新世界とサンタクロース<ss>
やがて誰もがここを後にし空へと登った。
それも50年も前の話だ。今日も歩く。歩けど歩けど濁った白色の平原の照り返しが目を刺すばかりで、ヒビの入ったサングラスもいつしか体の一部のように目にまとわりついているのが当たり前になった。かかとの擦り切れたブーツと一緒にジャリジャリと味気ない音を引きずり、どこまでも続く塩の大地を歩く。不意に背後から降ってきた灰にかつての雪を思い出した。暑くもなく寒くもなく何もなくなってしまったここに降る灰はかつてここを埋めた雪の抜け殻のようだった。大きな咳がでた。右も左もない世界で回れ右をした。
「歩き屋。今頃本当は冬だってね」
「もう50年も前の話さ。いや年数だって定かじゃないね」
「54年目さ。2187年の12月の15日」
数え屋は数えるものすらなくなったこの世界の全てを数えている。「どうだ、歩き屋。きみはまだ、歩くのかい」
「もうやめだ。俺も歳さ。おじさん同士、ここで干からびようじゃないか」
「152回聞いたよ。それでもきみは行くんだろう」
「どうだか。俺のやってることに意味が見つかる日が来たら歩くのをやめる、それだけさ。この会話もきっと152回目だ」
数え屋の本当の名前は知らない。本当の生まれも、歳も知らない。ただここで生きていて、役目を見つけた人間だ。
「数え屋よ。なんでお前は数えるんだい」
「それしかやることがないから。歩き屋が歩くようなものさ」
へへ、と笑って酒屋のつくった古い酒をあおった。
「酒屋はどうしてるかな」
「5ヶ月と7日もう彼を見てないなぁ。南西へ行ったから。あそこには小さい村がある。もうここへは来ないかもなぁ…」
生きる意味がある連中はいい。意味のねえ数を数えるのでもいい、生き残っちまったバカどもに酒って現実逃避を売りつけるのでもいい。もう体も長くはない。
「なあ歩き屋、きみはもう行くんだろう、酒屋とおんなじように」
数え屋はどこかすがすがしい顔をしていた。
「歩き屋。実は14日前に、北からビーコンを受信したんだ」
「そいつぁめでたいね」
「…ここから13540マイルだ」
「…お前さんは来ないのかい」
「ああ。もう眠くなっちまってね…。ただが4年と6ヶ月の付き合いだったが、歩き屋と出会えてよかった、お前さんの見たものが俺の見たものさ」
そう言うと、数え屋は柔らかな灰が塩の平原に降り積もるよりも静かに眠りについた。
今日はポラリスが出ている。真っ直ぐに歩けばじきに着くだろう。気づけばブーツのかかとに穴が空いて塩が足の指にまとわりついていた。数え屋の代わりに夜が来る数を数えて3年と10日が経つころに北の果ての通信塔が見えた。この世界でビーコンが鳴るのは、新たな命が生まれた時だけだ。少し胸が高鳴るのを自覚せざるを得なかった。休憩が足りなかったせいか、十余年ぶりに鳴ったというその無骨な福音のせいか。
白い地平線の果てに小さななにかが動くのが見えた。小さななにかはこちらに気づき、トタトタと駆け寄った。3、4歳頃だろうか。ずいぶん時間が経ってしまっていたようで、どこで道草を食ってきたのか考えを巡らしていると小さななにかは赤い鼻をこすりながら凛とした声を出した。
「おじいさん誰」
「誰でもねえよ。お前さんに会いにきたんだ。坊主幾つだ」
「数えてない、分かんない」
「それでいい。おら坊主、抱っこしてやろう、プレゼントだ」
小さななにかと一緒に空を見上げた。あたりはすっかり夜で、数え屋のテントをでたあの夜に見たポラリスが真上に輝いている。
「おじいさんはなにしに来たの」
「俺かい?坊主、俺は歩いて歩いて、お前さんとお祝いしにきたのさ」
溢れる涙が頬に刻まれた深いシワを伝い、小さな命のぴんと張った頬に溢れる。小さな子どもはそれを拭う。
「おじいさんどうして泣いてるの」
「なんでもねえよ、こういう日はメリークリスマスって言うんだぜ」