Apollo96

地球の月から文化共有。音楽、映画、文学、旅、幅広い分野を紹介します。時々創作活動も。

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The 1975 の『A Brief Inquiry into Online Relationships』を徹底調査

今からThe 1975 の「A Brief Inquiry into Online Relationships(ネット上の人間関係についての簡単な調査)」を再生する。一曲ごとに、聴きながら感想を書いていく。初めて聴いた瞬間の感想は二度目聴いた時にもあるとは限らないし、初めて聴いた時の感想はなんとなく素敵だからである。

で、しっかり全部を書き終えたり書き加えたりしながら、四周聴いていたら朝でございます。何度聴いても、1日ではザッとしか感想は書けないものですね。

 

このアルバムには前もって予想記事も出してたので、どのくらい当たったかなと気になる人は読んでみてね。

moon-milk-overtrip.hatenablog.com

 

 

The 1975

目を見開くよう。新しい部屋に引きずり込まれる気持ち。激情と静寂のギャップを強く魅せる、Bon Iver の22, A Million のあれのオマージュだ。そう、ILIWYS以降で一番衝撃だったアルバムの一つだ。わかる。

常にこの曲が、世界を作る。頭の中の準備はすぐに整う。

(ピッチフォークでのインタビューによれば、これがアルバムの最後の最後に完成したパートだそう。どうやら元々はスティーブライヒ譲りのイントロを作っていたが、いくらやっても完成せず、結局しゃあないからピアノで、なんか良い感じになるかもね、とできたものだそう。仕上がって見たらバリええ感じだとご満悦の様子。)

Give Youself A Try

珍しく今回はアルバム全編の長さが一時間を超えていない、曲数が多いは相変わらずだけれど。確かこの曲を先行シングルとして公開する際のラジオで、「二枚組?論外、論外(笑)。俺プログレ嫌いなんだよね(テヘヘ)」とのたまっていたマッティを思い出すね。彼でも、ジェネシスは好きって言ってた覚えあるよ。

何度聴いてもこの曲は素敵。素晴らしい、Joy Division へのオマージュでもある。しかし、それを抜きにすれば2000年代の音楽への花束、粋だ。

ディスオーダーがオープナーだったことを踏まえて、この曲疾走感のある曲が実質一曲目なのは、アツい。燃える。エモい。

TOOTIMETOOTIMETOOTIME

ポップで、原付二人乗りで旅に出たくなる曲で(原付信者の僕の性癖、免許は持ってないから僕は後ろ)、元気もたくさん出てくる。今日も風邪を引いて寝込んでいたけど頑張って聴けるし少なくとも今はしんどくない。

最近、今となってはアダム・ハーンのギターはこのバンドの音楽から聞こえるものの中で唯一ダサいものになってしまったなと思う。そもそもマッティがダサいロックスターの象徴のようであったのに、もはやダサさ、ナヨっちい感じは、少なくとも世間的な印象には薄い。でも、マッティもカッコいいけど、このバンドで一番カッコいいのは、ジョージだなって思う。マッティと一緒に唯一曲を書いているのはドラマーの彼、黙ってるけど、顔もかっこいいしタッパもあるし、推せるよ。ピコピコ電子音作ってるのは基本的に彼よ。

How To Draw / Petrichor

既出のアンビエントトラックで、元々はもっとピアノピアノしていた。

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今作のテーマにもなっているであろう、当たった音、とでも言うべきだろうか、でリズムを構成したことで、新鮮。ラッパもグー、味をしめたな、僕もこれはずっとやってくれと思う。このトラック、ミニマルなアプローチが前作より鋭くなっていることがわかる。良い。元バージョンまだダウンロードできるかな、以下のリンクから、押してみて。

 

ここからがPetrichorで、早くなる。ペトリコールとはどういう意味か、雨の後の地面の匂いのことだ。こういう単語を、曲の題に使うバンドなのだ。間違いのあるはずがなかろう。

RadioheadがKid Aでエレクトロニカを取り入れたのはエイフェックスツインなどの影響だった。The 1975の場合こういうのは大概ジョージダニエルの上手の横好きで、こう言うのが堂々とアルバムでできるようになり、またそれが評価されるバンドになったのが素敵だ。ちな、前作の表題曲もエレクトロニカだったのに、特に誰も騒いでおらなかったから新鮮なり。

もう、売れない心配と、売れようとしすぎる葛藤は捨てられただろう。僕は間違いなく、この曲が一番好きだ。

Love It If It Made It

これは、新しいチョコレートである。

シングルの中でも、今年リリースのアルバムの中でも異彩を放つほど素晴らしかった曲がこれである。例えばイントロがGive Your Self A Try 公開までのカウントダウンに使われていた時に、ここまでロックな曲を想像していただろうか。How To Draw のようなアンビエントからアンビエントに行き次のキラーチューンへ繋ぐような曲を想像していた。

しかし、公開された瞬間にこれがこの曲だったかと、吹っ飛ばされたわけ。韻が決まった漢詩のようなリリック、強い雄叫びのような歌、よろしすぎる。

カウントダウンの映像のBGMであのクリック音を使うところから、この曲を素晴らしく思うための頭の準備が始まっていたのかもしれない。

歌詞も素晴らしい。日本語による解説も他のブログ様より出ているので是非読まれたら良い。

the 1975の『Love It If We Made It』の和訳と解釈 - キミガネ。

Be My Mistake

全編を通して存在している一番下の音の層がいかに素晴らしいか。しかしこの曲の歌詞には意味深な感じがある。別に僕はふざける人ではないので、これは「あとで賢者モードになるのを想定しておりながら知らん女の子と寝ようとしてる曲」だなどとは言わない。

Sincery Is Scary

リズムパートを除けば、典型的なThe 1975、セルフオマージュのようなものだ。しかし、そういういつも通りの焼き直しを今回だって休めはしない。The 1975 は常に最新作に最高のThe 1975 が全て入るようアルバムを作っているのだろう。ソウルフルで素敵だ、ミュージカルなビデオも素敵だ。

新しく取り入れた要素でできたABIIORバーションのThe 1975 + 副産物にすら見える進化したThe 1975、前作に引き続きそれがThe 1975の新作とはである。

常に何か気に入ったものを持ってきて、これやってみますねって形でThe 1975のスタイルができているだけあって、やはり真新しいものがない!と怒鳴られることが多いこのバンド。しかし、オマージュの選び方と、絶妙な混ぜ具合はまず完璧である。

そして、最も素敵なのはそう言うパクリ、元ネタなんて言われちゃう対外的な変化によって、引き算のように本体に残っていっているもの、それがまた素晴らしく綺麗な光に輝く、これぞと言わんばかりにね。それが良いやっぱり。IDMやらヒップホップやらR&Bに影響を受けても、残るのはマンチェスターの売れない冴えない童貞臭い見た目なバンドマンだった頃の四人。大団円なサウンドでも、ふわっと厭味なく好ける。

I Like America & America Likes Me

SoundCloud rap へのオマージュだそうだが、僕はそれが何なのか知らない。

しかし、とにかく

Being young in in the city
Believe, and say something
And say something
And say something

という節の素晴らしく、現代的叫びよ。

The Man Who Married A Robot / Love Theme

A Brief Inquiry into Online Relationshipsは、前向きな顔をしたOKコンピュータであり、とぼけたふりをしたKid A ではないのだろうか。

この曲はアルバムのリリースを発表する前にカムバックの仄めかしに投稿されたHello というの動画の音だ。フィッターハッピアーであり、モーションピクチャーサウンドトラックだ。かつてフィッターハッピアーでマッキントッシュによって語られた言葉は、冷たく不安に満ちたものだった。

90年代に早めに挨拶をしにきた未来であり、一種の恐れの象徴でもあったコンピューター、それは今はっきりと現代なのである。

この曲におけるSiriの喋りには、人の温かみもある。優しさであり、共感でもある。誰しもが抱くカジュアルな孤独が語られている。恐ろしく、寂しく、どこにも行けないような苦しい、しかし、それは何と美しい孤独だろうか。思わず泣いてしまい、抱きしめたくなるような美しさのある曲だ。この曲が一番好きかもしれない。

Inside Your Mind

君の歩き方を見つめ、

君の話し方を真似しようともした、

君の頭、僕の目の前にあるその頭を今かち割って何考えているか見てみるよ、

寝るのを待って、君が夢見みるものを覗く権利が僕にはある、

君は僕と愛し合っている夢をみているに違いない、

見てみるしかない。

大人ぶった顔で「馬鹿言えよ」って胸張って言えれば良いのだけれど、正直そういう気持ちになって眠れないことはよくある。モラトリアム特有の患いだと思い込んでいたけれど、もっと普遍的な悩みだったのね。

It's Not Living (If It's Not With You)

スーパーマーケットのBGMでしか聴かないようなThe 1975の80年代オマージュ、久しぶりでも無いはずが懐かしい。踊るラリっちょ、ヘロインベイベー、。

ライブのセットリストは基本的に客に寄せまくるのがアダとなり、これまでのツアーでは演目のほとんどがこういうアップビートな代物だったから、正直飽き飽きしていたけれど、流石に今更そんなことはしないだろうし、今後は恋しくなるのかなぁ。

Surrouded By Head And Bodies

めっちゃええやんけこれ。やっぱ一番好きなのこれ。

タイトルはInfinite Jestという小説の最初の言葉で、マッティはおクスリのリハビリの間、この本を読んでいたそう。個人的にこの曲は、レディオヘッドのFog、Melatonin、Worrywortなどなどなどなど、僕の一番好きな雰囲気のB面曲と似たような楽しめ方ができるもので、本当に素敵だ。

Infinite Jest - Wikipedia

Mine

この世界には、たくさんの人が生きていることが、わかる。

秋冬は人の匂いが街を覆っているのが不思議ですよね。最高な一曲です。

ジャズは温かい、これからの季節にも重宝する。しっかり終盤に向けて、沁みぃ曲を持ってくるの、鬱陶しいですよね。もう、寂しいですね。2年待ったドキドキが最大限に楽しめる時間はあと数分ですか。

I Couldn't Be More In Love

プリンスやんけぇ(;;)

そういや前のツアーの時プリンスのコスプレしよったもんな。えもももももお

一番好きな曲と言うのがはっきり言えた方が、自己紹介の時なんかは役に立つんだろうけど、むずいよねー

I Always Wanna Die (Sometime) 

そう、ね。題名ね、わかるわ。いーっつも死にたいって時々思う。一緒。

死は君には起こらない、君の周りの人たちに起こるなんて、誰だって知ってるよね。

情けなくて度胸もない、そんな俺たちは死にたいっていつも思うけど、実際に死ねたことはないよな。それで、人前では爽快なふりしてね。

レディオヘッドの真似っこなんかもしたりもするよねえ。

大変だよなぁ、でも、ヤク中でメンヘラのマッティが死ねずにヘラヘラやってんのみてたら、元気でるなぁ。

 

 

 



はぁ、急に寂しくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

あとがき(本編には関係がない話)

ネットの交友関係に関しての話だ。

好きなバンドが大きなバンドである場合、イラっとすることは少なからずある。情報が多いということは災いで、例えば、ちょっとした理由で僕はまだアルバムが聴けないのに、一曲毎に批評しながら聴かれては困る、が今回の例である。大いなるネタバレである。

こういうのも、対象のバンドが大して有名でないバンドであれば、まあ、チラッと目に入っても我慢するということもできるのだが、The 1975 の場合は起きている人間の全員がそうなるのである。発言の自由があるのであれば、耳をふさぐ自由もある、そう強気になりミュートしようと思っても、あれだけ量がいてはね、まじ困った、とほほ。

しかし、悪いのは彼らではない、僕だ。

これは共感の渦にハマれなかったひとりの時差男(タイムラグベイベー)によるただの僻みだ。

ちょっと暇だからツイッターでも見ようかな、と思う僕が悪いのである。すっぱり、ログアウトした、一時的に。

 

そういえば最近、僕がツイッターで音楽の話をしないのには訳がある。実は、受動的に好きなものを探す文化に納得が行っていない。誰かが紹介してくれる音楽を、話題になっている音楽を、シュポンシュポンとリロードしながら待っているのは、何となく間抜けで、みっともないし、礼儀正しくないような気さえしてきたから、そういうことはしないようにしようかなとある日思った。

また、これはもう本当に関係ないがストリーミングで音楽が公開された時に「何々が来てる」と言うあれにも抵抗がある。この間誰かがそれについて笑っていて、ひどく共感したのを覚えている。あくまでも、行く、べきだという信念が、僕にはあってとてもめんどくさい。

好きなものは自らかき分けて探して行くべきで、まあ、新しい音楽を聴くことを冒険に例えられる心の余裕がある人には「達成感」だって味わえるのだから。たまにならそうやって、偶然みかけて気にいるというのも素敵だが、そこがメインになってしまうのは、寂しい、と思ってしまう自分はだるいなぁ。

レコード屋で漁る、

TSUTAYAを行ったり来たり、

ラジオで掴まれて、

古本屋で大昔の音楽雑誌を手に取ったり、

ブラウザでジャンルやバンドを検索しガラクタの山を片っ端に漁り、気の合うレビューを見つけてきたり、

ストリーミングで関連バンドを漁ったり、ミックスを聴き込むのもあり、

などなど、

まさかインターネットが割と懐古的でもある話の中にひょこっと出て来たのは驚きではあるが、このように手足をいっぱいいっぱいに使って、色んな冒険をしながら宝物を探して行くのがロマンチックではないか。

そりゃ、時々お友達に勧められて聴いて良いのを見つけるというのは好きだ。だが、ツイッターのあれには、一部を除いてロマンというものが皆無なのは確かで、まあ好き好きなのだけれど。

そもそも、最近人が聴いているものになかなかハマれず頭を抱えている、この状況を作った自分に問題がある。情けないことだ。

で、だからわざわざブログで書くのである。いい音楽は待ってても歩いてこない、そういうものであってほしいと思うから。そもそも、140字で好きなものを語るというアイデアに浅はかさを感じると、思いつつも、でも正直僕の感想だってそんなようなものか。

ただ、ちょっとした感想から共感で手を繋ぐのは素晴らしいことだが、常に評を広げているような人を見かけると、アホっぽく見える。僕がネットに求めていたことは、分類ではない、違う他人たちと手を繋ぐことなのだろう。

ロックかどうか、それがそもそもロックではない、と言う論争に似てくだらない。

そもそも、人はそれぞれ異なる考え方を持っていることを前提に生きることが出来ないというのが昨今のゴミ社会のルールだ。

また、とにかく暇な僕に対して、忙しい人々がいるのも確かで、その人たちがロマンより便利性を求めるのは仕方のないことでもあるだろう。ごにゃごにゃ文句言ってないでね、音楽を聴こうって気になった。

しかし、こういう考えの僕からすれば、最近このApollo 96 を訪れる方の傾向は非常に嬉しくある。ツイッターからの流入がパッとしなくて、ブラウザから検索して入って来てくれる方が増えていることは、嬉しい。読んでくれてありがとうございます。僕の記事はこれからも、こんなへっぽこなのでしょうか、次見かけた時にはもう少し上手になっておれば良いのですが。

もちろん、ツイッターでリンクを踏むというひと手間を毎度かけてくださっている方にも感謝しております。こちらの方に関しては直接誰が読んでくれているかも覚えてしまう程で、誰も読んでくれてないような頃から支えてくれてきた人らですし、本当ね、ありがとう。

色々まとまらないけれど、この人はこんなことを考えるけれど、うまく人には説明しきれないのだなぁと思っておいてください。こう自分の中にある考えを書き出してみて、どう言う形をしているか改めてみてみること、また誰かが考えることに差であったり共感する部分を見つけてみることは楽しい。考え方の違いを認めてみるのは平和だなぁ、と思う。たくさんの人が生きているのがわかるのが素敵だと、このアルバムは壮観だ。

 

 

by merah aka 鈴木レイヤ

結局、本人たちですらThe Strokes を越えられない件

 

 

今世紀で一番のロックバンドは誰だ?って話になったら、君は誰と答えるだろう。僕はストロークスだと即答させてもらおうと思う。

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彼らは最高だ。結局どなたもストロークスを越えられない。アークティックモンキーズだって、キラーズだって、ストロークスに憧れて曲を書いて、素晴らしいバンドになった。それでいてあの幻の背中を今も追い続けている。

ストロークスのサイドプロジェクトを聴くにあたって

今、ストロークスのメンバーたちはどこにいるのだろうか?

いよいよ結成二十周年も目前である2018年、ストロークスのメンバーのうち、ひと際存在感を放つ二人の男が、それぞれ素晴らしいアルバムをリリースした。ジュリアンカサブランカス率いるThe Voidzの『Vurture』と、アルバートハモンドJrの『Francis Trouble』である。そして、その二枚のアルバムは実に素晴らしかった。

先ほど、ストロークスに憧れバンドを始めたという二つの偉大なバンドの名を出したが、去年The Killersは『Wonderful Wonderful』、今年Arctic Monkeysは『Tranquility Base Hotel & Casino』、それぞれ新しいアルバムをリリースしている。どちらも悪くないアルバムだったのだが、何と僕にはストロークスメンバーのソロ作品、サイドプロジェクトの方がより優れているように聞こえてしまった。

皮肉にも、アレックスターナーがストロークスになりたかったと歌っても、キラーズが自分たちをストロークスより優れていると思ったことはないと言っても、それはただ事実でしかないのである。彼らがいくら足掻こうと、結局ストロークスのサイドプロジェクトにすら敵わないのである。

しかし、僕としては、今年のストロークスメンバーたちの二枚のアルバムが、世間に評価され、このまま軌道に乗ってしまうと、不安だ。ストロークスがいくら素敵でも困りゃしないのだが、これはストロークスではないのだから。

このままThe VoidzとアルバートハモンドJrが、ストロークスのなき時代に売れてしまうと、なんだか5年後には「The Strokes 広島弁bot」なんかが竣工してネットの海を堂々航海しているのではないかと、想像してしまうし、本当に不安だ。

 

いくらThe Voidz の『Virture』と、Albert Hammond Jr. の『Francis Trouble』が素晴らしすぎるからと言っても、あくまでこれらはサイドプロジェクト、メインはストロークス、であることを忘れないように楽しみたい。

 

 

新譜レビュー、Albert Hammond Jr. 『Francis Trouble』

このアルバムはアルバートのソロで数えると四枚目のスタジオアルバムで、前作から数えて三年ぶりの作品になる。

今までのものと比べて最もストロークス風なアルバムかもしれない。これまでのアルバートのソロでは、ストロークスにおけるクールな部分と重複するような要素は目立たない傾向にあった。ストロークスの中では比較的陽気な雰囲気を請け負っていたアルバートが自分の持ち味を前面に押し出すような曲をソロで発表してきたと考えれば腑に落ちる。しかし、今作にはそのクール感が存在しているのだ。

ストロークスが恋しい人間が最も聴くべき一枚は、明らかにこのアルバムだろう。

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このアルバムにはストロークスの1stアルバムである『Is This It』を彷彿とさせるような曲ですら存在している。一曲目のDVSLやFar Away Truths なんかは本当にストロークスっぽい。最近のストロークスではなかなか聴くことのできない軽快で甘い音楽、これ聴いた瞬間はストロークスに出会ったあの頃と同じ自分になったような気すらした。おい人生久しぶりにみずみずしいやんけ!となること間違いなしのアルバムだ。

いつも当たり前のようにストロークスの曲で鳴っているアルバートのギター、それをストロークス以外の場所で聴くことで、あの音がどれだけストロークスをストロークスたらしめているかが実感できるだろう。彼のギターは和室でいう畳くらいに大事な要素なのだ。

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ここまでアルバムのストロークスっぽさを中心に話してしまったけれど、まあしかし、アルバートのソロはアルバートのソロである。そう改めて実感したのは、今年のフジロックでの彼のステージである。僕にとって初めての、本物のストロークスのメンバーを見る機会だった。

アルバート・ハモンドJrはジュリアンカサブランカスとはまた違う良さを持つ、非常に優れたフロントマンである。観客を虜にして、めためたに躍らせる躍動感のあるパフォーマンスはジュリアンのステージでの格好とは真逆だ。とても良かった、そういうのは好きだ。僕もよく跳ねた。

軽快なアルバートのソロアルバムは今年の上半期に出たアルバムの中でも片手ランカーであるというのは間違いないだろう。

 

 

 

 

新譜レビュー、The Voidz『Virture』 

www.youtube.com ジュリアン、フォーエバーショタ

ストロークスのボーカルであるジュリアンが率いるThe Voidz の新譜は、ジュリアンのソロプロジェクトではなく別のバンドであることからもわかる通り、ストロークスとは全く異なるムードの作品である。もはやストロークスのメンバーによるプロジェクトという風に扱われるべきものではないのかもしれない。

あえてストロークスの作品と比較するなら、最新のEPである『Future Present Past』、四枚目の『Angles』などに存在する、SFっぽさが全編を覆っている。いやむしろ、あれのもっとグッタリ複雑で混沌とした雰囲気が溢れ出た進化系と言うべきかもしれない。

端的に言うと、なんしてんねんが度を過ぎているのに、めちゃくちゃカッコいいダークマターと言うことになる。

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アルバートのアルバムが以前のストロークスを思い起こさせるような出来であることとは対照的だ。アルバートの『Francis Trouble』を表現する時にストロークスのクールさ云々と言ったが、The Voidzの『Virture』はダークで底も見えない。コールドと表しても差し支えないかいのではないか。

心地よい適量のエスニック、変態な太い音とおかしな展開、そこへエフェクトがかかったジュリアンの高い声がバランスよく乗ってきて不穏に響く。気持ち悪いのに何故かしっかり心を掴んで離さない。

ストロークスなんてポップ過ぎるし軽くて聴いておられんわって人なんかでもこれは気に入ると思う。『Virture』を聴いてストロークス沼へゆくがよかろう。

The Voidz と言うプロジェクトは、回を重ねるごとに「変」になって行ってる気がする。いや、「正統派カッコいい」と「変」の共存できる限界が次々と突破されているのだ。

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前作は「変」である事があまりに当然のように行われていたために大した驚きはなかった。変なことをしてみたアルバム、聴くのは時間がかかるようなものだった。あれには、まあそう言うことも起こるのか、とあまり実感になりにくい驚きがあった。

今回の『Virture』は皮肉ったらしいポップ風が時々吹くため、「変」なところが際立つ上に、気持ち悪さが猛威をふるっている。ぶるぶるっとなりながら「なんか…イヤぁ…」とニヤケてしまう瞬間がちょくちょくあって、最高である。

ちなみに僕が一番お気に入りの曲は『All Wordz Are Made Up』だ。ストロークスっぽいのは『Wink』とか『My Friend The Walls』かな。

KEXPのライブ映像では「彼の思いついたフレーズからみんなで展開していったり」「適当にジャムってたらだんだんPink Oceanになった」みたいな風に作曲の仕方について話していた。動画が見つけられないので、はっきりと断言はしないが、そういう風に言っていた、と思う。(あった

とにかくThe Voidz は一つのバンドとして呼吸をし、歩いているのだ。きっと、沈黙へとさしかかっていた頃のThe Strokes よりもイキイキとしているのだろう。少なくとも、ジュリアンが遠く先を見据えてこのバンドを動かしていることは確実だ。

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チリかどこかの音楽サイトでのインタビューによれば、今作はより世間に寄せることを意識したアルバムだったと言う。このインタビューは今回のアルバムが発表される前に行われたもので、前作『Tyranny』を引き合いに出して話していたから、上にあのアルバムからも一曲リンクを貼っておいた。

以下が一部の日本語訳である。

『Tyranny』の後、どういった音楽をしようとしてたんですか?

ジュリアン「ワシらにとっちゃ『Tyranny』は、ほんまに創造的で素晴らしいもんじゃったけんど、世間からしたら「ナンジャコレ」やったんよね。みなの反応見てエラいたまげたわ。ほじゃけん、今度はワシらが『Tyranny』を愛したんと同じくらいにの、みなが好いてくれるようなアルバムこしらえようとしたんよ。」

 

僕は『Tyranny』結構気に入りましたけど?

ジュリアン「まあ、そう言う人もおんじゃけどね、ワシらはあのアルバムで金持ちんなりたかったけん。」

ヒゲ面のグリッター(ギタリスト)「ジュリアンは、二人の召使に担がれた王座に乗ってステージに上がっちゃう、そういうのをしたかったワケよ?」

 

〜略〜

 

次のアルバム『Virture』では何を達成するつもりなんですか?

ジュリアン「ほんまのこと言うたら、目標はメインストリームになることなんよ。まあ、近ごろのヒットチャートはおおごとじゃろ。ワシの家ではかけんような音楽だらけで、もうワヤよ。ちっとは骨のある音楽をぶち込んだらないかんねと思いよるわ。」

Julian Casablancas: "Queremos llegar al mainstream para poner ahí música que importe" : Revista Playlist

 

どうやら、ジュリアンはこのバンドで天下を取るつもりのようだ。

どのようにして本当のアートが宇宙を支配するか、それを世の中のガキに教えてやるためにこのバンド、The Voidzは存在している、らしい。

The Voidz と言うバンドは野望も、作る音楽そのものも、最高に素晴らしい。これをずっと聴いているとストロークスより楽しくて良いじゃないかと思う瞬間がないと言えば嘘になる。

 

メインはストロークス、忘れない

だが、実際には結局、『Virture』は天下を取らず2018年も終わろうとしている。The Strokes では天下を取ったジュリアン・カサブランカスも、The Voidz ではまだ何も成し遂げられてはいない、結局。中止になった来日公演のリヴェンジをする気があるのかもよくわからない。

アルバートの新譜にも、The Voidz の新譜にも目をひん剥いて踊るくらいの素晴らしさがあるけれども、確か、The Strokes を初めて聴いた時、僕は驚きすぎて、感動しすぎて、実際に目ん玉を地面に落っことしてしまった記憶がある。と考えると、やっぱし足りないってことだ。

結局そういうことなのだから、レディオヘッド程度の頻度でも勘弁しよう、The Strokes としてこれからもやって行ってほしい。正直、The Strokes についてもっとはっきりこれからのことを言ってくれないと、僕は安心できないし、こちらとしてもサイドプロジェクト軍団をどう聴いて良いかわからない、不安で仕方がない。サイドプロジェクトも本当に素晴らしいのだから、安心して思った通りの感想で褒めながら聴きたいものだ。 

 

 

by merah aka 鈴木レイヤ

muse, truth, matrix.

Welcome to the real world.

What is real? How do you define 'real'?

 

映画「マトリックス」のセリフである。

今まで当たり前のように生きてきた世界が、機械によって見せられていた仮想の世界でしかなかったことを目の当たりにしたネオにモーフィアスが放った言葉だ。

この世界は仮想空間であり、自分の意識はこの世界の外部の存在の意のままにコントロールされている... インターネットによるもう一つの現実が姿を現した20世紀の終わりに発表された本作は、後のSF作品に大きなインパクトを与えた。異なる人格や性格のペルソナを作り上げ、掲示板をまるで「第二の現実」のように謳歌する人たちがいる世界は果たして本当の「現実」なのか?

シミュレーション仮説。マトリックスで用いられた有名な概念は、20年近くの歳月を経て再びMuseの作品の題名としてポップカルチャーに復活した。それも80年代のSFカルチャーの引用と共に。何故か?

 

アルバムのオープニングナンバーである「Algorithm」。「マトリックス」のオマージュも散見されるPVでは、主人公が今生きている世界がシミュレートされた虚構であるという事実に辿り着く。

 

「Thought Contagion」のPVにその答えはある。その映像では、本当に起きた真実ではなく信じたいものを真実と信じる人々 ー ポストトゥルースの徒 ー の思想がウイルスのように伝播していくという歌詞を、Michael Jacksonの「Thriller」のオマージュの形を取って表現しているのだ。

SNSの発達や各分野の技術や情報の複雑化により、誰でもデマをばら撒くことができる上に、それを否定することが難しいという極めて厄介な状況に陥ってしまった現代。それはまるでゾンビが不治で不死のウイルスをばらまいて行くかのようである。デマに振り回される人々は自らは「真実」を知っていると確信し、己が過ちに気づかない。

デマの生成者とその罠に引っかかる民衆。本来の意味合いとは異なるものの、構造はシミュレーション仮説そのままである。無知蒙昧な大衆がなまじ大量の情報にアクセスできるようになった結果、デマゴーグに完全に弄ばれるようになった現代社会を、SFやかつてのポップカルチャーの引用で痛烈に批判する。今までのMuseからは表現者として一回りも二回りも成長した様が見て取れる素晴らしい映像作品だ。

 

 

また、Michael Jacksonという80年代のポップアイコンをモチーフとして使っていることも見逃せない。MTVの登場でPVの重要性が増した時代の作品を、映像が重視された最新作で引用するという表層的な共通点だけではない。豪華絢爛で刺激的でありながらも、画一的で大量消費用の商品でしかなくなったポップカルチャーが氾濫し、それをマスメディアが喧伝し、人々の視覚や聴覚を通じて否が応でも摂取させていた時代。流行に翻弄され、右往左往する当時の人々の様はゾンビのようでもあり、それは丁度ポストトゥルースを信じる2018年の人々のようでもある(決してMichael Jacksonを揶揄しているわけではない。むしろ彼も彼でそのマスメディアの誹謗中傷の対象にされていたわけで、ある種犠牲者でもある)。

ミーハーであるMatthewが悪意を持って一連のPVを80年代風に仕立て上げたとは到底思えないが、その一方で、初期にはマドンナの持つレーベルから「ファルセットを抑えろという命令を無視した」として契約を切られており、80年代の音楽に100%ぞっこんということもないだろう。もし80年代と完全に懇ろだったとしても、その享楽と退廃に満ちた世界観を身をもって表現してくれるのだ。ファンとしては迷走期のBowieのように見ていて危なっかしくて仕方ないが。

そのDavid Bowieも「Fashion」で80年代の入り口にして流行に振り回される人々を揶揄している。まさか自分がその後10年近く流行に振り回されることになるとは思っていなかっただろうが。

 

最後に、他曲のPVとの関係性やアルバムの物語全体の構造にも少しだけ触れておこう。

冒頭で主人公が操作する「Dig Down」のゲーム。そこでは孤軍奮闘する義足の女性キャラが80年代風のゲームの主役として戦っている。「Dig Down」はシミュレーションの世界から抜け出すために戦うことをアジる曲であり、「Thought Contagion」の主人公も最後にはゲームの中の存在でしかなかったことが明らかになることを踏まえると、世界は無限の入れ子構造になっているかもしれないという恐ろしい想像を促すトリガーとなっている。

 

また、Museのメンバーの登場方法だが、

Matthew→「Thought Contagion」より一つ上層にある世界での住民

Dominic→主人公のいる世界(=ゲーム内)でジャンキーたちを取り締まる警官

Chris→ポスターのみの出演で、「Dig Down」のMax Headroom(80年代に冠番組を持ったCGの司会者)スタイル

となっている。

 

「Something Human」ではリズム隊が狼男と化したMatthewをカーチェイスし、「The Dark Side」ではMatthewがシミュレーションを破壊しようと奔走する様を見るに、Matthewはこの世界が偽物であると気がついたマトリックスのネオであり、リズム隊は世界の構造に気がついた人間を排除するエージェントスミスという風に見るのが良いだろう(Dominicはゲーム世界とその上層の世界との両方で実体を持っている)。そう考えると、「Something Human」で異形の姿と化すMatthewは、PV内での善悪構造をミスリーディングさせる演出、ひいては何が「真実」かが不明瞭なポストトゥルースのテーマに沿った演出と言うことだろうか(尤も、PVという形式上、物語よりも映像的インパクトを優先しているだけかもしれないが)。

 

 元々アルバム全体の話をするつもりだったのが1曲の解説だけになってしまったがため、話がやや散漫としてしまったが、以上を通して1つ言えることがある。

アルバム「Simulation Theory」はMuse史上1番のエンターテイメントであり、1番のコンセプトアルバムである。

 「Thought Contagion」に的を絞ったのは、アルバム全体の構成が1番色濃く出た楽曲とPVであるからだけで、 他の曲に目をやっても、ここ数年のどうにも要領を得ない作品群とは別物であることが良く分かる素晴らしい出来である。その辺りの話はまた次回の機会にして、今回はここらで筆を置くこととしたい。

 

joji、新譜「BALLADS 1」とboiler roomでのライブに思う事

最近、jojiの新譜「BALLADS 1」のヘビロテが止まらない。

 Jojiは、NY在住のオーストラリア系日本人で、88risingっていう音楽レーベル・プラットフォームに所属してるSSW。この88risingというのはNYを活動拠点としていて、jojiの他、Keith ApeHigher BrothersやRich Brian、KOHHらが所属しており、アジアのミュージシャンを取り上げバックアップするチーム。そんな88は時としてHYOGOHとかyaejiの活動もピックアップしていて、かなりジャンル横断的なスタンスぽいです。そんなチームと共に活動するjojiの作品は、前作のEP「In Tongues」からずっと聴いていたんだけども、今年の5月発表の「YEAH RIGHT」を皮切りに先行リリースが続き、楽しみにしていたらとうとう10月末にアルバム決定のお知らせが。。

ほんで満を持して蓋を開けたら、ガッツリ惹き込まれる名盤でした。

その高評価の具合は、僕たちファンの中だけでなくビルボードの3位という結果として表れ、いよいよ気鋭のR&Bシンガーの本格バラッドとして世界から注目される存在になった訳ですね。

 

 ぶっちゃけ、jojiについて何か書きたくて、でも何から書けばいいの?と思ったんだけど、(まぁ新譜とかライブとか活動経歴について思った事を書くつもりなんだけど、っていうか全く簡潔に纏めようという気概がなくて申し訳ないんだけど。)とりあえず、さっき述べた「世界から注目される存在になった」ってとこについて触れながら、jojiのキャリアから新譜まで紹介したいと思います。 

 

 

 

 ・Filthy Frank期

 ビルボード3位、、世界的シンガーっすね。でも、jojiが「世界から注目された」のは今回が初めてではないんですよね。元々「Filthy Frank」名義でyoutuberとして活動していた際に、色々と賑わせていたらしいのです。ジャンルでいえば、おふざけyoutuber。

 例えば、ザリガニで賭けレースしたり、そこに鼠を投下したり、(ちょっと視聴注意)

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路肩から拾ってきた鼠を使った料理で友人にドッキリを仕掛けたり(jojiは路肩から鼠を見つけるのが上手い、あと、ちょっと視聴注意)、

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海外の日本オタク「weebo」をおちょくったり、

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ETの続編を作ったり、(ちょっと視聴注意)

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色々やっているんですよね。

話は激逸れですが、生活系YoutuberであるHow To BasicやMaxmoefoeとは同郷で、度々コラボしてます。

HAIR CAKE (ft. HowToBasic, MaxMoeFoe, and iDubbbz) - YouTube

(マジで汚くて最悪なので視聴注意)

 

 そして、そのあらゆる活動の中で最も大きなミームに発展したのが、2013年の「Harlem Shake」。

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これはBaauerの「Harlem Shake」という曲に合わせて、読んで字のごとくマジの馬鹿騒ぎをするというミーム。元動画は、ピンクの全身タイツをまとったフィルシーフランクと共に、同じく仮装した友人達が馬鹿騒ぎするっていうもので、

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(やっぱオリジナルが一番いいわ・・・・)

これが火種になって皆んな真似して動画撮るようになっちゃったのです。挙句、ハーレムシェイクする人数の競い合いが起こる羽目に。

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つまり、jojiとしてビルボードに入る前に、もしかしたらビルボード入るのと同じくらいどデカイ花火を数年前に打ち上げてたんですよね。

 そんなフィルシーフランクなんだけど、じゃあ何でそんなおふざけyoutuberが音楽的な分野に活動をシフトしたんだよっていう、そこのきっかけがかなり気になってくる。これに関しては、最近上がったビルボードのインタビュー記事にフィルシーフランクがjojiになる経緯が綴られてます。

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 インタビューで本人がなんて言ってたかというと、まずユーモラスなおふざけyoutuberとして大暴れするのに疲れ、(まるで味覚が変化するように)単純に飽きてしまったという。冷静に活動を振り返るタイミングがあったんだろうか、自分の活動に満たされなくなり、自暴自棄となってやけ酒が止まらなくなり心身共に不健康に。そこから、ユーモアに・露悪的に振る舞わなければならないフィルシーフランクとしてのプレッシャーや仮面を捨てて、自分自身を表現したい、というマインドに変わっていったという。

自己嫌悪や苦悩が歌われてる曲が印象的だけど、そういう経緯があっての歌詞なのね、と納得する。

 

・PINK GUY期

 という事で、フィルシーフランクからjojiに変貌を遂げたきっかけはインタビュー記事でハッキリと分かるんだけども、ここの間にもう一つキャリアがありまして。経歴となれば、そこも紹介しとこ!と思って記します。

「Harlem Shake」にて、フィルシーフランクはピンクの全身タイツを着用して、と先述してますけども、この「ピンクの全身タイツ」 重要なんです。フランクはこの全身タイツを着て、PINK GUYと名乗って歌手活動をしてました。jojiの前身となる活動は「フィルシーフランク」ではなく、実質このPINK GUYなんですね。ちなみに、全身黒タイツを着用する事で、「オチンチン」というキャラクターを演じたりもします。

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 とは言えPINKGUY以前のフィルシーフランク時代から、本人がウクレレを弾いていたり、自作と思われる打ち込み主体・生音混じり・声ネタ多用のMADチックな音源をBGMとして取り入れてたり音楽活動みたいなのはしてたんですけど、しっかりラップしている曲を発表しだしたのはPINK GUYから。

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結構ラップスキル高!!と思わせるクオリティの曲ばかり。ここではまだ、フィルシーフランク像に縛られたヒールキャラっぽさを感じるテーマの曲が多いんだけど、力の抜けた歌唱やハモり方、トラックにおける弦楽器の扱い方、音の質感みたいなのに注目すると、かなり今のjojiと繋がるものがあります。

例えばBitter Fuckって曲。

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 また、PINKGUY名義でlil pumpと絡んでたりもする。ここら辺の交遊関係が成立するのも、インターネット発ラップシーンにおけるフランクのプロップスの高さがずっと保たれているからなんかね

 (なんで高いかと言ったら、youtuberとしてインターネット界でシンプルに強くて各方面から既に認められていたから、そもそもネットラップシーンに音源以外の活動が面白いか否かという評価基準がデカかったから、あんなふざけておきながら発表するラップ曲のクオリティは意外と正統派でウケたからってとこが要因になりますかね。。)

 

・Jojiとして。Live at Boiler Room

 そんなこんなでPINK GUY名義でHigher Brothersともコラボしたりしながら、

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本格的にjojiとしてのキャリアを進めたんですね。そんなこんなで、Soundcloudを曲発表したり、公式リリースしてないながらも未発表曲がリークされSNSでバズったりが続き、そろそろEPとか出るよなあ!ってムードが高まっていくのですが、その当時の空気感が味わえる動画がありまして。

 

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 当時の空気感ってどんなんだったかと言うと、jojiの貴重なライブに対する期待感と、困惑でいっぱいだったんですよね。いや、本当にみんな困惑してたんですよね(このライブ動画のコメント欄にも困惑してる人がチラホラ)。結局この人は、フィルシーフランクなの?PINKGUYなの?それとも真面目なjojiなの???っていう困惑。どのキャラで見ればいいのっていう。多分、正解に近い答えをいうなら、どのキャラも混在してるし、過去の面影を見ながらjojiとして楽しんでくれという話なんだろうけど。

てか、何かのキャラに対象を当てはめなきゃ楽しめないなんてしょうもな!って言われたらアレだけど。

 この動画の私的ポイントをまとめると、日本語で「低いやろ」発言、「風邪引いてるから煙草吸うのやめてくれ」発言、頻繁に挟んでくるスラング、脈絡のないトラップ音楽を流して客にダンスを強要、どの曲もちゃんとやらない(これはヒップホップのライブではよくあるんだろうけど) 等等。

 上記の私的ポイント、何が言いたい?って話なんですが、つまり、これらのポイントから照れ隠しを感じる!ってのを言いたいのです。これまでユーモア全面だったキャラがいきなり真面目ぶって、シリアスでレディオヘッドみたいな自作曲を歌いだす。音源自体はクソ良い曲とはいえ、黒歴史を振り返ったらまともにシリアスな曲なんか歌えるわけないすよ。その気持ち誰でも分からんでもなくないすか。

 ただこのライブに関して興味深いと思う点は、照れ隠し諸々の旨みポイントはさておいて、、

まず曲回し(セットリストの組み方)・MC回しがスムーズで手慣れてる点がYoutuber的だなと思ったところ。ライブ中のスラングの入れ方、客の茶化し方、曲間・MC中での間の入れ方、振る舞いっていうのは、黙々と演奏するシンガーとか口達者でMC長くなっちゃうシンガーの様な定番の型には当てはまらない独自のパフォーマンスというか。

 要するに、youtuberとして長年皆んなを楽しませるコンテンツを作ってきた人の経験則、youtuber的な  エディット能力みたいなのをライブパフォーマンスから感じるんですよね。えらい抽象的でごめんなんだけど。その点でこのライブはかなり好きだし、単純な規模のデカさに訴えかけない様な飄々としたパフォーマンスは、スタジアムバンドみたいな対極に位置するパフォーマンス違ったエンタメとしてめちゃ面白いんじゃないかと思うわけです。

 物質的なインパクトだけでなく、インターネットのミームや分脈を持ち寄り、振りかざして楽しもうぜ、みたいなのを前面から肯定していく感じ。

 とは言え、「In Tongue」が発売され、88risingの主要メンバーとして作品を発表しまくる中で、そんなおぼろげとしたキャラクター受容の時期も終わり、完全にR&Bシンガーとして受け入れられていくんですね。なので、今ではスタジアムで歌う一歩手前です。まぁどこで歌おうがどうでもいいんだけど。

 

・「BALLADS 1」とまとめ

 というわけで「BALLADS 1」が発表されて、また世界を賑わせてしまったフランクミラー。本名ミラーっていうらしいです。

 本作については沢山は言わないけど、すごい印象に残ってるのはディストーションギターの存在。

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歪んだギターが心地よすぎる。この歪みギターとローファイさとテンポ感、気だるげなボーカルがあいまって、僕的にはグランジと繋がった、Pixiesとか。。けれども、リズムはロックでも何でもないし、メロはめちゃポップスだし、フロウはトラップ以降だし、オルタナとかでもないしっていう。。

あとアルバムのリード曲と言ってもいい美メロバラード、「SLOW DANCING IN THE DARK」。

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ななんと、ChairliftのPatrick Wimberlyがプロデュースに入ってるぽい。

 

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この曲「TEST DRIVE」はRL Grimeがプロデュースに参加とね。

 

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アルバムの中で1,2番好きなこの曲「CAN'T GET OVER YOU」。

タイトル通り、Clams Casinoとの共作に加え、Thundercatもプロデュース入ってるらしい。どこ要素で・・?

恋愛にまつわる歌ですが、ちょっと重い。あんま書き出したくないですが、自傷グッズとして一般的だとされているボックスカッターを女性だと例える詩のくだりからは、ほんの少しjojiの苦悩が読めてしまった気がする。

 

 ともかく、あらゆる音楽の地つづき(もしくは音楽家間のコネクション)を自然に感じさせるSSWは最近特に多いかもしれんけど、それに加えてjojiには、youtuberとして既にビッグネームだった特殊なキャリア、喋りの上手さやキャラの濃さ(被写体として強すぎる)、日本(大阪、神戸)〜オーストラリア〜NYと、複数のホームグラウンドが備わっていて、、、特に今後も活動が気になってしまう。

 

あとアルバム一曲目のこの曲、ゴリゴリに音が割れててかっこよかった。

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 ということで、、joji、おふざけyoutuber時代に培った技が、内省的なR&Bの表現に活きてんだと思って聴くとかなり面白いものが見えてくるんじゃないかという話でした。そして、関係者各位をまとめたプレイリストをシェア。jojiの活動や作品を多面的に捉えられるであろう選曲となっています。