Apollo96

地球の月から文化共有。音楽、映画、文学、旅、幅広い分野を紹介します。時々創作活動も。

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King Crimson来日レポ12/09/2018&12/10/2018@グランキューブ大阪

moon-milk-overtrip.hatenablog.com

 

人がロックやポップスなどのポピュラー音楽のライブやコンサートを見に行く理由とは何だろうか。

おそらく一番多い理由は「写真や映像の中の人間が目の前で見れるから」「生で演奏が聞けるから」という「本物」志向に基づいた答えだろう。雲の上の存在だと思っていた人が目の前に現れる。それだけでも我を忘れるぐらいに興奮状態になる人は沢山いる。その「現前性」はただそれだけで効力を発揮するのだ。

次に多いであろう理由は「彼ら/彼女らはライブバンドだから」「演奏がライブだと凄いから」などという、音楽体験に対する反応だ。「ライブバンド」が何なのかという問いには色々な意見があるだろうが、大きくまとめると2つ。「即興」か「扇動」か。この2つを巧みに行うバンドはライブバンドとして高い評価を得る。

 

クリムゾンの場合は主に後者の「即興」による評価で人々を会場にいざない、半世紀という年月を生き延びてきた。スタジオアルバムはあくまでも記念撮影や設計図に過ぎないと言わんばかりのライブの実態は、多くのブートとFripp御大による大量のアーカイブ公開によって明らかにされてきた。彼らが始終自らをライブバンドと定義付けてきたのは大体のファンが同意するところであろう。

 

さて、今のクリムゾンはどういう存在なのだろうか。オールタイムベストの選曲とトリプルドラムという編成は、かつてのような即興を行う場を失った。そして「現前性」に関しても、来年50周年を迎える彼らを生で見て、今更そこまでの興奮を覚えるファンもいないだろう。

今のクリムゾンは「現前性」を音楽体験に接近させた上で1つのパッケージ作品を提供しているバンドであると自分は考える。3人のドラマーが直接空気を震わせることによる迫力は、その場でしか体感できないものであり、即興を切り捨ててでもライブでしか得られない経験を創出している。

(その点では映画館の最近のトレンドである「爆音上映」が1番近いかもしれない。「何故人はわざわざ映画館に高い金を払って見に行くのか」という問題に向き合って出した1つの回答である)

そして所々に差し挟まれる即興によって、かつての伝説化されたバンドの亡霊が顔をのぞかせ、そのパッケージ作品にライブたる必然性を更に加味する。

 

このレポが、何故クリムゾンが同年代の同窓会バンドと異なる次元で邁進し続けるのかを、部分的にでも理解する一助となれば幸いである。

 

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3年ぶりの来日は、前回に増して厳戒態勢でのおもてなしで迎えられた。

前回の本編後とアンコール後との退場までの間の撮影可能時間は、アンコールの曲も撮影する違反者の続出で制限され、撮影はアンコール後のみとなった。また、ホール内でのスマートフォンの操作も禁止と徹底され、誘導スタッフの顔や口調はいつとなく厳しいものとなり、場内ではロックのライブだというのに非常にピリピリした空気が漂っていた。

定刻スタートということも場内スタッフにはお達しが来ており、エントランスで団欒してる客も10分前には追い立てられるように座席に座らさせられる。3分前にはFrippによる「撮影禁止、Tonyがカメラ取り出したらいいよ。20分の休憩がある。さあパーティーしよーぜ。いぇーい」というアナウンスが流れ、終わりと同時に暗転する。

 

そこから始まるのは地獄である。

 

セットリスト

12/09

第一部

Larks' Tongues in Aspic I

Neurotica

Suitable Grounds for the Blues

Lizard

Discipline

Indiscipline

Epitaph

Larks' Tongues in Aspic IV

Islands

 

第二部

Devil Dogs of Tessellation Row

The ConstruKction of Light

Peace: An End

Easy Money

Moonchild

The Court of the Crimson King

Radical Action III

Meltdown

Radical Action II

Larks' Tongues in Aspic V(Level Five)

 

アンコール

Starless

 

12/10

第一部

Hell Hounds of Krim

Discipline

Indiscipline

Cirkus

Moonchild

The Court of the Crimson King

Fallen Angel

Larks' Tongues in Aspic II

Cadence and Cascade

Radical Action III

Meltdown

Radical Action II

Larks' Tongues in Aspic V(Level Five)

 

第二部

Devil Dogs of Tessellation Row

Neurotica

The ConstruKction of Light

One More Red Nightmare

Red

Epitaph

Easy Money

Starless

 

アンコール

21st Century Schizoid Man

 

両日とも、そして第一部と第二部ともどもドラムの独奏、あるいは三重奏で3時間に渡る長丁場のライブは幕を上げた。「Larks' Tongues in Aspic I」冒頭のガムラン音楽のように金物が絡み合う精密さ、「Hell Hounds of Krim」の全員片手にドラムスティックを2本ずつ挟んでタムを叩く力強さ、「Devil Dogs of Tessellation Row」のドラムソロとしては比較的分かりやすいキャッチーさ。いずれにしても野獣のように吠える現行の真の顔を見せるには至らず、場内の張り詰めた空気に気圧されたオーディエンスを懐柔するかのように、紳士的な自己紹介を始める。

とは言え、3人のドラマーがいるという事実を会場が受け止めた途端、すぐに彼らは牙を剝く。Frippのギターのフェイドインから一気に不穏な空気が醸成され、ヘヴィーな主題のユニゾンになだれ込む「Larks' Tongues in Aspic I」、Steve Reichなどのミニマルミュージックをロック的解釈で再構築したポリリズムナンバー「Discipline」「The ConstruKction of Light」、原曲の爆発力をジャジーなイントロでより強調させた「Neurotica」と、誰か1人でも気を抜いたら即崩壊の音の集合体をオーディエンスに耳に突きつけ、3方向からの打音でスピーカーを介さずに体を内側から直接揺さぶるのだ。

開幕早々脳内で処理しきれない量の情報の洪水に襲われたオーディエンスは、この感覚こそがまさに現行クリムゾンでしか味わえない音楽体験であり、それは会場で直に音に揺れ動かされないと理解できないものであるということを感じ取る。極めて即物的であるが、近年のネット文化においてライブ会場に行かないと分からない音楽を生み出したということは彼らの最大にして最高のアイデンティティーである。

「Discipline」ではドラムフレーズを三分割して重ねがけすることでSteve Reichなどがガムランなどの民族音楽のフィールドワークで得たポリリズム的音楽により一層の回帰を果たし、「Lizard」ではGavin HarrisonとJeremy Stacy(全ての音量がでかくてまるでボンゾのよう)の怒涛のドラム捌きが頭を吹き飛ばす。これらはその場にいなくても楽しむことが出来るが、会場で体全体で音を感じ取ることで得られる高揚感は段違いである。「クリムゾンとはライブバンドである」。即興要素が少なくなってもそうだと言い切れる理由がここにある。

とは言いつつも、充実面はその生音での迫力だけではない。現編成での新曲「Radical Action I」は前回の来日以降更なる編曲が施され、よりダイナミックに、よりスリリング(高速ユニゾンはまるで往年のRushのようである)に、そしてよりヘヴィーに進化している。「Indiscipline」でのドラム回しの曲芸は、おふざけのようでいて確かなテクニックをエンターテイメントに昇華させたものであるし、「Larks' Tongues in Aspic IV」のFrippの高速シーケンスパートにはただ圧倒されるばかりである。

また、「Islands」の孤独に響き渡るピアノや流麗たるサックスソロとその後ろで海の広大さを示すかのように響き渡るメロトロンのストリング音。「Easy Money」の中間パートから歌に戻る直前のギターとスキャットの大立ち回り。定番のハイライトもより精度を上げて再現され、トリプルドラムという目玉にもたれかかったわけではない真剣勝負の演奏を聴くことが出来た(そういう意味で、「Indscipline」「Starless」の爆発パートで妙にドラムが静かなのは実に面白い。意識して聞くと「ここぞ」という山場でドラムがシンプルであったり、ジャズの香り漂うナンバーで粗野なドラムが炸裂するパターンが結構あるように思える)。

とは言え、完全無欠なパフォーマンスだったわけではない。「The ConstruKction of Light」ではギターが鳴らなかったがため、他のパートも相次ぐ拍子の変化にミスが多発し、「21st Century Schizoid Man」ではMelのソロが長すぎたのか、途中でFrippが爆音でソロを開始し、強引に引き継ぎを行った(あと、 Jeremyのリードパートが必死にタムを叩いていて到底「伴奏」と呼べるものではなかった)。「なまもの」であるが故のそういったアクシデントや緊張感も感じ取れる。スタジオアルバムのような完全なパッケージ作品ではないため、オーディエンスは複数の観点から楽しむことが出来る。

 

曲目的にはオールタイムベストで、特に「Lizard」「Red」優遇の曲目にはFrippの思い入れもあるのだろう。だが決して懐古主義に陥ることのない、非常に濃密な体験を提供する素晴らしい演奏であった。老化をものともしない演奏には来年50周年という肩書きが非現実に思えるし、彼らに「引退」という文字はまだ全く関係ないようである。あわよくば次の来日も、という願望も決して無茶ではないことは、実際にライブで彼らを見た人なら同意してくれるであろう。

 

改めて考えよう。「何故人々はコンサートやライブに行くのか」

クリムゾンの場合、そこには多くの楽しみが詰め込まれている。

そしてそれを同時代に体感することが出来た人々は幸せである。

 


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