Apollo96

地球の月から文化共有。音楽、映画、文学、旅、幅広い分野を紹介します。時々創作活動も。

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口の悪い若者2人がQueenを好き放題語ってみた〜第2章・破

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Queenbyapollobeshy


厚かましいオタクのバックチャットは止まることを知らない。ちゃんとしたファンサイトの運営主や古株のファンはお怒りになるかもしれない。正直ちょっとは好きな衣装の話とかしたい。カラオケでStaying Powerを歌いたい。だがしかしそういうんではない。どうもミヨシとべしちゃんです、第二回よろしくお願いいたします。

まずはこちらから→

moon-milk-overtrip.hatenablog.com

 

 

ミ:さて、まずは初期の活動をさらっていきましょうか。
メディアのバッシングに曝されながらも1973年にデビューアルバム「Queen」を発売。


べ:この段階ですでにプロデューサーのロイトーマスベイカーは付いてるんですよね。ここから「オペラ座の夜(A Night At The Opera)」まで彼がバックに就くことになります。
ムチャクチャ酷評されたようですが、出来はホンモノ…かつ楽器触る人ならハ?ってなる明らかに弦チームの弾きやすさを考慮しない譜面作曲っぷりがすでに炸裂しています笑


ミ:「Keep Yourself Alive」なんて出オチコード進行ですから。


べ:ギタリストであるブライアンメイ作のはずが…何故…


ミ:一説にはクレジットこそないもののフレディが噛んでるとも言われてますね笑

それはそれとして、デビューした1973年のロックの状況を見てみると、Led Zeppelinがハードロック以外の作風にも手を出した「聖なる館(Houses of the Holy)」を、Pink Floydがプログレの王者たる地位を完全なものとした「狂気(The Dark Side Of The Moon)」を発表。そしてグラムロックを彩っていたデヴィッドボウイは火星のロックスター、Ziggy Stardustとしての活動の終焉を宣言。70年代前半を代表するバンドがちょうど転換点にあった頃ですね。

学生生活を大学まで貫徹し、一部は社会人としての生活の糧すら得ていた4人は、先人の音楽を消化し、ロックミュージシャンとしてはそこそこ遅咲きの年齢で出てきたわけです。で、メディアには叩かれる...

 

べ:そんな転換期(だったことを踏まえると)にわりかし古臭いことをやっていたからメディアに叩かれたっていうのもなんとなく分かります。結構サウンドはリリース2、3年前の潮流のグラムロックに傾倒してるようにも聴こえるし、一辺倒にハードロックというにはなんとも難解なことをやる一方で、これが…モダン…?と突っ込みたくなる「Modern times Rock’n’Roll」、結局未収録に落ち着いたモロにビートルズを意識したような「Mad the Swine」なんかがありますし…

ミ:それでもって、インターネットもない時代に流行遅れなサウンドでやっていくリスクは今より段違いだっただろうし、肝心の多重録音要素は10ccが「I'm Not In Love 」でやってしまってるし...

 

べ:発売時期も背景も「ノーシンセザイザー!」表記もインフルエンサー気質を大いに携えていたと見た…まあ今で言う炎上って形だったのかもしれないし、ゲテモノ枠だったんでしょうね。

 

ミ:同時期に前身バンドなしで20代半ばにしてブレイクしたバンドが、オールディーズなどの懐メロ路線曲にひしゃげたシンセサイザーやぶっ飛んだビジュアルをぶつけたRoxy Musicだった、ということを考えると、さもありなんと。


べ:Sparksとかもね。ゲテモノしか出てきませんねあの年代…

(話をQueenに戻して)まっ、その後の曲作りのヒントが頻出してて、後追い勢的にはメチャクチャ美味しい!そんな感想を抱きました。笑

 


ミ:一応制作から発売までのラグがあるので、厳密には完全なる流行遅れとは言えないものの、やはり今聞いてようやく客観的に楽しめる作品ですよね。その後、間髪入れずに「Queen II」を発表。こちらではプログレ色が強くなります。


べ:メイ・テイラー作曲にて固められたサイドホワイト、マーキュリー作曲にて固められたサイドブラックと、A面B面で分離した特徴的な一枚! かのアクセルローズも「死んだらこれを棺桶に入れてくれ」と言及してますね。めちゃくちゃ分かる。


ミ:A面は異物混入してるわけですが笑 プログレと言っても千差万別ですが、彼らは自分たちのイメージに似合ったファンタジー路線を選んだので、日本でアイドル枠として大ブレイクする仕込みを図らずして作っていた重要作ですね。ただ、ライブでは完奏できなかった「The March Of The Black Queen」もプログレ脳からすると「え?演奏できないの?」って思ってしまうし、結局何者でもないところはまだ悪い面もあったという。


べ:あと色んな媒体でロック少年上がりの業界人の己の少年時代の語りツールになっているっていうイメージがめちゃくちゃ強い笑
まあでも皆さんがおっしゃる、レコードひっくり返してOgre Battleの逆再生でプレイヤーがぶっ壊れたかと思った…っていうエピソードは追体験してみたいし、それだけ同じようなエピソードが出回るということは流通量も前作とはダンチだったんでしょう。ほんとにここから圧倒的女王伝説の幕開けだ!みたいなところはありますね。

 ところでQueenといえば重厚なコーラスワークとブライアンメイのギターオーケストレーションですけど、もう1stと2ndの段階で仕上がってたんですよね。そんでもってそれってライブでの再現性は捨てにかからざるを得ない要素じゃないですか。
…で、74年のレインボーでのライブ。おそらくキャリア初期で公式に最初に作品として残されたライブ作品ですが…どう思いました?笑


ミ:酷い。


べ:ね!


ミ:パブリックイメージが85年、86年のライブか初期のスタジオアルバムなだけに、初期のモノホンのライブがコピバン状態になってるのは、楽曲の良さと多少のルックスで強引に突破したとしか言いようがないですね。


べ:そうなんですよ〜〜…日本で売れたのもミュージックライフ等の媒体が未だ声高々に言う「少女漫画チック!!!!」なところがデカイという通説が有名ですし、そこは私も女子かつオタク上がりなので分かるでしかないのは確かなんですが…


ミ:やっぱり音源とインタビューとフォトセッションと、情報源が少なかった時代性にフィットしてたんじゃないですかね。YouTubeなんかあったら、「音楽は最高なのにライブはがっかり」とか好き放題言われてますよ。きっと。


べ:Queenそのもの、というかトータルブランディングのクオリティはともかく、ライブバンド、もといミュージシャンとしての存在は当時どうだったんかなっていうのはあのライブ見て思いますよね。ライブバンドとしての他所との比較が効かない状態が初期キャリアの段階であったっていうのは現在Queenがイマイチ同世代ミュージシャンたちが作り上げた潮流と結びつかない一因かなって思ってます。


ミ:2年遅れの流行サウンドにイマイチなライブ、ただしアルバムの出来は凄い。多分遅咲きだけじゃないと思うんですよね。

 


べ:これっていわゆる逆輸入現象が起きてしまったおかげで、日本メディアの発信する情報では見えてこない一面ではあると思います。

さ、ここでシングル「Killer Queen」の発売を経てのアルバム「Sheer heart atack」登場ですね。
 1曲目「Brighton Rock」のテイク頭には(前作のクロージングナンバー)「輝ける七つの海(The Seven Seas Of Rhye)」のあのフレーズ! そしてまさしくキラーチューンの「Killer Queen」へと繋がるんですが、本人ら曰くこれでQueenとしてのやりたいことは終わった、と笑


ミ:3rdで早くもキャリアの集大成にかかってますからね。ハードロックにプログレを継承した上で、様々なジャンルの小品を並べ、当時までのポピュラー音楽の俯瞰を企てている。


べ:我らがディーキーも作曲に加わられて…尊い…


ミ:あれは曲なのか。


べ:ミスファーイャーいいじゃないすか、かわいい。なんにせよ今後の制作体制、もとい過去3枚で培ってきたものをどう枝を伸ばししていくかの方向性は、この地点で出たんじゃないでしょうか?
それとライブ用なのかなんなのか、なけなしのシンガロング曲枠も入りましたし笑


ミ:「In the Lap Of The Gods Revisited」のいきなりの感動の最終話感。


べ:今後あれだけ大合唱曲を連発する彼らにしたら随分小粒なシンガロング曲で、なんとも面白い。


ミ:逆に言うならば、初期の時点で既にコマは出揃っていた。


べ:少女漫画(売れ?)どころか展開は少年漫画じゃねえか…


ミ:既に30手前の行き遅れの起死回生である。

 

 
べ:もっと起死回生です、来ました邦題「オペラ座の夜」こと「The Night At The Opera」。
何故かメタル系メディアが作る必聴アルバムランキングに上位にいがちです。


ミ:結論から言うと、流行音楽のまとめという作風を貫き通し、それをアップデートした名盤ですね。


べ:語らずもがなの大名盤ですね。1番聴いてるかも。


ミ:ただ、このアルバムだけが特異点というわけでもないので、それまでの3枚と人気を取り合っているのもまた事実。

強いていうならジョンが前作との間にめきめき作曲能力をあげたのと、言わずと知れた「Bohemian Rhapsody」が収録されているところが評価点ですね。

 

べ:次作「華麗なるレース(The Day At The Races)」はこのオペラ座と抱き合わせで捉えられがちですが…まあ確かに影の薄いアルバム…かな?
今作では初のセルフプロデュースに踏み切っているんですよね。ただまだこの段階ではそこまでセルフプロデュースの影響は感じないものの、「Somebody To Love」に代表されるような、どデカいシングルがアルバムイメージより先行で来る…っていうこれ以降のクイーンの片鱗がやや見えています。


ミ:曲も前作で同ポジション曲があったものが多く、日本語曲「Teo Torriatte(スペル!)」がある以外は極めて高品質な二匹目のドジョウといったところでしょうか。

 

     

 

べ:転換期がどこで来たかっていったら、ちょっと彼らのステージ衣装もカジュアルかつ狂った方向に流れてきた「世界に捧ぐ(News Of The World)」以降なんですよね。ライブにおける弱さみたいなのの自覚があったのかなんなのか、「We Will Rock You」「伝説のチャンピオン(We Are The Champions)」など、Queenの枠を外れて世界のアンセムと化した2曲が出てくる。


ミ:以前の曲が弱かったかということ別にそんなことはないし、むしろ楽曲やアルバムの評価としてはそれまでの方が高いですけど、いきなり一皮剥けるんですよね。


べ:「Bohemian Rhapsody」の大当たりで掴んだアメリカ市場を意識したんでしょうか、分かりやすさがダンチです。でも次回作「Jazz」でアメリカ市場を皮肉る「Bicycle Race」が収録されたり、まあなんとツンデレな…でも「世界に捧ぐ」からよりビジネスとしての音楽が上手くなったのは確実ですよね。


ミ:アメリカ市場の他にパンクも大きかったんじゃなかったですかね。このままでは先人に並びきることなく「スタジオアルバムが凄かったバンド」で終わってしまう危惧感もあったようには思います。
シドヴィシャスとの邂逅のエピソードが当時のバンドを取り巻く状況を端的に表してますね。


べ:この時期のライブが音源としてもリリースされている「Live Killers」。どう聴いてもライブバンドになってますね。ただ(前述した通り)本人たちが初期2作と 「Killer Queen」でやりたいことはやりきったと語ったように、スタジオアルバムとしての質がちょっと変わってくるんですよね。


ミ:今までは物語というか、曲の並べ方で1つのストーリー性をつけていたのが、シングル集になるんですよね。


べ:そう!「Jazz」はかろうじて今までの体裁を(無理やり?)保っていたものの… 

 

     

 

 

Queenは目覚める。傍らに立つ見知らぬ髭面。そして彼を待つ新たな世界。次回 口の悪い若者2人がQueenを好き放題語ってみた:Q さぁてこの次も、サービス!サービスゥ!