Apollo96

地球の月から文化共有。音楽、映画、文学、旅、幅広い分野を紹介します。時々創作活動も。

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★を継ぐもの

David Bowieの遺作「★」に参加したDonny McCaslinが「Beyond Now」に引き続いて「★」の録音時のバンド編成で制作した新譜「Blow.」が世に出た。

Bowieのファンならずともインディーロックのリスナーにも聞かれるべき名盤である。

当方はBowieによって彼の名前を知った新参者であり、ジャズの知識もさほどないので、Donny McCaslinのより専門的な話を知りたければ下記リンクの記事を読んでいただけたら良いかと思う。

 

All About ダニー・マッキャスリン / リズムを革新するサックス奏者

 

さて、簡単にこのアルバムを説明すると、「Bowieを起爆剤とし、ロック的ジャズでもジャズ的ロックでもない、極めてマージナルな音楽が提示されたボーカルアルバム」である。前作「Beyond Now」はジャズを通したBowie像が部分的に提示されたアルバムであったのに対して、本作は完全にBowieの影響下に置かれ、己の心の赴くままに制作された非ジャンルアルバムなのである。その点に関しては、Donny本人が非常に印象的なコメントをプレスリリースに寄せている(Donnyの公式サイトのAbout欄に至ってはBowieの死から文章が始まっている)。

 

ーボウイと共演するまではこんなことが可能だとは思いもしなかったー

 

Before working with him,

things like this didn't seem possible to me

 

その"things like this"が本作、「Blow.」なのである。

 

 

いきなりGuns'n'Rosesの「Welcome to the Jungle」を思わせる三連音によって紡がれるリフによって始まるアルバムの開幕で、多くの人は戸惑うはずだ。本来はギターが担うであろうプレイを、オリジナル曲でサックスがその役を引き受けているのだ(「Great Destroyer」においても同様)。その後ボーカルのパートが終わってサックスソロが挿入される2分過ぎからの展開。ロックバンドのギターに置換しても何ら違和感がないフレージングである。先述の通り、自分にはジャズや楽器の専門的な話はあまり出来ないが、元々ギターなどの別の楽器が担当しているパートをカバーで演奏するのでもなくこのようなプレイを聞かせるというのは相当変わっている。

 

話は少し逸れるが、僕がロックバンドなどのジャズカバーコンピレーションを忌み嫌うのは、「ジャズ=おしゃれなBGM」という図式にあるのだが、それ以外に、それぞれの楽器の構造上発生する独自のフレージングやテクニックなどの文脈を無視して、原曲で演奏された音階や音の伸ばしをそのままに演奏するちぐはぐさにある。だがこのアルバムでは、別楽器が紡ぐべきフレーズを自分で一から構成して演奏するという極めて変則的なアプローチを採用している。その点でこのアルバムは非常に非ジャンル的立ち位置にあるのである。

 

 

「Break the Bond」では更にその傾向が明確に現れる。まるでボーカルパートをそのままなぞったかのようなサックスのメロディーライン。だがこれは原曲のないオリジナルの楽曲なのだ。サックスがあまりにもシンプルなテーマ(なのか?)を提示した後、中間部では先ほどまでバックにいたベースが全面に出、電子音の溢れる中でキーボードがソロを取る。あれほどシンプルだったテーマが破壊、分節され、音が滝のように流れ落ちる空間を鍵盤が縦横無尽に駆け巡る。そしてその暴れまわる音像の中で再びサックスが姿を表し、シンプルな節回しで混沌とした演奏をまっすぐ導く。そこからの感動的なソロはまるでBowieが彼らを導いていた時の状況を音の形にして表現したかのようである。

 

楽曲の曲想に関しても、Bowie追悼作であったはずの前作「Beyond Now」をもってすら別次元にあると言えるぐらいに多種多様である。coldplayのような「Club Kidd」、Bjorkにボーカルをそのまま置き換えられる「Tiny Kingdom」、ローファイの「New Kindness」、Hip-Hopの「The Opener」、まるでバラバラである。というか統一感ゼロである。そして、その不覊奔放なキャンバスの上を彩る楽器陣が、ジャズであること、管楽器であること、打楽器であることに捉われず、既存の在り方に与しない音の繋がりを描く。

 

まさにBowieが彼らに言った言葉、「どう思われるか、どうジャンル分けされるかは心配しないで。音楽を作ろう」を体現した作品が本作であり、逆に表層的にBowieの音楽のオマージュをしたわけではないため、楽曲の雰囲気がBowieに近いということはない。だがどの曲を聞いても、確かにBowieがこのバンドにいたという確信を持つことはできる。ただいいメロディーを書いていい演奏をするのではなく、音楽を通して人の価値観に影響を与えるーBowieの遺伝子がこうして引き継がれ、そしてまた他の誰かが感化されて新しい世界を構築する。その営みを目撃できるとは我々は幸運である。