Apollo96

地球の月から文化共有。音楽、映画、文学、旅、幅広い分野を紹介します。時々創作活動も。

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「カメラを止めるな!」のテレビ放送がすこぶる不評だった訳

「カメラを止めるな!」が地上波で放映された。

 

 

 

 

前書き

2016年の「この世界の片隅に」や「シン・ゴジラ」、そして歴史的ヒットを叩き出した「君の名は。」を思い出させる口コミからの大ヒットで、ミニシアターでの上映からシネコンの巨大スクリーンに移行し、あのドン引きの低予算映画「ONE CUT OF THE DEAD」のどうしようもない寸劇を観客に浴びせるという異例の事態になったこの映画。

もちろん劇場上映当時から100人中100人が絶賛していたわけではないし、今回も「劇場で見てなかったけど面白かった!!」と言っている人はいた。

だが、地上波放送を経た今、Twitterで2019/03/10 20:45現在「カメラを止めるな 面白い」「カメラを止めるな おもしろい」で検索候補が合計120件なのに対して、「カメラを止めるな 面白くない」だと単独で730件が候補として提示されてしまう。

無論、検索ワード次第で異なる結果が出てくることはあるだろうし、ネガティブな検索候補の方には、面白くないと言っている人にある種の啓蒙活動を行っている熱心なファンのツイートが紛れていることもありうる。それにしてもここまで差をつけて「面白くない」という意見が溢れかえってしまうの何でなのか。

それに対して自分の仮説を表明していこうと思う。

 

言い忘れていましたが、ネタバレ、余裕であります。

(こんな記事をわざわざ読む人がネタバレを嫌がっているとも思えないですが...)

 

そもそも見る層が...

これは後の結論に吸収される要素であるが、そもそも地上波で初めて見るという人は「劇場まで行こうとは思わなかった」「そもそもあんまり映画見る習慣はないけど話題だから見る」ぐらいの心構えであり、毎秒出演者の一挙一投足に注目してテレビにかぶりつき、なんてことはまぁ、ない。「酒の肴に」、「何か作業のお供に」ぐらいの軽い気持ちで見るのに関わらず、冒頭からいきなりぶりっ子女子がゾンビと化した彼氏に「やめて〜!」と恐るべき大根演技で抵抗し、その一連の流れが劇中劇の世界であることを即座に示すため、演技の下手さを怒涛の勢いで罵倒する監督が登場し、正直面食らうことは間違いない。

自分もあまり興味のないジャンルに気まぐれで手を伸ばしていきなりこんなことをされたらまず心が砕ける。気まぐれで地元の常連しかいなさそうな居酒屋に行ったら、「ボンジュール」と言わなかったがために全客から白い眼を向けられる、なんてことがあったら二度とその店にはいかないだろう。

開始10分でチャンネルを変えた人、その人は正常な判断が出来る人だ。

 

40分耐えたが...

「ちゃんと見たがつまらん」「で、何が面白かったの?」このような意見も散見される。無事地獄の前半を潜り抜けて、ハマった人からしたら「本編」である、劇中劇の舞台裏、という体のもう一つの「劇中劇」、これも面白いとは思えなかった人々だ。この人たちもある意味、正しい。

この映画のあらすじを文字に起こすと「ワンカットかつ生中継で撮ったゾンビ映画が、実は様々なトラブルと偶然が積み重なって出来たヒヤヒヤする産物であった」という、楽屋落ちを人口に膾炙しただけと言えばそれまでの、とても斬新かというとそうでもない内容である。強いて言うと、「「ゾンビ映画を撮ろうとしていたら本当のゾンビが出てパニックに陥る」という映画を撮っている人たちの舞台裏」というメタが二層になっている複層構造になっている点にやや斬新さがあるが、意地悪な見方をすると、今までも用いられてきたメタ手法を二重にしただけで、画期的作品というわけでもない。じゃあ何故受けたのだろう。

 

「カメラを止めるな!」は「劇場型劇場」映画だ!

「劇場型犯罪」という言葉がある。犯人の手によって、まるで劇場の演目のようにドラマチックに仕立て上げられた犯罪のことだ。凝った声明文を出したり、ゲーム感覚で対象者に選択を迫ったり...劇場の変種とも言える映画でもこの手の犯罪は取り上げられ続けてきた。クリストファーノーラン監督の「ダークナイト」で登場したジョーカーの、言葉を失うレベルの残虐性に背筋を寒くした映画ファンも少なくないはずだ。

じゃあ「劇場型劇場」とは何なのか。自分の造語なので誰も知らないのは当然だ。というか、この映画ぐらいにしか適用できない(笑)。

「劇場型劇場」とは、共犯者たちの手によって、まるで劇場の演目のようにドラマチックに仕立て上げられた劇場の作品のことだ。これで「カメラを止めるな!」は劇場でバカ売れしたし、逆に地上波では酷評された。

 

...?どういうこと?

「共犯者」の定義は全体を順序立てて話すために後回しにするとして、「劇場の演目のようにドラマチックな劇場の作品」をもう少し分かりやすく説明しよう。

知られるように「カメラを止めるな!」は低予算映画であり、スペクタルやCGなどとは無縁である。そんな状況で「ゾンビ映画を作る!」と宣言したところで、グロテスクな見た目のリアルなゾンビが大挙して押し寄せる絵を想像する人間など当然いない。むしろ、「もっと普通に人間関係を描いたドラマを描いたら良いのに...」なんてネガティブな印象のまま見てしまう人も多いだろう。この時点で、この映画には「いかにもなフィクション」は予想されていない。要するに観客に本作品が「劇場型」であることは期待されていないのだ。

そんなマイナスのスタートで、冒頭「俺の映画を台無しにするつもりか!!」と映画内のメタ構造の上位者が暴れ狂うシーンを見て、「なるほど、まぁ考えたなぁ」と大体の人間は一応は心を許す。つまり、制作側の「自分たちの立場を分かってますよ、低予算で真面目にゾンビ映画を作っても面白くならないですよね」アピールで、頑なになっていた観客の心をまずは溶かすのである。そして、低予算故に予算もキャストも微妙な状態である現実を逆手に取り、「大根演技だったヒロインがカメラから外れた瞬間に自然なリアクションを行う」などと更にメタなネタを投下してしまうことで笑い話にする。舞台上に金を使えないなら、徹底的に劇場の設備を整えてしまえば良いのだ(そりゃ現実だと設備投資の方が高いかもしれないが)。その上で、「ゾンビ映画を撮っていたら本当のゾンビが出ちゃった!!」という新たなメタ構図を投入することで一捻り二捻りした物語になり、ある程度作品を受容するモードになった観客は「うーむ」と唸るのである。てっきり劇場の座席やフードに拘る映画だと思っていたら、ちゃんと演目にも拘るのね、と。

 

とはいえ、一度人々の歓声は止む。いくら頑張っていても、どことなくぎこちない。冒頭で早くも監督が不在になった後、残された3人によって交わされる会話のテンポの悪いこと!そして、録音スタッフは伏線もなくいきなり激昂して建物を飛び出すし、挙句には酔拳を披露するゾンビだっている。「本当は駄作だったのではないか」そんな悪夢のような時間を過ごした上で最後にデカデカと出る「ONE CUT OF THE DEAD」の字。ここで今まで悶々としていた客は自分たちが「劇的な展開を期待されていなかった劇が劇中劇の劇中劇であり、その劇的などんでん返しによって作品の全てがドラマチックな劇に一変する」というトリックにしてやられる。 

 

何故「劇場型犯罪」という言葉があるのか。それは「犯罪の殆どはドラマチックなものではない」という共通認識に基づいている。じゃあ「ドラマ」とは何なのか。これは定義が難しいが、「現実の人間と行動規範を一にしながらも行動がデフォルメ化された架空の人物が、その行動規範に基づいて行動するフィクション」としたら、ある程度納得してもらえるのではないか。

現実でものすごい勢いで振り返って二度見をする人間は中々いない。もちろん、二度見自体は現実に生きる多くの人間がする行為で、行動のためのルールは現実と虚構と共通だが、ドラマの人間はそのルールから生み出される結果が少々大げさである。そうなると、複数人が交流していくうちに現実以上の衝突や調和、あるいは愛情が生まれ、物語が動く。

 

「カメラを止めるな!」内の「ONE CUT OF THE DEAD」 に出てくる人物は行動規範が非常に歪だ。後半パートでその違和感は全て清算されるのだが、前半の時点で観客は「あれ、こいつらって行動規範すら現実の人間と違うのでは?」という不安に駆られ、どうしようもない居心地の悪さに襲われる。そこで10分切りの人が続出したのではないか。

しかし、いざ最初のEDが終わると、劇中劇の怒涛のネタバラシが始まる。やれ、会話がぎこちなかったのは完全アドリブだったからだの、激昂した録音スタッフは下痢だっただの、酔拳ゾンビは本当に酔拳だっただの。ここで作品は「デフォルメされた人間だけが存在する世界」に移行し、観客に「ドラマチックではない」ことが自明とされた「ONE CUT OF THE DEAD」から、ドラマチックな「カメラを止めるな!」に移行するのだ。

 

さて、ここで評価が真っ二つに分かれてしまった原因がある。

「劇場型劇場」は比喩的なフレーズであるとともに、直接的な描写でもあることにその答えが含まれている。

「ONE CUT OF THE DEAD」というタイトルコールが前半のクライマックスになっているわけだが、ここでずっこけられるのは、「本物の劇場」=「映画通ばかりが集まるミニシアター」の観客であって、テレビという「仮想の劇場」で本作を見た、「ホラー怖いから1作も見たことない」という観客には「はてな」だろう。

もちろん、ホラー映画好きには言うまでもなく、このタイトルは1978年の映画「ゾンビ」の原題「DAWN OF THE DEAD」のパロディーなのだが、それだけでなく、「SHAUN OF THE DEAD」や「インド・オブ・ザ・デッド(原題は異なる)」など、洋邦問わずゾンビもののコメディーに使い回されてきた構文でもある。そのパロディーのパロディーという構造をつかんだ上で、「B級ホラーの定番である手ブレするカメラワーク」×「通好みの映画あるあるのワンカットという手法」という更なるオタク知識を知っていないと、「爆笑」とはならない。

つまり、しっかり「劇場」に通う層でないと、その「劇場型」たる構成は分かりにくくなっている

ここで先ほど割愛した「共犯者」という言葉が絡んでくる。この作品が真価を発揮するのは、「監督」と「観客」、この両者がしっかりとタッグを組んで、面白いと思えるポイントを逐一拾い上げていく作業が必要なのだ。二者による共犯行為。これが上映当初の大絶賛の理由でもあろう。オタクとクリエイターの蜜月状態にあったがため、あそこまで拡散されたのだ。

やがてその評判は少しずつ映画に疎い層にも広がり、地上波で放送されるに至った。そこでブーイングの嵐が吹き荒れたのも、さもありなん。この記事の冒頭で示した、見る層が映画にそこまで熱心でないからウケが悪かったというのはそういうことなのだ。

 

つまりは...

 

謂わば本作は究極の内輪映画である

一応普通に見ても楽しむことはできるが、B級映画、自主制作映画など様々な出来の映画をくぐり抜けた上で見ることで、真価を発揮する映画であることは否定できない。

 

Netflixなど、映画館に通わずとも映画をいくらでも漁ることが可能な時代にこのような「分かる人には分かる」ネタをガンガンぶち込む映画はリスキーかもしれない。だが考えてほしい。

制作費300万の映画を映画に疎い層までが見るなんて誰が予想できただろうか?

趣味や文化が多様化していく中で、社会の全員に合わせた作品を作るよりも、ニッチであっても1つの完結したコミュニティー全体を震わせる作品を作る方がより妥当であろう。

そういう点では、「カメラを止めるな!」がテレビで放送されて評判が悪いのは必然であるし、むしろそのことは「カメラを止めるな!」が制作上観客に不実な態度を取っていたということを微塵も意味しないと言っていいだろう。

 

本来はごく小さい界隈で盛り上がって終わるだったはずの作品がSNSなどの評判で世間に引っ張り出されて賛否両論を生み出す。

名もなき人々の声が業界を動かした事例として、今後の起こりうるだろう珍事のパイオニアとして、本作が評価される日が来るかもしれない。

 

 

あぁ、また見たくなってきたなぁ...

 

ブラックアイドピーズって最近何してんの?

どうも浪速のファーギーことべしちゃんです。

ていうかさ、ブラックアイドピーズって最近何してんの?

って思ったことないですか?

Black Eyed Peas...略してBEP…何してんのよ…まさにそう思ってなんとなく聴き返してたらちょっと自分の中で再燃してしまい、パリピがよく持ってるスピーカーを買ってファーギー姉さんのモノマネしながら踊ってる昨今です。

で、BEPは今何してるかというと、新譜が出てます。

ただ取り巻く環境やスタイルは随分変化しており、しばらく名前を聞かないうちに何があったんだ?ていうかそもそもBEPってなんだったんだ?と、ちょっとBEPのこれまでの歩みと旧譜を簡単におさらいしてみることにしました。…リスペクトを表して猿でもわかるスタイルで行きます。

 

 

猿でもわかるなんて大ウソだ(〜2000)

ロスで生まれたウィル・アイ・アム、フィリピン出身のアップル・デ・アップ。やがてふたりは同じ学校で出会い、ブレイクダンスグループとしてキャリアをスタートさせます。やがてギャングスタラップの始祖と名高いEazy-Eが経営するRuthless Recordと契約。『Grass Roots』をリリースするも、3年後にEazy-Eが死去。同レーベルを離れ、ダンサーのタブーが加入し、やっとグループ名がBlack Eyed Peasとここで定まります。

1998年、ファースト「Behind the Front」をリリース。まだメンバーはウィルちゃん、アップル、タブーの3人。この頃に当時ガールズR&Bグループのメンバーであり元子役声優、しかし薬物中毒の療養中の身であったファーギー姉さんがBEPのファンになったと言います。

そして2000年、セカンド「Bridging the Gap」をリリース。USチャートも前作100位以下から半分以上巻き返すと着実にそのキャリアを伸ばしていきます。この頃初来日も果たしております。思ってたより早いね。

 

Behind the Front(1998)

…いわゆるBEPを想像していたら思いっきり面食らうゴリッゴリのクラシックHIPHOP。大人しい印象を受けるものの(そらいわゆるBEPに比べたら何でもそうですわ)サンプリングのみならず生楽器のグルーヴ、生感を活かすメロセンスは当時から健在です。

 

 

Behind the Front

Behind the Front

 

 

 Bridging the Gap(2000)

路線はファーストと同様、しかしデラソウル(ゴリラズのFeel Good Inc.で爆笑してるラッパーだよ!)などビッグネームの客演もあり飛躍を感じます。オーガニックともまた違う、ほっこりしたファンク感は生楽器とビートのセンスの良さといった感じ。ファーストもセカンドもすでに全曲ウィルちゃんプロデュースですが、やっぱ光ってますなあと後追い特有の感想です。

 

Bridging the Gap

Bridging the Gap

 

 

 

猿でもわかるようになる(2003〜2005)

ビューティーデリシャスファーガリシャスなファーギー姉さんの加入だ〜〜!!!!芸能活動のキャリアはあったと言えど自称・片田舎の女の子でありBEPのいちファンであったファーギーは、終演後のウィルちゃんに連絡先を渡し…加入してしまいます。これで思い出すのはやっぱりジョン・フルシアンテ。ちなみに最近欅坂にもそういう子が入ったらしい。

そうして新体制にてサード「Elephunk」を2003年にリリース。代表曲とも言える「Where is the Love」が早くも登場。各国でプラチナディスクをかっさらうといよいよ我々の知るところのBEPのお出ましです。続いて2005年には「Monkey Business」をリリース、タブーの出番を犠牲にファーギー投入・楽曲路線変更で今現在知るところのBEPは象られていくのです。

 

Elephunk(2003)

そうそう知ってるBEPってコレっすよ…圧倒的陽キャ…ちゃきちゃきのファンクをベースに軽快に弾むリリック。いわゆるセルアウト路線でプロモーション時「猿でもわかる」と銘打たれたのもしゃーない。それでも初期作品の匂いもこのアルバムまでは残り香のように存在しており、多岐に渡る楽曲の幅はここから伸びてきた要素のように思えます。

一番顕著なのはフィリピン出身のアップルが母国語にて自らの生い立ちや家族について綴る「The APL Song」。ウィルとアップル共同プロデュースで新たな路線を開拓しています。ちなみに渡米時は一切英語は話せなかったというアップル。苦心の果てにウィルにさえ語彙量ではアップルが勝ると言わしめるほどに。

ちなみに「Let's get Started」のビデオがものすごく好きなんですが、この時代にすでに(擬似ではあるものの)360°videoのようなイキなトリック撮影をしていてかなりかっこいいんだコレが。

 


The Black Eyed Peas - Let's Get It Started (Official Music Video)

Elephunk

Elephunk

 

 

Monkey Business(2005)

本当に猿でもわかるわここまでやられたら!!!といった感じの…というのもコンセプトは「BEP流ボリウッド」だそうなのでなんかもうウケますね。ニコ動世代にはほむらちゃほむほむ動画で有名な「Pump It」、良いケツについての「My Humps」、客演にはジャスティン・ティンバーレイクやサンプリングネタにスティング、JBまでいます。なんかもう普通に産地直送新鮮解体ショーかな?って勢いで素材をそのまま活かしまくったサンプリングがちらほら。またもアップル手掛ける「BEBOT」はフィリピ〜ノ!流パリピソングである傍なぜかインドでめちゃくちゃ有名らしい。まさに闇鍋ボリウッド!

 

 

Monkey Business (Dig)

Monkey Business (Dig)

 

 

猿でも感じるフューチャーウィンド(2006〜2009)

2枚の成功を追い風にファーギー姉さんがウィルちゃんプロデュースのもとソロデビュー。日本においてもサマーソニックヘッドライナー出演、武道館公演、SMAPSMAP出演など知名度を界隈通り越してお茶の間へさえも広げていきます。ちなみにスマスマにはこの後も度々出演するようになり、中居くんにすら「ウィルはツレ感覚」と言わしめたほどで楽曲提供も行うようになります。ちなみにSMAPだけには止まらずファーギーのプロジェクトとして倖田來未ともコラボシングルを出していました。時代感じるな。

またこの時期からウィルちゃんは自身のファッションブランド「i.am.clothing」を立ち上げまさにアフリカン・アメリカンのファッションリーダー的存在に。

 さあそんなノリにノッたBEP、2009年に5枚目のスタジオアルバム「The E.N.D. 」をリリース。リードシングル「Boom Boom Pow」のリリック、サウンド、MV構成、ウィルちゃんの謎のヘアスタイルに代表されるような近未来的世界観にてコンセプトを統一。(古参ファンの気持ちはどうあれ)EDMの一躍台頭時代の一足先を行く、まさに一番脂の乗った時期と言えたでしょう。

 

The Dutchess(2006/Fergie solo)

BEPのライブでもよくお目にかかることとなる「London Bridge」やファーギーのファーギー(作ったのはウィルちゃん)によるファーギーのためのファーギーにしか歌うことの許されない曲こと「Fergalicious」等の楽曲を世に放ち大ヒット。アルバム名原題は「The Dutchess」、邦題は「プリンセス・ファーギー」。しゃーない切り替えていけ。

  

The Dutchess

The Dutchess

 

 

The E.N.D.(The Energy Never Dies)(2009)

空耳アワー大好き民には「汁物まだまだ来る」で有名なアレが「Imma be」です…汁物来なくてええけどこの曲における規格外のテンポアップ・転調・コード使いはこれまでのBEPのやってきた多岐に渡る音楽がベースにあってナンボの激アツ演出です。

しかし初期の体温高めのファンクは何処へやらバッキバキのサイバーエレクトロに完全路線変更です。この手の初期EDMの源流は2006年コーチェラのダフトパンクのパフォーマンスだと言われており、そこから考えるとEDM黎明期の作品と考えるには約3年のラグこそあるものの、10年経った今聴いても古さを感じない完成度。「Imma be/Rock that Body」「Boom Boom Pow」「I Gotta feeling」などのスマッシュヒット曲を内包し、全編サイバーでビュンビュンな同一コンセプトでまとめた、ある意味2010年代というエレクトロポップ台頭時代の幕を開けた作品といった位置付けになるのかも。

I'm so 3008 your so 2000 late」というミームがかつて英語圏で流行ったようですが元ネタはこのアルバムから。まだ生きてるんかな?

 

 

THE E.N.D.

THE E.N.D.

 

 

 

猿でも寂しい活動休止(2010〜2015)

続けざまに翌年の2010年、「The Beginning」をリリース。デラックス盤には前作「The E.N.D. 」からのシングルカットによりメガヒットを飛ばした5曲を同時収録する客にとっては有難い(HIPHOPファンからするとDumb it Down…楽曲のレベルをHIPHOP基準から下げてより一般市場に寄り添う売れセンを狙うこと…の『極致』をやりやがったと言える)商材展開、NFLハーフタイムショーへの出演、映画「NIGHT&DAY」への主題歌提供、ビクトリアシークレットのショーへの出演等まさに栄華を極めるといった状況です。

しかし2011年、無期限の活動休止を発表。

 

ファーギー姉さんはご存知の通りソロシンガー、モデルや俳優として活躍。

ウィルちゃんもここから現在に至るまで時の人からビッグネームまで様々なアーティストと組み楽曲を提供、ジャスティン・ビーバーやニッキー・ミナージュのようなフィーチャリング常連組はもちろんのことミック・ジャガーのようなビッグネームを通り越して概念と化した人とも仕事してたりします。

タブーは2007年に薬物所持の疑いで一時逮捕、これをきっかけに完全なる薬物断ちを決意。療養の末克服するも2016年にがんを患ったことを告白。完治後は非営利団体を立ち上げ現在に至るまで自身の経験を通した活動をしています。

アップルは今や名実ともに世界一有名なフィリピン人。音楽活動の傍、地元フィリピンでのリゾート開発やチャリティイベントへの着手と、実業家としての顔も持ち合わせるように。

…といった具合に皆さん着々とセカンドキャリアを築いていってたようで…知らない間に…

 

The Beginning(2010)

…This is international Big mega radio smasher…

めちゃくちゃ懐かしくないすか?ちょうど中1の時とか洋楽入門編として聴いた気がする…あとニコ動全盛期だったので1曲目Dirty Bitと吉幾三のマッシュアップが流行ってたな…

前作「The E.N.D.」の潮流を引き継いだ新世代のダンスミュージックといった表情を持ち、まさに売れセン、といった耳なじみのいい楽曲が並ぶ中「Whenever」のようなファーギーの歌唱力とアコースティックな音が光るポップミュージックも健在。

でも正直「The E.N.D.」のただ延長線上であるは否めず(だからこそ先述の通り前作シングルカット曲の同時収録なんてやるんだろうけど)、アルバムとしてというよりは1曲1曲に比重をおく作りになっています。

ちなみに「Just Can't Get Enough」のビデオは東日本大震災のわずか1週間前の東京都内で撮影されたもの。ビデオ冒頭には被災した方々へのメッセージが流れ、大きく姿を変える直前の東京を垣間見ることができます。

 

youtu.be

The Beginning

The Beginning

 

 

#willpower(2013/will.i.am solo)

ソロ作品も触れてたらキリがないんですけどこれだけ聞いて!ジャスティン・ビーバーをフィーチャリングした「#thatPOWER」をBGMに西武ライオンズのマスコット、レオ くんが踊る動画なんですけど、ウィルちゃんのダンスよりイケてます(?)

youtu.be

 

#willpower

#willpower

 

 

 

 猿にはわからんその兆し(2016〜)

で、近年のBEP動向です。結論から言うと2016年のプロジェクト「#WHERESTHELOVE Black Eyed Peas feat.The World」のための一時的再結成を最後にファーギーは離脱、というか事実上の脱退をし、現在はウィル、アップル、タブーの3人体制。

しかしウィルが語るところあくまで「ファーギーの長年の夢のため」と好意的な離脱であり、2018年のアメリカ建国記念日には4人の集結する姿も!ええ写真やないか!

www.instagram.com

 

そして昨年2018年、BEPは帰ってきたーHIPHOPとともに。

そこにファーギーの姿はなく、往年のオールドヒップホップスタイルに身を包んだ野郎3人のモノクロ写真。表題作にもあるようにBACK 2 HIPHOPなのです。

ヴィジュアルをはじめ、踊ろうぜカマそうぜといった調子のいいリリックも鳴りを潜め、近年主流のソーシャルプロブレムについて、またはパーソナルなリリックを主とし、元来メンバーが好んだというコアなヒップホップへのリスペクトが垣間見得ます。

 それでいてVR技術を用いたプロモーションを行うなど、ただの初期作回帰に止まらない意欲的な姿勢はパリピッピBEPだった頃となんら変わりはないのです。

 

Master of the Sun Vol.1(2018)

ドレイクの登場、フランク・オーシャンに代表されるようなアンビエントヒップホップの台頭、ド直球に「This is America」のグラミー賞受賞とヒップホップ市場が多様性を以って変遷していく中でオールドとも言える王道ヒップホップで新生BEPは仕掛けてきました。

NAS、スリック・リックといった大物の客演はもちろん、ガールズK-POPグループ2NE1の元メンバーCLも登場。BTSの成功に見られるようなK-POP市場の拡大がここでも見られて、オールドな音の中に「The E.N.D.」で感じた抽象的な未来感ではなく、音楽の具体的な未来を想像する余地があります。

これまでのキャリアで培った圧倒的にキャッチーなメロディラインは今作でも生きていて、私のようなHIPHOP初心者かつ英語あんまりダメ芸人にも以外と間口は広く取られている印象。BEPを毛嫌いしていた人にこそハマる作品かも。

Master of the Sun Vol.1

Master of the Sun Vol.1

 

 

 

数字は正直なもので、今回7年ぶりの新作にも関わらずYouTube再生回数も伸び悩んでおりBEPは作品面でも業績面でも今まさに過渡期を迎えているところ。これからどうなっていくのか気になるところですネ。

以上、Black Eyed Peasのキャリアと全スタジオアルバムをおさらい、でした。もうパリピには戻らんのかな?それはそれでアリだけど、ちょっと寂しい。

…ていうかよく考えたらサマソニ2017来てましたやんか。書いてから思い出しました。なんか本末転倒です。

まあそういうこともあるよね。それではまた💓

サイケに日本を圧巻されたい。

昨年の年間ベストアルバムの並びに黄色い変な鳥のジャケットの作品を目にした方も少なくはないのではないでしょうか。

それは、WandというバンドのPerfumeというEPである。ひっそりと話題になっていたこれは素晴らしいEPだ。今日はこのWandというバンドについて紹介しよう。

各国でぐつぐつと広がっているサイケデリックロックシーンからいくつかバンドを紹介しよう。

Wandは2013年にロサンゼルスで結成されたバンド。ロサンゼルスのバンドだ。想像に難くないだろう。彼らはサイケデリックロックの聖地で活躍する、この世代のサイケデリックバンドだ。極めて彩度の高いメロディー、天国への階段を駆け上がるようなリズム、快楽に仰け反るボーカル、これぞまさにサイケ、間違いないバンド。いや、ネオサイケデリアに間違いはないのだ。

踊るように曲は始まり、間奏でふと単調なリズムに入り静かに力を溜めていく、ドラムスティックのカウントが聞こえたらそこからが本番。ノイズが響き、かっこよくヘヴィーなリフがこれでもかと繰り返され、ペダルが踏まれ、唸りながら、叫びたくなるくらい気持ちよくなっていき、一番良いところでスッと終わる。もはや定番と言っても良いかもしれない、現代サイケの至高の曲構造である。

もちろんこれらの曲たちは、スタジオ音源で聴いていても十分素敵だけれど、ヘッドホンの向こうへ行きたくなってしまう気持ちは収まらない。日本でどうにかしてサイケロックが流行って欲しいと思う。僕はライブでこの至上の恍惚に浸りたい。御本人たちの演奏の前で駆け回りたいし、跳ね回りたい。

Wandの素敵なアルバムはPerfumeだけではない。

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2017年のアルバム、Plume、これもまた素晴らしい。というより最近はこちらの方にもっとはまっている。Perfumeに比べると幾分ノイジーでアンビエントな要素もある。もっとポストロック的なノリも感じられる。サイケロックは、どのように食べても美味しいのだ。ストーナー色の強い初期の2014年のアルバムから数えて既にアルバムを四枚もリリースしている。二年サイクルでアルバム出るの待つのって怠いでしょう?とインタビューで語る気持ちは分かるが、タイセガールとのプロジェクトも並行しながらほぼ毎年アルバムを出し続ける彼らは少しやりすぎに思えなくもない。ボコボコ曲を発表するのに、どれも素晴らしくハズレがない。バンドの独自性、音楽の幅などもますます高みへと向かっている。こんなに素晴らしく野心的なバンドは信用できる。

また、このような多作傾向はサイケシーンでは珍しいものではなく、ハマれば当分楽しめて、その間人生は極彩色、良いことだらけなのである。この時代にサイケを聞かない選択肢はない。

 

 

しかし、しかし、現在日本でこのサイケデリックロックとか言われるジャンルが流行っていないことは問題である。来日するバンドにも偏りがあるし、来日してもちょい寂しい盛り上がり。どうにか流行ってくれないかと思う。

 

昨年のテームインパラのサマソニでの素晴らしいステージ、ついに決まったKing Gizzard & The Wizard Lizardのフジロック出演、今年がその年なのではないか、僕は強く期待している。もうアーティスト側は準備万端なのだ。

今年僕はこのジャンルをゴリ押ししていこうと決めている。日本のバンドである幾何学模様が世界を圧巻しているこの瞬間に、日本でそんなに流行ってないなんてのはどう考えても損です。

せっかくなのでいくつか、このジャンルの素晴らしいバンド、とその楽曲を紹介したい。

 

King Gizzard & The Lizard Wizard

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今年最も大騒ぎして聞くべきサイケデリアは彼らだ。これぞサイケである。ストーナーでデザートで、髪の毛が伸びるような音楽。オーストラリアのバンドです。

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こんなのはサムネを見ただけでもわかる、最高に違いない。これが今年ライブで見られるのだ。我々はもう少しクレイジーになっても良いはずだ。

 

幾何学模様 Kikagaku Moyo

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日本人である。CANとグレイトフルデッド、ジョージハリスン、サイケ色の強かった頃のピンクフロイドを食ったような今世紀のサイケリバイバルにおいて完全と言っていいような存在だ。LAのデザートデイズや、キングギザード主催のGizzfestを始め、世界中のフェスに出演している。また、昨年リリースされたアルバム、Masana Templesは好評につき、限定2000枚の初回盤は数日で売り切れである。言うまでもなく素晴らしいバンドである。彼らあたりがフジロックでキングギザードの並びで演奏してくれると幸せで仕方がない。

 

TOY

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TOY!!!クラウトシューゲイズバンドとして2011年に彗星の如く現れた彼らは、徐々にサイケデリックに、そしてどっしりとしたバンドに進化してきた。

1st、2ndのリリースの頃はサマーソニックやホステスクラブウィーケンダーで来日、超来日型バンドとなるかと思えたが、徐々にホステスさんからのプッシュも減ってゆき、前作クリアーショットのツアーではなんと来日がなかった。中国でのツアーはあったものの。リズムや音作りが目立つバンドは自ずとそれを武器にすることになり、それを求めてファン層が生まれていくものと僕は思う。シンプルな録音で戦おうとすれば、期待外れだったなどと言われるかもしれない。また若いインディーロックバンドにとっては疾走感というものは大切で、テンポが遅くなればそれだけ大衆受けするのが難しくなる。前作クリアーショットは正にそれがあからさまにわかる作品だった。良い作品であったにも関わらず、正当な評価を得られなかった。華がない、と言われてしまった。しかしこの様な方向転換は、迷走でもなければ、賭けでもない。それは挑戦なのだ。

現に今年のアルバムHappy In The Hollow で彼らは新たな地平を見せてくれた。売れ行きも、世間の評価も悪くない様子だと肌で感じている。彼らの挑んだ戦いは正しかったのだ。今作は日本でも聴いている方が多いだけに、今年こそは再来日を期待したい!!!!!

 

Fever The Ghost

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個人的にDMを送ったら、なんと、「アルバム今年には出したい!!!日本も絶対行きたい!!めっちゃ行きたいの!!」と返事が来ました。LAのひねくれポップ、サイケデリックことFever The Ghost。おもちゃで遊び暴れたMGMTのような音楽性、プログレッシブで楽しい展開に気が触れた様な甲高いボーカル、彼らのほんの四年前にリリースされた1stアルバムはもはや伝説の名盤と化している。(2ndアルバムが出ないからである)

メンバーにデザートデイズの運営に噛んでいる人が居たり、他バンドとの交流も太いので、ついにセカンドアルバムがリリースされれば、その音楽性は多方面から評価され、再び注目を浴びる!間違いない!来日も叶うのだろうか、楽しみで仕方がない。

 

Moon Duo

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ムーンデュオはアメリカはポートランドのバンド。どサイケご夫婦がやっている。幾何学模様やテンプルズなども駆け出しの頃お世話になっていたような界隈の重鎮バンドだ。ストーナーロックの趣が強いが不思議とヘヴィーではない、Toyやサーストンムーアのソロアルバムに見られるようなスタイリッシュなクラウトロックを消化したビートも聞こえインディーロックファンにもオススメできる。

 

Wand

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そして、冒頭に紹介したWandは今年アルバムを出すと言っている。四月十九日にリリースされる、その名もLaughing Matter、先行曲を聴いていただければ、期待が持てよう。素晴らしいアルバムになることは間違いない。15曲収録?いいや決して長すぎるなんて言わない、長くて濃い旅を期待している。

 

Vinyl Williams 

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ライオネル・ウィリアムスさんのプロジェクト、こちらもLA拠点のバンドだ。比較的シンセの音作りも得意な様で、ある意味エレクトリックでもあるため、空気の感じがかなりしっかりとしている。彼はヴィジュアルアーティストでもある。ビデオやアートワークのサイケ度合いで右に出るバンドは少ない。ちなみにTears for Fearsや Medicine、Unknown Mortal OrchestraのMVも手がけている。

 

Earthless

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悲惨ディエゴ出身のバンドだが今年パドレスはマニー・マチャドを獲得している。メタル色が強いがかなりサイケでスペイシーでもある。2015年以来の来日、期待したい。

 

BROTHER SUN SISTER MOON 

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日本のインディーバンド、ライブ映像を誰かのインスタストーリーで見て以来その音色に惚れた。しかし、そのライブ映像はない。ネットにある音源も少ない。必ず足を運んで見ていただきたい。大阪を拠点に活動しているようだ。Twitter のアイコンを見るからにSuuns なども意識していないわけがない。元はオルカショアという名のテンプルズ、エレファントストーンなんかに似た雰囲気のバンドを演ってた人が結成したバンドだそうで、今後が楽しみだ。なんかなかなか素敵なおサイケに思えるのでチェックされるといいです。MOURNの来日公演の前座などもされます。是非ご覧になって。ゲキ推し!

タンブラー:http://brothersunsistermoon.tumblr.com/

ツイッター:BROTHER SUN SISTER MOON (@BSSM_is) | Twitter

 

 

by merah aka 鈴木レイヤ

口の悪い若者2人がQueenを好き放題語ってみた〜第2章・破

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Queenbyapollobeshy


厚かましいオタクのバックチャットは止まることを知らない。ちゃんとしたファンサイトの運営主や古株のファンはお怒りになるかもしれない。正直ちょっとは好きな衣装の話とかしたい。カラオケでStaying Powerを歌いたい。だがしかしそういうんではない。どうもミヨシとべしちゃんです、第二回よろしくお願いいたします。

まずはこちらから→

moon-milk-overtrip.hatenablog.com

 

 

ミ:さて、まずは初期の活動をさらっていきましょうか。
メディアのバッシングに曝されながらも1973年にデビューアルバム「Queen」を発売。


べ:この段階ですでにプロデューサーのロイトーマスベイカーは付いてるんですよね。ここから「オペラ座の夜(A Night At The Opera)」まで彼がバックに就くことになります。
ムチャクチャ酷評されたようですが、出来はホンモノ…かつ楽器触る人ならハ?ってなる明らかに弦チームの弾きやすさを考慮しない譜面作曲っぷりがすでに炸裂しています笑


ミ:「Keep Yourself Alive」なんて出オチコード進行ですから。


べ:ギタリストであるブライアンメイ作のはずが…何故…


ミ:一説にはクレジットこそないもののフレディが噛んでるとも言われてますね笑

それはそれとして、デビューした1973年のロックの状況を見てみると、Led Zeppelinがハードロック以外の作風にも手を出した「聖なる館(Houses of the Holy)」を、Pink Floydがプログレの王者たる地位を完全なものとした「狂気(The Dark Side Of The Moon)」を発表。そしてグラムロックを彩っていたデヴィッドボウイは火星のロックスター、Ziggy Stardustとしての活動の終焉を宣言。70年代前半を代表するバンドがちょうど転換点にあった頃ですね。

学生生活を大学まで貫徹し、一部は社会人としての生活の糧すら得ていた4人は、先人の音楽を消化し、ロックミュージシャンとしてはそこそこ遅咲きの年齢で出てきたわけです。で、メディアには叩かれる...

 

べ:そんな転換期(だったことを踏まえると)にわりかし古臭いことをやっていたからメディアに叩かれたっていうのもなんとなく分かります。結構サウンドはリリース2、3年前の潮流のグラムロックに傾倒してるようにも聴こえるし、一辺倒にハードロックというにはなんとも難解なことをやる一方で、これが…モダン…?と突っ込みたくなる「Modern times Rock’n’Roll」、結局未収録に落ち着いたモロにビートルズを意識したような「Mad the Swine」なんかがありますし…

ミ:それでもって、インターネットもない時代に流行遅れなサウンドでやっていくリスクは今より段違いだっただろうし、肝心の多重録音要素は10ccが「I'm Not In Love 」でやってしまってるし...

 

べ:発売時期も背景も「ノーシンセザイザー!」表記もインフルエンサー気質を大いに携えていたと見た…まあ今で言う炎上って形だったのかもしれないし、ゲテモノ枠だったんでしょうね。

 

ミ:同時期に前身バンドなしで20代半ばにしてブレイクしたバンドが、オールディーズなどの懐メロ路線曲にひしゃげたシンセサイザーやぶっ飛んだビジュアルをぶつけたRoxy Musicだった、ということを考えると、さもありなんと。


べ:Sparksとかもね。ゲテモノしか出てきませんねあの年代…

(話をQueenに戻して)まっ、その後の曲作りのヒントが頻出してて、後追い勢的にはメチャクチャ美味しい!そんな感想を抱きました。笑

 


ミ:一応制作から発売までのラグがあるので、厳密には完全なる流行遅れとは言えないものの、やはり今聞いてようやく客観的に楽しめる作品ですよね。その後、間髪入れずに「Queen II」を発表。こちらではプログレ色が強くなります。


べ:メイ・テイラー作曲にて固められたサイドホワイト、マーキュリー作曲にて固められたサイドブラックと、A面B面で分離した特徴的な一枚! かのアクセルローズも「死んだらこれを棺桶に入れてくれ」と言及してますね。めちゃくちゃ分かる。


ミ:A面は異物混入してるわけですが笑 プログレと言っても千差万別ですが、彼らは自分たちのイメージに似合ったファンタジー路線を選んだので、日本でアイドル枠として大ブレイクする仕込みを図らずして作っていた重要作ですね。ただ、ライブでは完奏できなかった「The March Of The Black Queen」もプログレ脳からすると「え?演奏できないの?」って思ってしまうし、結局何者でもないところはまだ悪い面もあったという。


べ:あと色んな媒体でロック少年上がりの業界人の己の少年時代の語りツールになっているっていうイメージがめちゃくちゃ強い笑
まあでも皆さんがおっしゃる、レコードひっくり返してOgre Battleの逆再生でプレイヤーがぶっ壊れたかと思った…っていうエピソードは追体験してみたいし、それだけ同じようなエピソードが出回るということは流通量も前作とはダンチだったんでしょう。ほんとにここから圧倒的女王伝説の幕開けだ!みたいなところはありますね。

 ところでQueenといえば重厚なコーラスワークとブライアンメイのギターオーケストレーションですけど、もう1stと2ndの段階で仕上がってたんですよね。そんでもってそれってライブでの再現性は捨てにかからざるを得ない要素じゃないですか。
…で、74年のレインボーでのライブ。おそらくキャリア初期で公式に最初に作品として残されたライブ作品ですが…どう思いました?笑


ミ:酷い。


べ:ね!


ミ:パブリックイメージが85年、86年のライブか初期のスタジオアルバムなだけに、初期のモノホンのライブがコピバン状態になってるのは、楽曲の良さと多少のルックスで強引に突破したとしか言いようがないですね。


べ:そうなんですよ〜〜…日本で売れたのもミュージックライフ等の媒体が未だ声高々に言う「少女漫画チック!!!!」なところがデカイという通説が有名ですし、そこは私も女子かつオタク上がりなので分かるでしかないのは確かなんですが…


ミ:やっぱり音源とインタビューとフォトセッションと、情報源が少なかった時代性にフィットしてたんじゃないですかね。YouTubeなんかあったら、「音楽は最高なのにライブはがっかり」とか好き放題言われてますよ。きっと。


べ:Queenそのもの、というかトータルブランディングのクオリティはともかく、ライブバンド、もといミュージシャンとしての存在は当時どうだったんかなっていうのはあのライブ見て思いますよね。ライブバンドとしての他所との比較が効かない状態が初期キャリアの段階であったっていうのは現在Queenがイマイチ同世代ミュージシャンたちが作り上げた潮流と結びつかない一因かなって思ってます。


ミ:2年遅れの流行サウンドにイマイチなライブ、ただしアルバムの出来は凄い。多分遅咲きだけじゃないと思うんですよね。

 


べ:これっていわゆる逆輸入現象が起きてしまったおかげで、日本メディアの発信する情報では見えてこない一面ではあると思います。

さ、ここでシングル「Killer Queen」の発売を経てのアルバム「Sheer heart atack」登場ですね。
 1曲目「Brighton Rock」のテイク頭には(前作のクロージングナンバー)「輝ける七つの海(The Seven Seas Of Rhye)」のあのフレーズ! そしてまさしくキラーチューンの「Killer Queen」へと繋がるんですが、本人ら曰くこれでQueenとしてのやりたいことは終わった、と笑


ミ:3rdで早くもキャリアの集大成にかかってますからね。ハードロックにプログレを継承した上で、様々なジャンルの小品を並べ、当時までのポピュラー音楽の俯瞰を企てている。


べ:我らがディーキーも作曲に加わられて…尊い…


ミ:あれは曲なのか。


べ:ミスファーイャーいいじゃないすか、かわいい。なんにせよ今後の制作体制、もとい過去3枚で培ってきたものをどう枝を伸ばししていくかの方向性は、この地点で出たんじゃないでしょうか?
それとライブ用なのかなんなのか、なけなしのシンガロング曲枠も入りましたし笑


ミ:「In the Lap Of The Gods Revisited」のいきなりの感動の最終話感。


べ:今後あれだけ大合唱曲を連発する彼らにしたら随分小粒なシンガロング曲で、なんとも面白い。


ミ:逆に言うならば、初期の時点で既にコマは出揃っていた。


べ:少女漫画(売れ?)どころか展開は少年漫画じゃねえか…


ミ:既に30手前の行き遅れの起死回生である。

 

 
べ:もっと起死回生です、来ました邦題「オペラ座の夜」こと「The Night At The Opera」。
何故かメタル系メディアが作る必聴アルバムランキングに上位にいがちです。


ミ:結論から言うと、流行音楽のまとめという作風を貫き通し、それをアップデートした名盤ですね。


べ:語らずもがなの大名盤ですね。1番聴いてるかも。


ミ:ただ、このアルバムだけが特異点というわけでもないので、それまでの3枚と人気を取り合っているのもまた事実。

強いていうならジョンが前作との間にめきめき作曲能力をあげたのと、言わずと知れた「Bohemian Rhapsody」が収録されているところが評価点ですね。

 

べ:次作「華麗なるレース(The Day At The Races)」はこのオペラ座と抱き合わせで捉えられがちですが…まあ確かに影の薄いアルバム…かな?
今作では初のセルフプロデュースに踏み切っているんですよね。ただまだこの段階ではそこまでセルフプロデュースの影響は感じないものの、「Somebody To Love」に代表されるような、どデカいシングルがアルバムイメージより先行で来る…っていうこれ以降のクイーンの片鱗がやや見えています。


ミ:曲も前作で同ポジション曲があったものが多く、日本語曲「Teo Torriatte(スペル!)」がある以外は極めて高品質な二匹目のドジョウといったところでしょうか。

 

     

 

べ:転換期がどこで来たかっていったら、ちょっと彼らのステージ衣装もカジュアルかつ狂った方向に流れてきた「世界に捧ぐ(News Of The World)」以降なんですよね。ライブにおける弱さみたいなのの自覚があったのかなんなのか、「We Will Rock You」「伝説のチャンピオン(We Are The Champions)」など、Queenの枠を外れて世界のアンセムと化した2曲が出てくる。


ミ:以前の曲が弱かったかということ別にそんなことはないし、むしろ楽曲やアルバムの評価としてはそれまでの方が高いですけど、いきなり一皮剥けるんですよね。


べ:「Bohemian Rhapsody」の大当たりで掴んだアメリカ市場を意識したんでしょうか、分かりやすさがダンチです。でも次回作「Jazz」でアメリカ市場を皮肉る「Bicycle Race」が収録されたり、まあなんとツンデレな…でも「世界に捧ぐ」からよりビジネスとしての音楽が上手くなったのは確実ですよね。


ミ:アメリカ市場の他にパンクも大きかったんじゃなかったですかね。このままでは先人に並びきることなく「スタジオアルバムが凄かったバンド」で終わってしまう危惧感もあったようには思います。
シドヴィシャスとの邂逅のエピソードが当時のバンドを取り巻く状況を端的に表してますね。


べ:この時期のライブが音源としてもリリースされている「Live Killers」。どう聴いてもライブバンドになってますね。ただ(前述した通り)本人たちが初期2作と 「Killer Queen」でやりたいことはやりきったと語ったように、スタジオアルバムとしての質がちょっと変わってくるんですよね。


ミ:今までは物語というか、曲の並べ方で1つのストーリー性をつけていたのが、シングル集になるんですよね。


べ:そう!「Jazz」はかろうじて今までの体裁を(無理やり?)保っていたものの… 

 

     

 

 

Queenは目覚める。傍らに立つ見知らぬ髭面。そして彼を待つ新たな世界。次回 口の悪い若者2人がQueenを好き放題語ってみた:Q さぁてこの次も、サービス!サービスゥ!