Apollo96

地球の月から文化共有。音楽、映画、文学、旅、幅広い分野を紹介します。時々創作活動も。

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muse, truth, matrix.

Welcome to the real world.

What is real? How do you define 'real'?

 

映画「マトリックス」のセリフである。

今まで当たり前のように生きてきた世界が、機械によって見せられていた仮想の世界でしかなかったことを目の当たりにしたネオにモーフィアスが放った言葉だ。

この世界は仮想空間であり、自分の意識はこの世界の外部の存在の意のままにコントロールされている... インターネットによるもう一つの現実が姿を現した20世紀の終わりに発表された本作は、後のSF作品に大きなインパクトを与えた。異なる人格や性格のペルソナを作り上げ、掲示板をまるで「第二の現実」のように謳歌する人たちがいる世界は果たして本当の「現実」なのか?

シミュレーション仮説。マトリックスで用いられた有名な概念は、20年近くの歳月を経て再びMuseの作品の題名としてポップカルチャーに復活した。それも80年代のSFカルチャーの引用と共に。何故か?

 

アルバムのオープニングナンバーである「Algorithm」。「マトリックス」のオマージュも散見されるPVでは、主人公が今生きている世界がシミュレートされた虚構であるという事実に辿り着く。

 

「Thought Contagion」のPVにその答えはある。その映像では、本当に起きた真実ではなく信じたいものを真実と信じる人々 ー ポストトゥルースの徒 ー の思想がウイルスのように伝播していくという歌詞を、Michael Jacksonの「Thriller」のオマージュの形を取って表現しているのだ。

SNSの発達や各分野の技術や情報の複雑化により、誰でもデマをばら撒くことができる上に、それを否定することが難しいという極めて厄介な状況に陥ってしまった現代。それはまるでゾンビが不治で不死のウイルスをばらまいて行くかのようである。デマに振り回される人々は自らは「真実」を知っていると確信し、己が過ちに気づかない。

デマの生成者とその罠に引っかかる民衆。本来の意味合いとは異なるものの、構造はシミュレーション仮説そのままである。無知蒙昧な大衆がなまじ大量の情報にアクセスできるようになった結果、デマゴーグに完全に弄ばれるようになった現代社会を、SFやかつてのポップカルチャーの引用で痛烈に批判する。今までのMuseからは表現者として一回りも二回りも成長した様が見て取れる素晴らしい映像作品だ。

 

 

また、Michael Jacksonという80年代のポップアイコンをモチーフとして使っていることも見逃せない。MTVの登場でPVの重要性が増した時代の作品を、映像が重視された最新作で引用するという表層的な共通点だけではない。豪華絢爛で刺激的でありながらも、画一的で大量消費用の商品でしかなくなったポップカルチャーが氾濫し、それをマスメディアが喧伝し、人々の視覚や聴覚を通じて否が応でも摂取させていた時代。流行に翻弄され、右往左往する当時の人々の様はゾンビのようでもあり、それは丁度ポストトゥルースを信じる2018年の人々のようでもある(決してMichael Jacksonを揶揄しているわけではない。むしろ彼も彼でそのマスメディアの誹謗中傷の対象にされていたわけで、ある種犠牲者でもある)。

ミーハーであるMatthewが悪意を持って一連のPVを80年代風に仕立て上げたとは到底思えないが、その一方で、初期にはマドンナの持つレーベルから「ファルセットを抑えろという命令を無視した」として契約を切られており、80年代の音楽に100%ぞっこんということもないだろう。もし80年代と完全に懇ろだったとしても、その享楽と退廃に満ちた世界観を身をもって表現してくれるのだ。ファンとしては迷走期のBowieのように見ていて危なっかしくて仕方ないが。

そのDavid Bowieも「Fashion」で80年代の入り口にして流行に振り回される人々を揶揄している。まさか自分がその後10年近く流行に振り回されることになるとは思っていなかっただろうが。

 

最後に、他曲のPVとの関係性やアルバムの物語全体の構造にも少しだけ触れておこう。

冒頭で主人公が操作する「Dig Down」のゲーム。そこでは孤軍奮闘する義足の女性キャラが80年代風のゲームの主役として戦っている。「Dig Down」はシミュレーションの世界から抜け出すために戦うことをアジる曲であり、「Thought Contagion」の主人公も最後にはゲームの中の存在でしかなかったことが明らかになることを踏まえると、世界は無限の入れ子構造になっているかもしれないという恐ろしい想像を促すトリガーとなっている。

 

また、Museのメンバーの登場方法だが、

Matthew→「Thought Contagion」より一つ上層にある世界での住民

Dominic→主人公のいる世界(=ゲーム内)でジャンキーたちを取り締まる警官

Chris→ポスターのみの出演で、「Dig Down」のMax Headroom(80年代に冠番組を持ったCGの司会者)スタイル

となっている。

 

「Something Human」ではリズム隊が狼男と化したMatthewをカーチェイスし、「The Dark Side」ではMatthewがシミュレーションを破壊しようと奔走する様を見るに、Matthewはこの世界が偽物であると気がついたマトリックスのネオであり、リズム隊は世界の構造に気がついた人間を排除するエージェントスミスという風に見るのが良いだろう(Dominicはゲーム世界とその上層の世界との両方で実体を持っている)。そう考えると、「Something Human」で異形の姿と化すMatthewは、PV内での善悪構造をミスリーディングさせる演出、ひいては何が「真実」かが不明瞭なポストトゥルースのテーマに沿った演出と言うことだろうか(尤も、PVという形式上、物語よりも映像的インパクトを優先しているだけかもしれないが)。

 

 元々アルバム全体の話をするつもりだったのが1曲の解説だけになってしまったがため、話がやや散漫としてしまったが、以上を通して1つ言えることがある。

アルバム「Simulation Theory」はMuse史上1番のエンターテイメントであり、1番のコンセプトアルバムである。

 「Thought Contagion」に的を絞ったのは、アルバム全体の構成が1番色濃く出た楽曲とPVであるからだけで、 他の曲に目をやっても、ここ数年のどうにも要領を得ない作品群とは別物であることが良く分かる素晴らしい出来である。その辺りの話はまた次回の機会にして、今回はここらで筆を置くこととしたい。