Apollo96

地球の月から文化共有。音楽、映画、文学、旅、幅広い分野を紹介します。時々創作活動も。

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堂本剛をレビューする〜前編〜

moon-milk-overtrip.hatenablog.com

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こんにちは。ミヨシです。

 

 

 

 

 

夏ですね。フェスですね。

 

 

 

 

 

 

堂本剛がイナズマロックとサマーソニックに出ますね。

 

 

 

 

 

と周りに言っても、見るつもりの人はほぼいなく、「えっ、ENDRECHERIって堂本剛なの!?」って反応も少なくない。

 

うむむ...

 

そうなのだ、やっていることはゴリゴリのファンクミュージックであり、ファンク好きでなくとも、ロック〜ヒップホップ好きの界隈ではもっと取り上げられて然るべきサウンドなのだが、やはり「アイドルのソロ活動」という事実が逆説的に「音楽が趣味!」という人たちにスルーされる要因になっているのだろう。

 

そうはいっても、堂本剛のソロはアイドルとしては異色だらけである。事務所から独立した独自の企画・プロモーション(バックバンドは彼自身によるブッキング)、ギター・ベース・ピアノ・ドラムとマルチプレイヤーとしての力量、コロコロ変わる名義とサウンドコンセプト、一筋縄ではいかない作曲センス、公式の宣伝に掲げられる「プログレ」の4文字etc...これだけ列挙したら、むしろ彼をアイドルという色眼鏡で見る方が難しいだろう。

 

そういうわけで、このブログを読んでいるおそらくは音楽と映画を雑多に吸収している方々に向けて、アイドルとしてではない堂本剛のソロ作品をレビューしていきます。

 

レビュー内容ですが、オリジナルアルバムを前後編に分けて取り上げます。また、最近はジャ◯ーズの方針で初回版A/Bと通常版の全てを買わないと収録曲をコンプリート出来ない商法となっており、最近のアルバムについては懐事情で一番収録曲の多い通常版を基本的にレビューしていこうと思います。あと、お上が怖いからジャケット写真は貼りません。曲も貼れません。てか、動画サイトにない。文字だけで見づらくてすいませんね...

 

 

 

 

1st「ROSSO E AZZURRO」(2002年)「堂本剛」名義

 

 

アイドルではなく、堂本剛としての心の叫び。異色のアイドルソロデビュー作。

 

上記の「心の叫び」を説明するために、まず彼がソロ活動を始めた経緯について話そうと思う。デビューから数年間、芸能界に揉まれながらも必死に営業活動を行っていたKinKi Kidsだが、カメラの前にいる限り、ずっとアイドルとしてのイメージを保たなければならない。時としては自分の言いたいことではなく、「アイドルとしての自分に望まれてること」を言うことも必要で、次第にそれは彼の負担となっていった。「偶像としてのアイドル」であることに疲弊した彼は、無断で髪型を著しく変えたり、奇抜な格好をしたりと、明らかに事務所としては不都合な問題児となっていった。

更には日々のストレスから過換気症候群とパニック障害も抱えており、不安定極まりない剛の精神面を案じた社長は「自分で曲作ってソロやってみれば?」と提案した(おそらくは「YOUやっちゃいなよ」のノリ)。ガス抜きとして、言いたいことの言える場所を提供しようとしたわけである。

その結果出来た曲がポジティブなはずはなく、事務所はもっとラブソングを書くように説得したものの、結局は剛の表現したいことをそのまま貫き通すこととなった。かくして、全曲作詞・作曲というだけでなく、歌詞は内省的というおよそアイドルらしからぬ、デビュー作にして異端作が完成した。

 

さて、内容であるが、上述の背景がはっきりと歌詞に現れているのは「Purity」と「Panic Disorder」の2曲である。前者は本心で語ることが出来ない今の自分の立場を関西弁で荒々しく切り捨てており、後者はパニック障害に苦しみながらも強く生きようとする様を歌にしており、いずれも1人の人間としての「堂本剛」の心境そのものである。

他はラブソングがメインで、それなりにアイドルとしてのイメージを保ってはいるものの、露骨に淫らな一節を入れたり、彼の十八番である女性視点の歌詞も「溺愛ロジック」や「あなた」で見られ、やはり模範的なアイドル像からの逸脱は顕著である。

肝心のサウンドの方は、まだファンクとの邂逅は果たしておらず、椎名林檎風の「Luna」やまんまミスチルの「街」など、当時のJ-Popないし、J-Rock(あえて邦ロックではなくJ-Rockと言わせてもらおう)の模倣の域を出ていないところは見受けられる。一方で、冒頭の「さよならアンジェリーナ」からいきなりブルースであったり、椎名林檎的な曲が多いだけあって、後々の彼のサウンドの特徴であるドロっとしたエッセンスは既に確立している。

総括すると、彼のソロ作品の中で最もパーソナルな作品であり、音楽的にはまだまだこれからというところだが、バンドのデビュー時に付き物の青臭さや初期衝動といったものを楽しめる点では、堂本剛の音楽を初めて聞くにお勧めできる1枚である。

  

2st「[síː]」(2004年)「堂本剛」名義

 

 

J-Rockとしての集大成であると同時に、後年の彼の作風の片鱗が垣間見える架け橋的作品。

 

「See」と「Sea」と「She」のトリプルネーミングである本作は、前作のパーソナルな作風は鳴りを潜め、より音楽的に成熟した1枚となっている。ギターリフが曲をリードする「誰かさん」や疾走感溢れる「リュウグウノツカイ」(彼の深海魚好きは次作からの名義、ENDLICHERI☆ENDLICHERIに直結する)などの完成度の高いロックナンバーから、ジャズピアノの伴奏から始まる「ココロノブラインド」、スカナンバー「Saturday」、グルーヴィーなベースが主役の「See You In My Dream」など様々な曲調が揃っており、1stからのドロっとした感じは保ちつつ、もはやアイドルとしてどうのこうのという域は脱したクオリティーに達している。

また、インスト曲についても述べておかねばなるまい。16曲(初回盤は15曲)中、3曲がインスト曲と、ボーカリストのアルバムとしては比較的インスト率が高い。これは今後の彼の作品の特徴であり、次第に楽器でも参加するため、インストであろうと彼の居場所がないわけではない。むしろライブではジャムセッションが組み込まれ、長尺なインストパートが当たり前になっていくのである。

最後に追記しておくと、本作では西川進(今後の剛作品にも参加)や亀田誠治が参加しているため、彼の曲が椎名林檎っぽいのは誇張でもなんでもなかったりする。

 

 

3rd「Coward」(2006年)「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」名義

 

 

デジロック+ファンクの邂逅と覚醒する作曲能力。アイドル→ミュージシャンとしての新たな序曲。

 

ここまでアイドルという色眼鏡を意図的に用いたり排除したりしつつ、レビューを書いてきているが、アイドルというレッテルは本人の中でもネックだったらしく、本作では「あの堂本剛」という色眼鏡をエキセントリックな名義で覆い隠している。通常盤のジャケットでは本人の姿はなく意味不明な幾何学模様がちりばめられているのみ。それを言うなら1stもご尊顔拝めないジャケットでしたけど。

本作までは意地悪な見方をすると「でも他にこういう音のミュージシャンいるし」と言えたのが、今作からはそれが通用しない、唯一無二の世界観を構築することに成功している。6〜7分台の曲が当たり前、エキセントリックなメロディーと歌詞、胡散臭いヴィジュアル、ますます増えるインスト。「堂本剛は面白いぞ!!」と僕が叫ぶ場合は大体この時期からを指している。

 

さあ、内容をさらっていこう。まず今作での大きな変化は打ち込みとファンク要素の導入である。1曲目からバキバキのテクノサウンドにギターが絡むインスト曲「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」で意表をついた後、約7分の壮大なボーカルナンバー「故意」が続き、もうこの時点で鷲掴みなのだが、駄目押しとばかりにメランコリックさとサビのボーカルとベースのフレーズが病みつきになる「雄」、過去最高にねちっこい「a happy love word」と「16」が続き、情報量のインフレが著しい。そして、今日に至るまで剛作品の軸であるファンク節が炸裂する「Chance Comes Knocking」がアルバム前半を締めくくる。

その後も、Blurにも通ずるようなひねくれていて陽気なポップセンスの「御伽噺」(特に間奏のストリングスパートで何の脈略もなく差し込まれるピー音の破壊力)、爽やかな曲調とブラスの応酬に何故か腹筋が6つに割れる歌詞の「Six Pack」が続き、1時間超の収録時間でありながら、一切ダレることなく名曲が続く。

この時点でお腹いっぱいなのは文章を読んでいても伝わることとは思うが、諸行無常の美しさと切なさを歌い上げたシングル曲「ソメイヨシノ」に、通常盤のみ収録の理由を疑う儚くも力強い「美しく在る為に」と、バラードでも一癖も二癖もあるものを書き上げてくる剛、只者ではない。

そしてアルバム最後を締めくくるは「これだけの日を跨いで来たのだから」。歌詞は世界で悲しいことがあっても前向きに生きていこうという人生賛歌であるが、今までに彼が抱え込んできた闇を明るみに出して、その上で踏み出していくという決意表明なのが節々に伺え、大団円なサウンドも相まって、最後に幸せを勝ち取った彼の生涯(この時点でまだ30歳にもなっちゃいないが)を追ったドキュメンタリーのスタッフロールを見ているかのような多幸感がそこにはある。

 

以上、長々と語ってしまったが、とにかく大名盤である。彼のエキセントリックな人間性を楽曲にも昇華し、ファンクやテクノなどの新要素に反映させた上で、今までのアイドルとしての葛藤に1つの答えを出し、新しいペルソナ「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」で活動していく喜びに溢れた1枚だ。最近の作品が良くも悪くもミニマムでソリッドなサウンドになっているだけに、本作は剛はおろかKinKi Kidsに興味のなかった人が一聴して彼の個性を楽しめる、最良の時期の作品である。

 

4th「Neo Africa Rainbow Axe」(2007年)「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」名義

 

 

よりファンキーでクレイジーに。胡散臭さマシマシ。ラリーグラハム参加作。

 

タイトルの頭文字を取ると剛の地元「奈良」になる本作は、むしろフルで訳した場合の「新しいアフリカの虹の斧」の胡散臭さの方が全体の色を表している。前作よりもファンク色が強く、強いて言うとほぼ全曲が何かしらファンク要素を持つアルバムである。一番露骨なのが、冒頭の「ENDLICHERI☆ENDLICHERI 2」におけるラリーグラハムのゲスト参加だろう。そう、スラップ奏法を発明した、あのラリーグラハムである。恐れ多くも彼のベースにギターで絡むだけでなく、日本語で「いち、に、さん、し、ご」だとか「さよなら」だとか言わせているのである。この図々しさ、まさにファンクをやるのに必要な器と言って間違いなかろう。

打楽器により申し訳程度のアフリカ要素がある「傷の上には赤いBLOOD」、スティーブエトウの強烈なボイスパーカッションが光るインスト曲「Sparkling」、やっぱりセンスが狂ってる「FISH DANCE」と、ファンキーな楽曲の揃い具合では現時点での最新作「HYBRID FUNK」と並ぶ充実度である。

彼の歌心を堪能できるナンバーとしては「空が泣くから」と「Rainbow wing」が揃っている。いずれも「パワーバラード」とでも言うべき、力強さが前面に出た楽曲で、特に後者のクライマックスで伴奏が止まって彼一人の独唱になるところは鳥肌。

なお、「Take U 2 The Rainbow Star」という楽曲があるが、シングル曲「The Rainbow Star」とは別曲なので要注意。

 

5th「I AND 愛」(2008年)「244 ENDLI-x」名義

 

 

エキセントリックさはそのまま。テクノで聞こう、十人十色のラブソング。

 

さて、名義変更に伴ってシングル「Kurikaesu 春」と共に発売された本作だが、前作がファンクに振り切れたのに対し、こちらはテクノないし打ち込み要素が強まり、「coward」で生み出された2つの新要素の発展を補完する形で楽しむことが出来る。

また、タイトルから分かるように、デビュー時には書こうとしなかったために事務所と揉めたはずのラブソングがアルバム全体のテーマとなっている。と言っても、単純なボーイミーツガールなはずがない。曲名通りに悲痛な心の叫びが歌われる「Help Me Help Me…」や、妻に先立たれた老人の心境を歌うバラード「春涙」、まんま性行為の話の「H/A/P/P/Y」など、様々な形の愛が歌われる。

また、サウンドもぶっ飛びまくりで、「深紅なSEPPUN」(なんだこのノイズ)「Silent love」(なんだこの音割れストリングス)辺りを聞けば、いかに彼のセンスが非凡かがよく分かるかと思う。

最後の曲「Say Anything」ではBONNIE PINKがコーラスで参加しており、R&B風のサウンドでしっとりと歌い上げる2人の歌声を聴いて、剛の声に改めて惚れ惚れして終了。今回も名盤であった。

 

 

 

以上、彼のソロのキャリアの前半をレビューしてきた。この記事のために改めて聞き直したのだが、名義変更あたりから彼の非凡なセンスが炸裂していて、自分がソロを始める以前から聞いていた刷り込みとは関係なく、もっと評価されるべきだという思いを強くした。

今後彼の音楽がどう変化していくか、実は僕もイマイチわかってない。お恥ずかしながらここ数年アルバムをチェックしておらず、サマソニリベンジ!の報に慌てて新譜を買ったクチなのだ。そういうわけで、後半の記事は僕自身が楽しみでもある。サマソニまでに頑張って完成させよう。。。

 

以上、ミヨシでした。