Apollo96

地球の月から文化共有。音楽、映画、文学、旅、幅広い分野を紹介します。時々創作活動も。

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RIDE、過去が詰まっている音楽

 

 僕がRIDEをしっかり聴き始めたきっかけは、2014年11月の再結成のアナウンスだった。Twitterで周りは皆騒いでいたし、なんとなくお祭り的な気分で、せっかくだからこのブームに乗っかって僕もライドも聴いてみようと言う気持ちになった。そうやって大して構えずYouTubeでお馴染みの海のアートワークを見つけ、塾のパソコンで勉強の片手間とかにあの名盤を再生した。(進学塾では人生の大事な時期の心の育成の鍵を握るようなバンドが再結成したとしても「今でしょ」とは言ってくれない。そういう意味でもTwitterは素晴らしい場所だと言えるだろう。)

 

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オアシスとビーディアイでベースとかギター弾いてたあの渋いグラサンの人の昔んっバンドねぇ…という程度の心構えでいたのだが、Seagullのイントロを聴いた瞬間に僕はグッと胸を掴まれていた。教材なんかそこらに放り出して椅子の背もたれに体重を全部のせて斜め上を見つめ、深い美しい青に包まれ心地よい気持ちになっていた。今まで知らずに生きて来られたことに驚いたほどだった。

My Bloody Valentineのジャンルだよね!という程度にしか思っていなかったシューゲイズは、夢を、目を開けたまま見られるヤバい行為だったのだ、僕はまさに夢中になった。

 

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My Bloody Valentineを聴き始めたばかりの頃、僕は特別にシューゲイズに魅力を感じたわけではなかったのだが(My Bloody Valentineとの出会いもそのうち重い恋人の立場から書かせて頂きたい)、その一番の理由はあのバンドが特徴的すぎたからだと思う。今でもあのバンドだけシューゲイズと言われる音楽の中で異様な奇妙さをもっているという意識がある。あれらはシューゲイズ特有の浮遊感とか囁き声とか轟音とかそういう次元ではないのだ。

それに対し、ライドを聴いた時、僕はすんなりとシューゲイザーに惹かれ始めた。ライドの音楽が特にシューゲイズに似合うと感じたからということが一番の理由だろう。

シューゲイズはとても内向的で、若者の憧れとか見栄とか、日々を駆け抜けるような感覚とか、みずみずしい恋心(儚い)が凍結されている音楽というイメージが僕にはあって。短命なブームだったから、本当にどのバンドも、若いうちに解散するなり、シューゲイズというスタイルを捨てるなりになってしまったから、自ずとどのアルバムも若い。

ライドの音楽にはそんな感情がまさにそのまま添加物なしで詰まっているような気がするのだ。だから僕はあのアルバムを聴いて完全に90年代初頭イギリスの陰気な若者たちの吸っていた空気を感じることができたし、その後すんなりと他のシューゲイズバンドに手を出すようにもなった。もっともっと共感を求めたのだ。

ライドの音楽の素晴らしさは、素のまま飾られたリアルな等身大の少年たちのシルエット。それは誰もが自らを投影できるシルエットだ。そして、その形は究極的にシューゲイズという音楽にマッチしていると僕には思えた。

 

まさにレコードの中に時間がそのまま残されていて、

彼らの音楽を聴くと4人の青年時代の景色とか思い出とか考え事とかがじわじわと僕の身体に入って来るようにさえ感じた。

 

あの弾けんばかりの爽快感、鮮やかな心情の浮き沈み、まるで青い音楽。

(ちなみに僕の中ではMy Bloody Valentineは怪しく渦巻く深い紫のシューゲイズ、スロウダイヴは何もかもを映す透明のシューゲイズという感じです。)

寂しくなるくらい澄み切った空のような、吸い込まれそうになるくらい深い海のような青色。そして、彼らの音楽には青春という二文字がよく似合う。

 

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これは僕がファーストアルバムで一番好きな曲であるIn A Different Placeの別バージョンだ。この音源を僕は本当に気に入っているので、知らない人はじっくり聴いて欲しいんだけど。

アルバムバージョンよりゆっくりで、音は粗いものの、全ての音が噛みしめるようにしっかりしっかりと発される。展開もじっくりゆっくりという感じなのだが、ギターの音はとてつもなく情熱的で、彼らの力強さをより近くに感じることができる。

この曲は別々の場所にいる二人について歌っていて、ライドの曲の歌詞で僕が一番気に入っているものだ。てっきり僕はずっと離れ離れの恋人たちのラヴソングなんだという風に解釈していたのだがひょっとすればそうとは限らないのかもしれない。

下は僕が大雑把に歌詞を和訳したものだ。

漂う泡は、雨が降るのを待っている。

雨が降って、空が冷たくなっても、僕はいい気分。

人々は何故いつも急いでいるのだろうか、決して歩みを緩めることはない。そんな彼らを見て僕は笑う。

稲妻は閃き、雷が轟いた。君と僕は離れ離れの場所にいる。

眠っている時、僕たちは笑っている。

目覚めている時、僕たちは笑っている。

プカプカと漂いながら、時を、空間を出入りしている。

今、誰も僕たちに触れることはできない。僕たちは離れ離れだ。

この曲、作詞はアンディで、ボーカルがマークだ。歌詞を読めば、ゆっくりのリズムに泡がプカプカと行ったり来たりしている情景を思い浮かべられるのではないだろうか。

 

昨年夏のHostess Club Weekender で、僕は運よく彼らのラジオの公開収録を見ることができたのだが、「二十年もの歳月を経てどうして今再結成することになったのか?」という話題で彼らの口から発された言葉を決して忘れることができない。

「僕たちは皆それぞれが泡の中にいるような感じなんだ。泡が割れてバラバラになって、それぞれの人生に戻って、色々経験して、また一緒になって。」

その言葉を聴いた時、胸がぎゅっと熱くなった。In A Different Place で歌われていたのは特定のカップルではなくて、あの歌詞に出てくる泡は世の中全ての人々を指しているのかもしれない。

それは、マークであり、アンディであり、スティーブであり、ロズでもあったのだ。

僕たちもきっと漂う泡の中にいるのだ。

90年代にライドというバンドが結成されたのも、

積み重ねられたシーンの上にあの素敵な音楽が生まれたのも、

2015年にライドが再結成されて運よく彼らがリアルタイムで活動するのを見ることができるのも、

色々考えると運命だったのかもしれない。アンディの夢の中にいるような歌詞を見ているとついそんなことまで考えてしまった。

ビーディアイが解散しライドが再結成しなかったら、僕はあの時期にライドを聴かないまま、そこそこ現状と違う人生を過ごしていただろう。

 

 

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初めてライドを知りNowhereやSmile EPを貪るように聴いていたのはつい最近のように感じていたけれど、もう3、4年も前の話だ。僕はまだ10代だった。

今思えば、ライドを結成した当初の、メンバーたちの年がちょうどそのくらいだったはずだ。

僕の10代最後の日々は、四半世紀も前に、同じくらいの年頃の青年たちが作った音楽によって彩られていたのだ。その音楽はいつでもそばにいる、まるで仲のいい友人のように。

かつての僕は、ライドを聴くと90年代の若者たちの生きる風景を思い浮かべていた。

今、ライドの音楽を聴くと僕の脳裏には様々な思い出が鮮やかに蘇る。

NowhereやSmileを聴くと高校の終わり頃の日々が、Going Blank Again を聴けば北関東での短い大学生活が思い浮かぶ。初めて海外へきて生活を始めた時の僕はCarnival Of The Light やTarantulaを聴いていた。

ミューズを目当てに行った、初めてのフジロックで、一番心に残っている光景は、綺麗なオレンジの夕日もすっかり沈み暗くなったグリーンステージに鳴り響いたLeave Them All Behindのイントロだ。あの時のライドの演奏は、今までのフジロックで一番の思い出だ。

 

 

 

RIDEの音楽はこれからも僕の思い出に寄り添い、過去を呼び起こすきっかけであり続けるのだろう。

去年新しいアルバムがリリースされ、つい先日新しいEPもリリースされたなんて話を数年前の自分にするとどんな顔をするだろうか。まさか新曲まで聴けるとは思ってなかったもの。初めてRIDEを聴いたあの日から、僕はもう二度も彼らのライブを見て、一度はメンバーと会って話すことまでできたのだ。なんて幸せなんだろう。今年もう一度彼らを目にすることは叶わなさそうだけれど、十分素敵な思い出を作ってくれたのだから、前向きに今は満足して次を待っていることにする。

きっと今この瞬間も、僕の記憶はRIDEの音楽に刻まれ続けている。

 

 

by Merah aka 鈴木レイヤ