルバムの中でも異彩を放つほど素晴らしかった曲がこれである。例えばイントロがGive Your Self A Try 公開までのカウントダウンに使われていた時に、ここまでロックな曲を想像していただろうか。How To Draw のようなアンビエントからアンビエントに行き次のキラーチューンへ繋ぐような曲を想像していた。

しかし、公開された瞬間にこれがこの曲だったかと、吹っ飛ばされたわけ。韻が決まった漢詩のようなリリック、強い雄叫びのような歌、よろしすぎる。

カウントダウンの映像のBGMであのクリック音を使うところから、この曲を素晴らしく思うための頭の準備が始まっていたのかもしれない。

歌詞も素晴らしい。日本語による解説も他のブログ様より出ているので是非読まれたら良い。

the 1975の『Love It If We Made It』の和訳と解釈 - キミガネ。

Be My Mistake

全編を通して存在している一番下の音の層がいかに素晴らしいか。しかしこの曲の歌詞には意味深な感じがある。別に僕はふざける人ではないので、これは「あとで賢者モードになるのを想定しておりながら知らん女の子と寝ようとしてる曲」だなどとは言わない。

Sincery Is Scary

リズムパートを除けば、典型的なThe 1975、セルフオマージュのようなものだ。しかし、そういういつも通りの焼き直しを今回だって休めはしない。The 1975 は常に最新作に最高のThe 1975 が全て入るようアルバムを作っているのだろう。ソウルフルで素敵だ、ミュージカルなビデオも素敵だ。

新しく取り入れた要素でできたABIIORバーションのThe 1975 + 副産物にすら見える進化したThe 1975、前作に引き続きそれがThe 1975の新作とはである。

常に何か気に入ったものを持ってきて、これやってみますねって形でThe 1975のスタイルができているだけあって、やはり真新しいものがない!と怒鳴られることが多いこのバンド。しかし、オマージュの選び方と、絶妙な混ぜ具合はまず完璧である。

そして、最も素敵なのはそう言うパクリ、元ネタなんて言われちゃう対外的な変化によって、引き算のように本体に残っていっているもの、それがまた素晴らしく綺麗な光に輝く、これぞと言わんばかりにね。それが良いやっぱり。IDMやらヒップホップやらR&Bに影響を受けても、残るのはマンチェスターの売れない冴えない童貞臭い見た目なバンドマンだった頃の四人。大団円なサウンドでも、ふわっと厭味なく好ける。

I Like America & America Likes Me

SoundCloud rap へのオマージュだそうだが、僕はそれが何なのか知らない。

しかし、とにかく

Being young in in the city
Believe, and say something
And say something
And say something

という節の素晴らしく、現代的叫びよ。

The Man Who Married A Robot / Love Theme

A Brief Inquiry into Online Relationshipsは、前向きな顔をしたOKコンピュータであり、とぼけたふりをしたKid A ではないのだろうか。

この曲はアルバムのリリースを発表する前にカムバックの仄めかしに投稿されたHello というの動画の音だ。フィッターハッピアーであり、モーションピクチャーサウンドトラックだ。かつてフィッターハッピアーでマッキントッシュによって語られた言葉は、冷たく不安に満ちたものだった。

90年代に早めに挨拶をしにきた未来であり、一種の恐れの象徴でもあったコンピューター、それは今はっきりと現代なのである。

この曲におけるSiriの喋りには、人の温かみもある。優しさであり、共感でもある。誰しもが抱くカジュアルな孤独が語られている。恐ろしく、寂しく、どこにも行けないような苦しい、しかし、それは何と美しい孤独だろうか。思わず泣いてしまい、抱きしめたくなるような美しさのある曲だ。この曲が一番好きかもしれない。

Inside Your Mind

君の歩き方を見つめ、

君の話し方を真似しようともした、

君の頭、僕の目の前にあるその頭を今かち割って何考えているか見てみるよ、

寝るのを待って、君が夢見みるものを覗く権利が僕にはある、

君は僕と愛し合っている夢をみているに違いない、

見てみるしかない。

大人ぶった顔で「馬鹿言えよ」って胸張って言えれば良いのだけれど、正直そういう気持ちになって眠れないことはよくある。モラトリアム特有の患いだと思い込んでいたけれど、もっと普遍的な悩みだったのね。

It's Not Living (If It's Not With You)

スーパーマーケットのBGMでしか聴かないようなThe 1975の80年代オマージュ、久しぶりでも無いはずが懐かしい。踊るラリっちょ、ヘロインベイベー、。

ライブのセットリストは基本的に客に寄せまくるのがアダとなり、これまでのツアーでは演目のほとんどがこういうアップビートな代物だったから、正直飽き飽きしていたけれど、流石に今更そんなことはしないだろうし、今後は恋しくなるのかなぁ。

Surrouded By Head And Bodies

めっちゃええやんけこれ。やっぱ一番好きなのこれ。

タイトルはInfinite Jestという小説の最初の言葉で、マッティはおクスリのリハビリの間、この本を読んでいたそう。個人的にこの曲は、レディオヘッドのFog、Melatonin、Worrywortなどなどなどなど、僕の一番好きな雰囲気のB面曲と似たような楽しめ方ができるもので、本当に素敵だ。

Infinite Jest - Wikipedia

Mine

この世界には、たくさんの人が生きていることが、わかる。

秋冬は人の匂いが街を覆っているのが不思議ですよね。最高な一曲です。

ジャズは温かい、これからの季節にも重宝する。しっかり終盤に向けて、沁みぃ曲を持ってくるの、鬱陶しいですよね。もう、寂しいですね。2年待ったドキドキが最大限に楽しめる時間はあと数分ですか。

I Couldn't Be More In Love

プリンスやんけぇ(;;)

そういや前のツアーの時プリンスのコスプレしよったもんな。えもももももお

一番好きな曲と言うのがはっきり言えた方が、自己紹介の時なんかは役に立つんだろうけど、むずいよねー

I Always Wanna Die (Sometime) 

そう、ね。題名ね、わかるわ。いーっつも死にたいって時々思う。一緒。

死は君には起こらない、君の周りの人たちに起こるなんて、誰だって知ってるよね。

情けなくて度胸もない、そんな俺たちは死にたいっていつも思うけど、実際に死ねたことはないよな。それで、人前では爽快なふりしてね。

レディオヘッドの真似っこなんかもしたりもするよねえ。

大変だよなぁ、でも、ヤク中でメンヘラのマッティが死ねずにヘラヘラやってんのみてたら、元気でるなぁ。

 

 

 



はぁ、急に寂しくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

あとがき(本編には関係がない話)

ネットの交友関係に関しての話だ。

好きなバンドが大きなバンドである場合、イラっとすることは少なからずある。情報が多いということは災いで、例えば、ちょっとした理由で僕はまだアルバムが聴けないのに、一曲毎に批評しながら聴かれては困る、が今回の例である。大いなるネタバレである。

こういうのも、対象のバンドが大して有名でないバンドであれば、まあ、チラッと目に入っても我慢するということもできるのだが、The 1975 の場合は起きている人間の全員がそうなるのである。発言の自由があるのであれば、耳をふさぐ自由もある、そう強気になりミュートしようと思っても、あれだけ量がいてはね、まじ困った、とほほ。

しかし、悪いのは彼らではない、僕だ。

これは共感の渦にハマれなかったひとりの時差男(タイムラグベイベー)によるただの僻みだ。

ちょっと暇だからツイッターでも見ようかな、と思う僕が悪いのである。すっぱり、ログアウトした、一時的に。

 

そういえば最近、僕がツイッターで音楽の話をしないのには訳がある。実は、受動的に好きなものを探す文化に納得が行っていない。誰かが紹介してくれる音楽を、話題になっている音楽を、シュポンシュポンとリロードしながら待っているのは、何となく間抜けで、みっともないし、礼儀正しくないような気さえしてきたから、そういうことはしないようにしようかなとある日思った。

また、これはもう本当に関係ないがストリーミングで音楽が公開された時に「何々が来てる」と言うあれにも抵抗がある。この間誰かがそれについて笑っていて、ひどく共感したのを覚えている。あくまでも、行く、べきだという信念が、僕にはあってとてもめんどくさい。

好きなものは自らかき分けて探して行くべきで、まあ、新しい音楽を聴くことを冒険に例えられる心の余裕がある人には「達成感」だって味わえるのだから。たまにならそうやって、偶然みかけて気にいるというのも素敵だが、そこがメインになってしまうのは、寂しい、と思ってしまう自分はだるいなぁ。

レコード屋で漁る、

TSUTAYAを行ったり来たり、

ラジオで掴まれて、

古本屋で大昔の音楽雑誌を手に取ったり、

ブラウザでジャンルやバンドを検索しガラクタの山を片っ端に漁り、気の合うレビューを見つけてきたり、

ストリーミングで関連バンドを漁ったり、ミックスを聴き込むのもあり、

などなど、

まさかインターネットが割と懐古的でもある話の中にひょこっと出て来たのは驚きではあるが、このように手足をいっぱいいっぱいに使って、色んな冒険をしながら宝物を探して行くのがロマンチックではないか。

そりゃ、時々お友達に勧められて聴いて良いのを見つけるというのは好きだ。だが、ツイッターのあれには、一部を除いてロマンというものが皆無なのは確かで、まあ好き好きなのだけれど。

そもそも、最近人が聴いているものになかなかハマれず頭を抱えている、この状況を作った自分に問題がある。情けないことだ。

で、だからわざわざブログで書くのである。いい音楽は待ってても歩いてこない、そういうものであってほしいと思うから。そもそも、140字で好きなものを語るというアイデアに浅はかさを感じると、思いつつも、でも正直僕の感想だってそんなようなものか。

ただ、ちょっとした感想から共感で手を繋ぐのは素晴らしいことだが、常に評を広げているような人を見かけると、アホっぽく見える。僕がネットに求めていたことは、分類ではない、違う他人たちと手を繋ぐことなのだろう。

ロックかどうか、それがそもそもロックではない、と言う論争に似てくだらない。

そもそも、人はそれぞれ異なる考え方を持っていることを前提に生きることが出来ないというのが昨今のゴミ社会のルールだ。

また、とにかく暇な僕に対して、忙しい人々がいるのも確かで、その人たちがロマンより便利性を求めるのは仕方のないことでもあるだろう。ごにゃごにゃ文句言ってないでね、音楽を聴こうって気になった。

しかし、こういう考えの僕からすれば、最近このApollo 96 を訪れる方の傾向は非常に嬉しくある。ツイッターからの流入がパッとしなくて、ブラウザから検索して入って来てくれる方が増えていることは、嬉しい。読んでくれてありがとうございます。僕の記事はこれからも、こんなへっぽこなのでしょうか、次見かけた時にはもう少し上手になっておれば良いのですが。

もちろん、ツイッターでリンクを踏むというひと手間を毎度かけてくださっている方にも感謝しております。こちらの方に関しては直接誰が読んでくれているかも覚えてしまう程で、誰も読んでくれてないような頃から支えてくれてきた人らですし、本当ね、ありがとう。

色々まとまらないけれど、この人はこんなことを考えるけれど、うまく人には説明しきれないのだなぁと思っておいてください。こう自分の中にある考えを書き出してみて、どう言う形をしているか改めてみてみること、また誰かが考えることに差であったり共感する部分を見つけてみることは楽しい。考え方の違いを認めてみるのは平和だなぁ、と思う。たくさんの人が生きているのがわかるのが素敵だと、このアルバムは壮観だ。

 

 

by merah aka 鈴木レイヤ

結局、本人たちですらThe Strokes を越えられない件

 

 

今世紀で一番のロックバンドは誰だ?って話になったら、君は誰と答えるだろう。僕はストロークスだと即答させてもらおうと思う。

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彼らは最高だ。結局どなたもストロークスを越えられない。アークティックモンキーズだって、キラーズだって、ストロークスに憧れて曲を書いて、素晴らしいバンドになった。それでいてあの幻の背中を今も追い続けている。

ストロークスのサイドプロジェクトを聴くにあたって

今、ストロークスのメンバーたちはどこにいるのだろうか?

いよいよ結成二十周年も目前である2018年、ストロークスのメンバーのうち、ひと際存在感を放つ二人の男が、それぞれ素晴らしいアルバムをリリースした。ジュリアンカサブランカス率いるThe Voidzの『Vurture』と、アルバートハモンドJrの『Francis Trouble』である。そして、その二枚のアルバムは実に素晴らしかった。

先ほど、ストロークスに憧れバンドを始めたという二つの偉大なバンドの名を出したが、去年The Killersは『Wonderful Wonderful』、今年Arctic Monkeysは『Tranquility Base Hotel & Casino』、それぞれ新しいアルバムをリリースしている。どちらも悪くないアルバムだったのだが、何と僕にはストロークスメンバーのソロ作品、サイドプロジェクトの方がより優れているように聞こえてしまった。

皮肉にも、アレックスターナーがストロークスになりたかったと歌っても、キラーズが自分たちをストロークスより優れていると思ったことはないと言っても、それはただ事実でしかないのである。彼らがいくら足掻こうと、結局ストロークスのサイドプロジェクトにすら敵わないのである。

しかし、僕としては、今年のストロークスメンバーたちの二枚のアルバムが、世間に評価され、このまま軌道に乗ってしまうと、不安だ。ストロークスがいくら素敵でも困りゃしないのだが、これはストロークスではないのだから。

このままThe VoidzとアルバートハモンドJrが、ストロークスのなき時代に売れてしまうと、なんだか5年後には「The Strokes 広島弁bot」なんかが竣工してネットの海を堂々航海しているのではないかと、想像してしまうし、本当に不安だ。

 

いくらThe Voidz の『Virture』と、Albert Hammond Jr. の『Francis Trouble』が素晴らしすぎるからと言っても、あくまでこれらはサイドプロジェクト、メインはストロークス、であることを忘れないように楽しみたい。

 

 

新譜レビュー、Albert Hammond Jr. 『Francis Trouble』

このアルバムはアルバートのソロで数えると四枚目のスタジオアルバムで、前作から数えて三年ぶりの作品になる。

今までのものと比べて最もストロークス風なアルバムかもしれない。これまでのアルバートのソロでは、ストロークスにおけるクールな部分と重複するような要素は目立たない傾向にあった。ストロークスの中では比較的陽気な雰囲気を請け負っていたアルバートが自分の持ち味を前面に押し出すような曲をソロで発表してきたと考えれば腑に落ちる。しかし、今作にはそのクール感が存在しているのだ。

ストロークスが恋しい人間が最も聴くべき一枚は、明らかにこのアルバムだろう。

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このアルバムにはストロークスの1stアルバムである『Is This It』を彷彿とさせるような曲ですら存在している。一曲目のDVSLやFar Away Truths なんかは本当にストロークスっぽい。最近のストロークスではなかなか聴くことのできない軽快で甘い音楽、これ聴いた瞬間はストロークスに出会ったあの頃と同じ自分になったような気すらした。おい人生久しぶりにみずみずしいやんけ!となること間違いなしのアルバムだ。

いつも当たり前のようにストロークスの曲で鳴っているアルバートのギター、それをストロークス以外の場所で聴くことで、あの音がどれだけストロークスをストロークスたらしめているかが実感できるだろう。彼のギターは和室でいう畳くらいに大事な要素なのだ。

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ここまでアルバムのストロークスっぽさを中心に話してしまったけれど、まあしかし、アルバートのソロはアルバートのソロである。そう改めて実感したのは、今年のフジロックでの彼のステージである。僕にとって初めての、本物のストロークスのメンバーを見る機会だった。

アルバート・ハモンドJrはジュリアンカサブランカスとはまた違う良さを持つ、非常に優れたフロントマンである。観客を虜にして、めためたに躍らせる躍動感のあるパフォーマンスはジュリアンのステージでの格好とは真逆だ。とても良かった、そういうのは好きだ。僕もよく跳ねた。

軽快なアルバートのソロアルバムは今年の上半期に出たアルバムの中でも片手ランカーであるというのは間違いないだろう。

 

 

 

 

新譜レビュー、The Voidz『Virture』 

www.youtube.com ジュリアン、フォーエバーショタ

ストロークスのボーカルであるジュリアンが率いるThe Voidz の新譜は、ジュリアンのソロプロジェクトではなく別のバンドであることからもわかる通り、ストロークスとは全く異なるムードの作品である。もはやストロークスのメンバーによるプロジェクトという風に扱われるべきものではないのかもしれない。

あえてストロークスの作品と比較するなら、最新のEPである『Future Present Past』、四枚目の『Angles』などに存在する、SFっぽさが全編を覆っている。いやむしろ、あれのもっとグッタリ複雑で混沌とした雰囲気が溢れ出た進化系と言うべきかもしれない。

端的に言うと、なんしてんねんが度を過ぎているのに、めちゃくちゃカッコいいダークマターと言うことになる。

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アルバートのアルバムが以前のストロークスを思い起こさせるような出来であることとは対照的だ。アルバートの『Francis Trouble』を表現する時にストロークスのクールさ云々と言ったが、The Voidzの『Virture』はダークで底も見えない。コールドと表しても差し支えないかいのではないか。

心地よい適量のエスニック、変態な太い音とおかしな展開、そこへエフェクトがかかったジュリアンの高い声がバランスよく乗ってきて不穏に響く。気持ち悪いのに何故かしっかり心を掴んで離さない。

ストロークスなんてポップ過ぎるし軽くて聴いておられんわって人なんかでもこれは気に入ると思う。『Virture』を聴いてストロークス沼へゆくがよかろう。

The Voidz と言うプロジェクトは、回を重ねるごとに「変」になって行ってる気がする。いや、「正統派カッコいい」と「変」の共存できる限界が次々と突破されているのだ。

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前作は「変」である事があまりに当然のように行われていたために大した驚きはなかった。変なことをしてみたアルバム、聴くのは時間がかかるようなものだった。あれには、まあそう言うことも起こるのか、とあまり実感になりにくい驚きがあった。

今回の『Virture』は皮肉ったらしいポップ風が時々吹くため、「変」なところが際立つ上に、気持ち悪さが猛威をふるっている。ぶるぶるっとなりながら「なんか…イヤぁ…」とニヤケてしまう瞬間がちょくちょくあって、最高である。

ちなみに僕が一番お気に入りの曲は『All Wordz Are Made Up』だ。ストロークスっぽいのは『Wink』とか『My Friend The Walls』かな。

KEXPのライブ映像では「彼の思いついたフレーズからみんなで展開していったり」「適当にジャムってたらだんだんPink Oceanになった」みたいな風に作曲の仕方について話していた。動画が見つけられないので、はっきりと断言はしないが、そういう風に言っていた、と思う。(あった

とにかくThe Voidz は一つのバンドとして呼吸をし、歩いているのだ。きっと、沈黙へとさしかかっていた頃のThe Strokes よりもイキイキとしているのだろう。少なくとも、ジュリアンが遠く先を見据えてこのバンドを動かしていることは確実だ。

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チリかどこかの音楽サイトでのインタビューによれば、今作はより世間に寄せることを意識したアルバムだったと言う。このインタビューは今回のアルバムが発表される前に行われたもので、前作『Tyranny』を引き合いに出して話していたから、上にあのアルバムからも一曲リンクを貼っておいた。

以下が一部の日本語訳である。

『Tyranny』の後、どういった音楽をしようとしてたんですか?

ジュリアン「ワシらにとっちゃ『Tyranny』は、ほんまに創造的で素晴らしいもんじゃったけんど、世間からしたら「ナンジャコレ」やったんよね。みなの反応見てエラいたまげたわ。ほじゃけん、今度はワシらが『Tyranny』を愛したんと同じくらいにの、みなが好いてくれるようなアルバムこしらえようとしたんよ。」

 

僕は『Tyranny』結構気に入りましたけど?

ジュリアン「まあ、そう言う人もおんじゃけどね、ワシらはあのアルバムで金持ちんなりたかったけん。」

ヒゲ面のグリッター(ギタリスト)「ジュリアンは、二人の召使に担がれた王座に乗ってステージに上がっちゃう、そういうのをしたかったワケよ?」

 

〜略〜

 

次のアルバム『Virture』では何を達成するつもりなんですか?

ジュリアン「ほんまのこと言うたら、目標はメインストリームになることなんよ。まあ、近ごろのヒットチャートはおおごとじゃろ。ワシの家ではかけんような音楽だらけで、もうワヤよ。ちっとは骨のある音楽をぶち込んだらないかんねと思いよるわ。」

Julian Casablancas: "Queremos llegar al mainstream para poner ahí música que importe" : Revista Playlist

 

どうやら、ジュリアンはこのバンドで天下を取るつもりのようだ。

どのようにして本当のアートが宇宙を支配するか、それを世の中のガキに教えてやるためにこのバンド、The Voidzは存在している、らしい。

The Voidz と言うバンドは野望も、作る音楽そのものも、最高に素晴らしい。これをずっと聴いているとストロークスより楽しくて良いじゃないかと思う瞬間がないと言えば嘘になる。

 

メインはストロークス、忘れない

だが、実際には結局、『Virture』は天下を取らず2018年も終わろうとしている。The Strokes では天下を取ったジュリアン・カサブランカスも、The Voidz ではまだ何も成し遂げられてはいない、結局。中止になった来日公演のリヴェンジをする気があるのかもよくわからない。

アルバートの新譜にも、The Voidz の新譜にも目をひん剥いて踊るくらいの素晴らしさがあるけれども、確か、The Strokes を初めて聴いた時、僕は驚きすぎて、感動しすぎて、実際に目ん玉を地面に落っことしてしまった記憶がある。と考えると、やっぱし足りないってことだ。

結局そういうことなのだから、レディオヘッド程度の頻度でも勘弁しよう、The Strokes としてこれからもやって行ってほしい。正直、The Strokes についてもっとはっきりこれからのことを言ってくれないと、僕は安心できないし、こちらとしてもサイドプロジェクト軍団をどう聴いて良いかわからない、不安で仕方がない。サイドプロジェクトも本当に素晴らしいのだから、安心して思った通りの感想で褒めながら聴きたいものだ。 

 

 

by merah aka 鈴木レイヤ