Apollo96

地球の月から文化共有。音楽、映画、文学、旅、幅広い分野を紹介します。時々創作活動も。

地球の月から文化共有。音楽、映画、文学、旅、幅広い分野を紹介します。時々創作活動も。

OVERTURE apollo2996-2

f:id:Apollo96:20180131004803j:plain

 

煙の匂いに気づいて起きると、ベッドの脇でライカが缶ピースを蒸していた。
忌々しいスモッグ除去ドローンの音は聞こえてこない。まだ夜だ。煙が目にしみて目を擦ると、スラムのバーのギークから聞いた地球のジャズの話を思い出した。そういえばトランペットの夢を見た気がする。
ライカはフードを目深に被り、ストローで水を飲んでいた。一言も発さなければニコリともしない彼のまつげは伏せられて、かすかに震えてるように見えた。
「何してんの人ん家で」
ライカは黙ったままだ。
「…やなことあったの?ていうかどうやって入ったの」
ライカはそっと窓を指差した。
「ふうん。コーヒー飲む?」
こくんと下に動いたライカの首はうなだれたまま上がってこなかった。古臭いガスボンベのスイッチを入れ、錆びたケトルに火をかけている間もフードの下の目は表情が読めないままだった。
天井に張り巡らされた汚いダクトが下品な音を立てている。錆びたケトルが鳴く。安物のコーヒーの匂いは炭鉱のにおいによく似ており、スラムですれ違う数多の汚い月面採掘労働者の酒臭い息を思い出した。
差し出したコーヒーをライカはゆっくりと受け取ると、ゆっくりと口をつけてそのままマグカップを抱え込みうずくまってしまった。僕はまずいコーヒーと静寂に耐えきれなくなりタバコに火をつけた。
天井で燻る煙を眺めていくらか時間が経った頃に、久々にライカの声を聞いた。
「ナナ、死んだよ」
不思議となんの気持ちも湧かず、彼の声を聞いたのはいつぶりだろうなんてことを考えていた。窓から金星は見えなかった。
「昨日。ナナがここ出てからすぐ。あいつコカインを買いに裏通りに入ったところでシャブ漬けの狂った奴にやられた」
まくしたてるようにライカは吐き捨てた。1年分を喋り尽くしたみたいに少し咳込み苦しそうな顔をして、また立てた膝に顔を埋め黙りこくった。
「…そう」
気持ちとは裏腹に思うように声が出ない。僕の発した声は泥水のようなコーヒーの水面をかすかに揺らし、淀みの底へと吸い込まれていった。


「Moon,Milk,Overtrip。こちら月面コロニー-ほ・187B、アポロ96、管制塔応答せよ。
…混線なのはわかってる。ごめん。…あんたがどこの人かは知ったこっちゃない。5本の指か8本の触手かは知らないけどさ、その手でボリュームを落としてくれたっていい。ごめんね、1本吸わせてもらうよ。
…さっき、昨日抱いた女の子が死んだんだ。悲しくはない。ほんとだよ、信じらんないけど。
ネオトキオには来たことある?綺麗なところだろ。月ってところはさ、ケーブルじゃああんなトコロしか映らないでしょ。あんなのクソだ。
彼女は名前もない路地裏で死んだ。さっき友達と公安に遺体を引き取りに行ったよ。クスリ漬けの売春婦が入れるような公営墓地なんてないんだって。
そんなことどうだっていいんだ。ただ、昨日、あの子はあったかかったんだ。
…もういいや。ごめんね。ログは消しといて。誰か知らないけどさよなら。」


次の日僕はあのキャバクラへ行かなかった。制服も窓から放り投げて捨てたし、その1時間後にはもう宿なしの連中が小銭に変えるためか寒さを凌ぐためかいそいそと持ち去るのを見た。
顔を洗いながら鎖骨のあたりに赤黒い鬱血の跡を見つけた。小さな歯型がうっすらと残っている。ナナは死んだ。昨日触れた舌も胸も歯も焼却炉でスクラップと一緒に燃えて消えて無くなった。
濡れた顔をTシャツで拭い、うっとおしく伸びた前髪に滴った水滴を払った。昨晩ライカが置いて行った飲みかけのコーヒーを一気に口へ流し込むと、胃液が溢れてくる感覚があった。小さな歯型はいつの間にやら薄くなっていた。


「バイト飛んだろ」
「もうやめた。文無し。家賃もタバコも払えない」
クン。大柄な火僑。火星生まれの先祖の代からがめつく営むジャンクショップの主。火星産の偽物のマーシャルアンプに腰掛けながら僕らはビールを飲んでいる。
「アポロ、いい若いもんがそんなんでどうするんだよ。あとタバコ吸うんじゃねえ」
「もう20になったよ。もう1本くれよ、地球産入ってるんでしょ」
「800ワン」
それが僕の全財産だったのでそこら辺のシケモクを拾い吸った。ドブの味がする。
「クン、僕雇ってよ」
「やだねお前ツケ払わねえんだもん。前の通信機、調子どうだ」
「混線しかしない」
「当たり前だろ、どんな機械も過去の電波は拾わねえよ」
「でもあれに喋ってると、心が落ち着く」
「どこの誰に混線電波が入ってるかわかんねえのに?お前今頃土星のネットで晒しもんだ」
クンは長い足を組み替え、丸メガネに息を吹きかけバカみたいな柄のシャツで汚れを拭いている。
火星人特有の大きなつり目を伏せて小さく呟いた。
「あの子のこと、災難だったな」
「別に。死んだのは僕じゃないし」
「強がっちゃってまだ若えなあ。クン兄ちゃんになんでも話しなさいな。機械に話してないで」
「何回かエッチしただけだよ。そんな子いくらでもいる」
「そんな言い方すんなって。おら餞別だ。チューナー。壊れてるけどお前なら直せるだろ」


本当にうんともすんとも言わないチューナーと小一時間ほどドライバー片手に戯れて、諦めてそのガラクタをベッドに放り投げた。もう夜だ。金星がちらついている。冷たくなった女が燃えていく姿を思い出した。あの子の故郷では大昔硫酸の雨が降ったらしい。
通信機のスイッチを入れた。クンに指摘された通り、確かに僕の日課は土星かどこかのオタクたちの間で晒し者にされてるのかも知れない。少し笑えてきた。
「Moon,Milk,Overtrip。管制塔応答せよ。
ああわかってる、混線だろ?あんたは土星人?インターネットは脳チップに組み込んでる?僕のことバカにしてんだろ?全部知ってるよ、僕は精神科医を探してる、土星に腕利きがいたらメッセージ飛ばしてくれよ。月のヤブ医者じゃ僕のことどうしようもないらしいんだ、クソ火星人がそう言ってた。笑えるよな、抱いた女が死んでも機械に独り言ぶつけてさ。笑ってくれよ、悲しくもなんともない、ただただヤッた女が死んだだけ。でも体温もおっぱいもキスも全部覚えてる、あの子はいつも寂しいって言ってた。気持ち悪い、気持ち悪いよ、助けてくれ、何者にもなれないまま次死んでいくのは僕かも知れないんだよ、気持ち悪い、怖いよ。助けてくれ、ああ、あんた土星人だっけ?間違えたよ、笑ってくれよ、笑えよ」
一息に言い切ると息が切れた。耳鳴りがする、昨日夢で見たトランペットの音のようだ。
「…ごめんね、馬鹿げてた。どこの誰だか知らないけど謝るよ。
申し遅れたね、こちら月面コロニー-ほ・187B、アポロ96。君は誰?念願の地球の人?…冗談、どうせノイズだろ。誰も受信すらしてない、そうでしょ?もう切るよ、どこの誰が聞いてるのか知らないけど、いい1日をね、バイバイ」
そう言って通信を切ろうとしたその時、ヘッドホンから返ってくるノイズが揺れた。
やがてホワイトノイズが僕の耳をつんざき、雑音の波をかき分けるようにかすかに、でも確かに人の声を聞いた。

「月面コロニー-ほ・187Bより音声通信を受信しましたが電波不明瞭。そちらのオペレーターさん、こちらからの信号を確認の上チューニングを再度お願いできる?」

 

 

http://moon-milk-overtrip.hatenablog.com/entry/overture2996/1 ←第一話へ 

by beshichan