Apollo96

地球の月から文化共有。音楽、映画、文学、旅、幅広い分野を紹介します。時々創作活動も。

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20代女性、ストリップ劇場でエモを知る

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あけまして久しいですが如何お過ごしですか?べしちゃんです。

なかなかどうしようもない2018年でした。今年はいい一年にしたいですね。皆さま共に頑張りましょう。

そんなわけでどうしようもなかった2018年の締めくくり、本当にどうしようもなかった1年の最後にデカい花火を打ち上げようとワタクシはストリップショーを観て参りました。その時の話、どうか聞いてくださいまし。

 

ストリップ。その歴史は深く、この国日本においての源流ははるか神話時代まで遡り、アメノウズメの天岩戸の前での踊りが源流とさえ言われています。マジかと思いつつなんだかそんな気もしてきます。

そして現代においてイメージされる劇場においてのストリップショーは戦後間もない1947年、西洋の裸婦画に扮し「額縁ショー」という催しとして生まれたのが始祖と言われ、50年代に入り浅草のフランス座やロック座、新宿セントラル劇場と群雄割拠の時代が訪れ栄華を誇り、性風俗としての枠を超えた喜劇界の重鎮や脚本家を排出する登竜門としての役目さえも得ることになりました。やがて来たる70年代、私の住まう関西において局部をも露出する「特出し」に代表される全裸でのパフォーマンス(全スト)などの登場、加藤茶によるストリップショーをモチーフとしたギャグ「チョットだけヨ」、さらに80年代に入りいわゆるアイドルストリッパーの登場…と劇場型ストリップは一躍栄華を極めます。

が、80年代半ばにおける風営法改正、90年代に入りVHSの登場、アダルトビデオの流通、バブル崩壊による温泉地レジャー産業の斜陽…時代に取り残されたコンテンツとなりうる要素が次々と向かい風としてびゅうびゅう吹くようになると、劇場数も減少し、性風俗自体の形も大きく変化し、現在に至るわけです。

 

現在私の住まう大阪府に現存するストリップ劇場は営業休止中の劇場も含めわずかに片手で足りる程度。最盛期は全国200店舗もの展開があったと言われているのに天下の台所でこの数…時代なんですねぇ…

前置きはともかく、今回私が訪れたのは環状線天満駅より徒歩五分、東洋ショー劇場です。

右を見ても左を見ても美味そうな飯屋しかない天満の街に鳴るお腹を抱えてスタコラサッサと向かいます。飲屋街から少し外れ、ちょっとマンションなんか見えてきてクリーニング屋さんも店を構えた生活の気配が彼方此方に見えてきた頃、見えました。クソデカ青テントに「東洋ショー劇場」と。

 

え、え〜すごい…なんかよくわからんけど気圧される…ひとまず平静を取り戻すために連れ立った友人と2人煙草に火をつけるものの大晦日直前の大阪の風は冷たく、うまく火が付きません。めっちゃ緊張する。

少し深呼吸をし足を踏み入れ階段を登ります。登ります。廊下を歩きます。廊下がめちゃくちゃ長い。美人の広告。まだ歩きます。こんなもんなのか?

生きて帰れるのか心配になってきたところでエントランスに到着。桃源郷はあったんだ…

意外にも券売機で入場券を購入し(3000円)、エントランスにひしめく紳士たちが発するなんだか今まで感じたことのない異様な雰囲気にドキドキします。外国人や、僅かながら女性の姿もちらほら。

とりあえず(飲めないくせに)酒でテンションを上げていこう!と、店内バーカウンターにてレモンチューハイを購入。どエロいほぼ裸白シャツのギャルが給仕をなさっており、プラカップを持って帰ろうかと思いました。

上を見上げれば豪華絢爛、まるで映画「さくらん」のような内装に正月飾りがよく映えます。すこしくぐもった鏡面仕上げの柱や装飾壁は程よくくすみつつもキラキラとした空気を増幅させつつ、奥の喫煙所から漂うセブンスターのきつい香りに安心感すら覚えます。誰もが喋る声をひそめ、それでいて緊張感と変な高揚感を共有しているようで、ちょっとコンサートの幕間のような空気を思い出しました。

ショーは各時間毎の幕間にて全座席入れ替え制で、先のショーが終わった頃黒く重たい扉の向こうからワラワラと紳士の皆様が退出し、いよいよ我々も入場です。レモンチューハイを握る手もすこし汗ばみます。

玄人であろう紳士の横の座席を確保し、劇場全体を眺めるとジャニーズのステージで見るような張り出し舞台に幾重にも張り巡らされたカラースポットライト。張り出し舞台の1番手前側は円形の回転舞台です。

舞台上にはスクリーンが貼られ、やがて奇妙な静寂の中客席移動用の薄暗いライトも落ちて暗闇が広がるとそこに綺麗なお姉さんが投影されると撮影禁止の旨等が忠告され、いよいよ…!!!

 

 

1人目は和装のお姉様。めちゃくちゃ綺麗。息を飲むような鬼気迫るダンスにはためくきらびやかな着物。息遣いすらも聞こえてくるような距離で体温をも感じます。番傘の開け閉めの音でこの空間はリアルタイム、現実に起こっていることなのだ…と否が応でも自覚します。

やがて衣は次々に薄くなり、円形舞台の上に半裸のお姉様が訪れるとその美しい体を惜しげもなく晒し、その度に観客席から拍手が。ただただ妖しく美しく、エロスを通り越した美じゃん…私もお姉様に惜しみなく拍手をおくります。

圧倒されていると気づけばお姉様の演目は終わっており、お捻りダンスタイムへ。妖美な和装姿であったお姉様もなんだか可愛い法被に着替えて笑顔を見せながらよく知るJ-PopをBGMに跳ね躍っています。驚きなのがお客さんが皆さん舞台スレスレまで出られ札束を舞わせます。お姉様はそれをおっぱいで受け取りニコリと微笑みまた次の回収へ。すげえ…かっこいい…バブリー…

ちなみに至る曲中で客席からは手拍子が起こるのですが、全て表拍。客層の高齢化を感じますし、映画SWING GIRLSのラストシーンを思い出しました。

これが一連の流れで、今回私が観覧した回では各々趣向の違うダンスをする3人のダンサーのお姉様が登場し、ひとりひとり各自の演目+先述のお捻りタイムをなさる、という流れでした。今回は和装のお姉様、懐メロで可愛く踊るスケバン刑事モチーフのお姉様、SMチックな白のボンテージでクールに舞うお姉様、といったラインナップ。所要時間は回あたりおよそ1時間強でしょうか。

そして有料の撮影タイム。お姉様達がツーショットや指定のポーズを取ってくださる神タイムです。払えばよかったものの指を咥えて横目に見つつ、我々は劇場を後にしました。

 

ひとりひとりのお姉様の演目にレビューを付けるのは無粋と感じたので、今回の劇場観覧において感じたことをまとめていきたいと思います。

 

もちろん性風俗として欲を満たすために来られている方が大多数なのでしょうが、それに留まらない何かを感じざるを得ません。

ただただ美しいし、しかもそれがそこに在る。なんとも現実離れした空間に思えますし、実際目の前で起きていることが液晶を介さず起きているとは思えないのです。でも、踊り子さんの息遣い、衣擦れの音、ステージの軋む音、色とりどりのライトが織りなす光と陰影、どれも目の前で起きているのです。

現実離れしたというのも、ドエロで淫靡でとても人前じゃ…みたいなことが起きているわけではないのです。女体、いや人体の美がただただ繰り広げられ、踊り子さんの感性から来る振り、衣装、そして図られたタイミングと図り得ないハプニングと、それらが全て人体の美しさを増幅させていきます。生で目の前で起きている事象だからこそ感じるものだと思います。

演目によってはセックスそのものをダイレクトに踊り子さんが演じていたり、そもそも局部を見せつけるタイミングで拍手が起こったりともちろんこれは性風俗である、という一面もありありと見せつけられます。

しかし、それは女性性の消費ではなく、生命として女性が持つ役割への礼賛のようにも見え、そこに確かにいるのに触れられない象徴めいたものとしての女性性はとても神秘的に思えました。

そもそもエロを見せているのではなく、美を見せており、エロは個人の美に内包される要素であってこそ美しいものだと認識させられたのです。

あの場で見た女性達の全てはどうしようもなく美しくてきれいで、それでいて個々で違う美しさ違うエロスを抱いていました。それは言わば個としての女性への礼賛、はたまた人間賛歌のようにも思え、まあなんていうか…途中わりと泣いてました…

 

正直冷やかし半分でいきましたし、私は自分の身体にたくさんコンプレックスを抱えており、なにか嫉妬心の一つや二つでも生まれるのかハタマタあんなのってないよねぇとロクでもない感想を抱いて帰ってくるのかと思いきや…

ただただ美と肯定に溢れた性の形を見て、どうしようもなく感銘を受けて帰ってきた次第です。

なんだか今年は頑張ろうと思いました。自分の感情の整理がつかないままに妙に背中を押される場所です、今の時代だからこそ女性も一度訪れる価値あるかと思いますし女性の追っかけさんもいてらっしゃるのものすごくわかりました。(あとエヴァネッセンスだったりちょっと懐かしの音楽が流れるあたりそういうので笑える音楽好きにもおススメ…かも…?)

共に戦地に赴いてくださったよき友人の両目洞窟人間さん(http://gachahori.hatenadiary.jp/)にも大感謝!何はともあれ皆さんよき一年にしましょうね!べしちゃんでした。