Apollo96

地球の月から文化共有。音楽、映画、文学、旅、幅広い分野を紹介します。時々創作活動も。

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Beady Eye の『BE』が好きだ。 

最近、恋もしていないのに感受性が豊かです。たくさん文化に触れ、忘れていた好みを思い出したり、新しい好みに出会ったりしております。非常にグッデイ♪です。

あとはスッと夜に眠ることさえできたら完璧なのですが、そうそう上手くいかないもので、仕方がないので夜には好きなものについて書いています。この間までサボって何にも書いてなかったのが嘘のよう、遅れ分も取り戻せそうです。今日も、来日した(一瞬出国してまたすぐ戻ってくる)人のことを書きます。何事もきっかけですね。

 

 

 

【余談】この時代におけるオアシス情勢、緊迫した現状

※この章に書かれていることは現状を誇張して歪めたフィクションである。実在する団体、人物に対する発言も冗談であり、一切事実に基づかない。ふざけて書いているので遊んでる暇はねェんだという方は正直読み飛ばしてもらって良い。

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90年代にイギリスの二大勢力を中心に勃発した抗争を、身をもって体験した世代ではない。だが、もし自分があの頃の英国にタイムスリップしたら、悪の組織に拘留されこめかみにサッカーボールを押し付けられながら「Oasis or Blur?」と尋ねられたら、そういうことを想像したことがないわけではない。オアシス派か、ブラー派か、きっと僕は家族や友の命がその質問の返答にかかっているような場合でも、胸を張って「ブラー」と呟くだろう。

悪党は黙って僕を解放するかもしれない、あるいはサッカーボールで僕を殴り殺すかもしれない。きっと殺された日には奴らは死体に水色のサッカーユニフォームを着せ、見せしめとして街角に吊るすのだろう。

杞憂か。今は2018年、抗争は鎮火しオアシスファンもブラーファンも仲良く音楽を聴きながら平和に暮らしている。ブリットポップ抗争は遠い昔の夢、年長者が懐かしげにその思い出を僕の世代に語るくらいのものだ。オアシスファンとブラーファンの間にほとんど溝はなくなった。

だが、一見平和に見えるこの世界にも、血の流されている場所がある。オアシスという宗派は創始者間での仲違いにより二つのグループに分離してしまった。ノエルギャラガー、リアムギャラガー二人の主要核を中心に再び対立の世界が訪れようとしている。血の繋がった兄弟であるノエル、リアムは、オアシスの中でそれぞれ異なる方面に優れた手腕を発揮していた。ノエルギャラガーは口を、リアムギャラガーは口を巧みに使って人々を心酔させ世界を平和へと導こうとしていたのだ。それが今では分裂し、二組の濃い太眉のように睨み合っているではないか。

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オアシス/ブラーという構図が存在しない今、ノエル/リアムという二つの巨大勢力の狭間で、筆者の僕がどちらの側に身を置いているか。もちろん本記事のタイトルからも想像が出来るよう僕はリアムギャラガーの信者なのである。もちろん、僕だって争いごとなど望まない。だから表立って波風を立てるようなことは言わない。そして、当然兄弟がまた力を合わせて世界に調和をもたらそうとするならば、喜んでノエルギャラガーを受け入れるだろう。だが復縁までは、あるいは未来永劫に復縁が望めないならば、僕は身を潜めリアムギャラガーが世界を手中に収めるのを待とうと思う。

ここで一人の「隠れリアムたん」として、リアムギャラガーの魅力を、元オアシス派に属した人間以外にも知ってもらうことができれば、素晴らしい文化の再評価、継承に力添えできるかもしれないと思い今回は筆を取った。

ブラー派だと前述したものの、当のオアシス/ブラー抗争を実際に経験した人間ではないということからも想像できるよう、僕はスタンスとしてブラー派寄りの顔をしているだけでオアシスも好きだし、なんならオアシスの方がファン歴が長い。

ちなみにオアシスで好きな曲

ここで、挨拶がわりにオアシスの曲で最も好きなものを紹介しよう。

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『Who Feels Love?』は僕が初めて好きになったオアシスの曲であり、今でも最も好きな曲である。圧倒的に好きだ。表立ってオアシス好きを公言しない理由として、この曲ならびにこの曲の収録しているアルバムが群を抜いて好きだと話すと首をかしげられるからというのがある。この曲が最も素晴らしい、異論は認めるが否定は認めない。

 

【本題】Beady Eyeの『BE』

ノエルギャラガーのソロと、Beady Eyeを比べると、これまで僕の周りでは圧倒的にノエルギャラガーのファンが多かった。売れ行きも同じくノエル優勢だった。

しかし、今回リアム自身のソロアルバムが出て、多方面からリアム側へポジティブな評価が増えている。伝説のバンドBeady Eye、再評価を狙うに絶好の機会だ。今回は評価低めな印象があるBeady Eyeのセカンドアルバム『BE』の魅力を語りたい。アルバム毎に比べるとやっぱり僕は1stの『Different Gear, Still Speeding』より『BE』推しだ。

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『Soul Love』は今でもリアムのソロツアーでセットリストに入っている曲だ。この曲が今も歌われている理由としては、三人の書き手がいたBeady Eye の中でもこの曲がリアムによって作曲されたものであるということが大きいのではないだろうか。『BE』の中でも一際目立つ名曲である。しかし、リアムギャラガーの作曲者としての魅力に関してはまた別の機会に語らせて頂きたい。

今回のテーマは『BE』というアルバムだ。アルバムを初めて聴いた時の印象は、声が近いというものだった。繰り返し聴くにつれて、この『BE』というアルバムがリアムギャラガーの声を堪能する為の完璧な装置であるということに僕は確信した。

 

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「音楽というものはそもそも曲の素晴らしさありき、ボーカルは要素の一つに過ぎない」というのが僕の考え方だったが、『BE』はその概念を覆してくれた。レディオヘッドとかでもトムヨークの声が凄くなくてはなり立たないじゃないか、そんなの当たり前のことじゃないかと言われそうだが、『BE』におけるリアムのボーカルとトムヨークのボーカルには重要度に大きな差があるように思える。

決して、トムヨークよりリアムギャラガーが優れていると言うわけではなく、円グラフに「良さ」を担うものパーセンテージの比重を示した時、レディオヘッドだと曲の良さだとか演奏の良さだとかもトムヨークの声と同じくらい大事だと表わされるのに対して、『BE』の場合だと八割リアムギャラガ^ー^の声の良さが占めているということである。個人的にオアシスではリアムの歌声:ノエルの作曲が半分ずつを支えていたという印象。

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となると、『BE』において曲の良さとか、演奏の良さが劣っていると言うことか?と言われてしまいそうだが、そういうわけでもない。上の動画は、言わずと知れたスタンダードナンバー『Blue Moon』から、Beady Eye の1stアルバム『Defferent Gear, Still Speeding』収録曲『The Beat Goes On』を続けて演奏しているものになるのだが、Beady Eye の作る曲や彼らの演奏が、劣っているどころかなかなか素晴らしい水準にあることが、これを聴けば明らかだろう。ちなみに『The Beat Goes On』はBeady Eye の曲の中で僕が一番好きなもので、作曲はアンディベル。気づけばRIDEの人という印象がすっかり復活しているアンディベルはBeady Eye でも夢々な名曲を多く残している。

 

『Defferent Gear, Still Speeding』の時点で既によろしい水準にあったBeady Eyeの音楽だが、『BE』では方向がガラリと転換されリアムギャラガーの声が最も映えるような色となっている。具体的に言うと、ボーカルを際立たせる為の空間、余白のようなものを存在させながら同時に、リアムのボーカルと並ぶに相応しいような「心地良さ」が奏でられている。(説明しずらいけど)

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Beady Eye が1stから2ndにかけて、オアシスの続編として戦おうとする音楽から、リアムギャラガーを最大限に魅せる音楽に変化したというか、説明しずらいけど。それが意図して行われた転換だったのかどうかはさておき、「リアムの声の煌めきがどの角度から見たときに最も美しいのか」を念頭に聴くなら、『BE』というアルバムより美しい作品は存在しないとだろう。

少しキツい言い方をすると僕にとって『Different Gear, Still Speeding』は「新しい一面も見られるからファンにとっては割と嬉しいし、ゲムとアンディの作曲が表に出てきてワクワクする、けど結局どうしてもオアシスと比べちゃうし、オアシスのキャリアも総括して見れば別にベストではない」アルバムだったのだが、『BE』でBeady Eye は唯一無二のバンドになった。Beady Eye にOasisの代わりができなかったが、同時にOasisが再結成したとしてもBeady Eye の良さを上塗りすることはできないだろう。

 

ゲム・アーチャー、アンディ・ベル、リアム・ギャラガーと言う三人の作曲家たちの個性が混ざり合いオアシスとは確かに別の、一つのバンドとしてBeady Eyeを確立させたのも間違いなく『BE』である。

なんと言うか、元々あったような、決してこんなテイストの曲が存在したことはなかったのにリアムは元々このバンドで歌っていたかのようにすら聴こえる(!?)。リアムギャラガーの声を前提に曲ができていると錯覚して聴こえる(!?)。こんな曲は、オアシスの頃の曲にはなかった。オアシスでもリアムの声は素晴らしかったが、オアシスを聴きながら素晴らしい彼のボーカルを当たり前のものとして僕は受け取ってしまっていたかもしれない。当たり前のことを言うけれど、リアムギャラガーの声はマジで特別だ。

 

 

【余談】ちょっとアンディベルの話いいスカ

以前、なんか急にRIDEオォォォォオとなって泣きながら記事を書いたことがあった。音楽を紹介すると言いながら自分の思い出を「エモいエモい」と(頭では思いながら別の言葉に置き換えて)語ることが多いが、RIDEに出会うきっかけとなったバンドBeady Eye をこうやってじっくり聴き直すとたくさん感じるものがある(エモい)。

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今となってはBeady Eyeよりもライドばかり聴いているマンと化している。ライドにどハマった状態で聴くBeady Eye は、高校生の頃ライドを全く知らないでオアシスの延長として聴いていたBeady Eye とはまた異なる良さがある。当時Beady Eye を聴いて『BE』がオアシス、ノエルギャラガーと全く違うということだけはハッキリわかっていた。違うとはわかってはいたものの、どの曲を誰が書いたかを聴いてもリアム作曲のもの以外特に何も思わずBeady Eye じゃんと思うのみだった。アンディベルが誰だか知らないのだからまあそうなるだろう。

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今、アンディベルという人を知ったうえでアンディの書いた曲を聴くと、あぁアンディだ!ってなる。RIDEとは違う面のアンディベルを楽しむことができる瞬間があれば、『ウェザーダイアリーズ』にとってのローグワン的味わいを感じる瞬間もある。主演はリアムギャラガーである。全く異なる視点だが、そう聴くとすごい、なんか豪華なあれだし、ヤバい。めちゃくちゃ「ア〜〜」ってなるし「イヤッ、イヤッ、イヤイヤ、ヤバイッテ、マ〜ジ~デヤバイッテ」くらいのコメントしか出なくなったりもする。なので一応Spotifyでアンディ作曲分のBeady Eyeをまとめてプレイリストにしておきますね。

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by merah aka 鈴木レイヤ