Apollo96

地球の月から文化共有。音楽、映画、文学、旅、幅広い分野を紹介します。時々創作活動も。

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バンドが老いるということ〜Yesの来日を見て

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本当は書くつもりはなかったーライブ後、演奏の出来に「終わった出来事」として無慈悲にも脳の片隅に追いやられたYesのライブだったが、その後新旧問わず彼らのライブ音源を聞くにつれて、沸々と湧き上がる疑念ー今のYesはただプレイヤースキルの「老い」による劣化によってあの惨状を呈しているのだろうかという疑念ーが自分に今のYesに対して思うことを記事にするよう唆すため、こうして書いている次第である。よって、これは愚痴にまみれた陰鬱な散文であり、今のYes、その他の老人バンドのライブに行く足を遠のかすネガキャンである可能性も否定できない。だが、今までのロックシーンを作り上げた先人たちのファンとしては、「まだ現役の頃の雰囲気を感じられる」だとか「腐っても鯛」だとかフォローしきれていない珍妙な文章で変に持て囃すぐらいなら、死につつある様を正視して真摯に弔いたい。いや、本心を述べると最後に不死鳥のように復活して欲しい。David Bowieのようにやってのけた実例だってある。

結局この文章は何なのかーたとえ憧れの存在が老化して見てられない域に達してしまおうとも無関心になりきれない、一抹の期待を抱いてしまうことによって行き場のない悔しさや憤りがむくむくと湧いてしまう、そんな哀れな男の独り言がこの文章の正体である。

 

昨年のKing Crimsonのライブでは緊張と期待でおかしくなりそうだったのとは打って変わり、当日会場についても全くと言っていいほど高揚感には襲われなかった。むしろ、たとえメンバーが盛大なミスをしてもYouTubeのようには会場からブラウザバックできない、そのことが不安で胸がドキドキしていた。Alan Whiteがもはや数曲しか叩けないという正式メンバーなのか分からない状況である一方、バンマスのSteve Howeは著しい見た目の老化とは裏腹に、テクニック的には近年まで何とか踏みとどまっていた。だが、そうは言ってもとうとう誤魔化しきれないぐらいの劣化が訪れ、それが完全にバンド全体のノイズになりだしたと自分が実感したのは2018年のライブー前回の来日の後である。まるでギター初心者のようにたどたどしく弾く彼の姿には愕然とした。とうとうここまで来たかと。

 

 さて、ライブが始まってからの第一印象は「思ってたよりマシだった」。当然ながらメディアで聞くライブと会場で聞くライブは別物である。音のデカさで威圧されて何となく良く聞こえるように思った上に、何よりも目立ったBilly Sherwoodの歪んだベース音。CDでは本来のベースの持ち分を遂行するだけであったのが、いざ生で聞くと自分のたかだか23年間のライブ経験の中でもずば抜けてベースの音量バランスがでかい。

一応は若手扱いにはなる彼が土台を作り、なおかつテクニカルなプレイを前面に出しているので、マシに聞こえるのは当然と言えば当然。前回の来日では亡きChrisに気持ちを引きずられていたがためにちゃんとBillyを評価出来なかったが、今回はフラットに聞くことが出来たということか。そこまで特性があるわけでも、自分の好みの音楽スタイルを取っているわけでもないが、観客が望む最大公約数的演奏をしているお陰でストレスはない。

そしてドラムも前回に引き続き、サポートメンバーのJay Schellenが殆どの曲を叩く。もはや還暦手前の彼を若手と呼ぶのはおかしいが、後述するAlan Whiteのプレイに比べると瑞々しくパワフルで、現行のYesがパッと聞いた感じはまともに聞こえる1番の要因は彼の存在だ。

リズム隊が一回り二回り若いということもあり、第一印象は問題ない。ボーカルのJon Davisonもバンドにぐっと馴染んでいて、最初の来日のような違和感はない。さて、問題は初期メンバーのSteve Howeと、ある意味犠牲者のJeff Downesだ。

 

Steve Howeは先述したようにまともに弾けていない場面がいくらもあった。スケールを速弾きする際にミスタッチがそこそこあるのは許容範囲(むしろディストーションを入れずに古希の人間がここまで弾き切ることは驚異の域である)。むしろ、テクニック的には大したことのないメインリフのリズム感覚が狂ったまま弾き続け、偶発的ポリリズムになりかけた場面の方が、バンドの演奏としては悲惨であった。

テクニックが著しく落ちたとは思えない。1人でクラシックギターを爪弾くパートでは、10本の指を駆使して依然としてテクニックの健在ぶりを披露した。まともに弾けなくなったのはあくまでもバンド演奏の場での話だ。

元々彼はリズム感覚が優れていたわけではない。キーボードのRick Wakemanと2人して、BPMなる概念のないクラシック畑の感覚を引きずり、リブムキープとは無縁の突っ走りっぷりを全盛期では披露し、今は逆に本来の速度よりももたついているのである。無論、年齢も関係しているだろうが、どうにも意識の問題であるようにして大変モヤモヤする。

 

輪をかけてバンドの調子を狂わせているのがJeff Downes。「ラジオスターの悲劇」のピアノを聞けばわかるように、別に技巧派ではない。それにも関わらず度々Yesにスカウトされて本人の力量以上のタスクを課されてしまうのには同情してしまう。と言っても、弾けないフレーズを無理矢理弾こうとして毎回トチるぐらいなら何かしらの代替案を出してほしい。別に観客は彼に目の醒めるような(あるいはテクニックのひけらかしで下品な)ソロを弾いてもらいたいわけでもないし、彼の個性も未だにYesに愛想を尽かさず追いかけているファンにはちゃんと評価されているため、大胆に変えてしまっても大して文句は出ないだろう。

 

その一方で、ゲストとして途中から登場した初代キーボーティストのTony Kayeは、テクニカルなフレーズこそないものの、腕を大きく振りかぶって荒々しくオルガンを弾き倒し、やはり初期曲は本人が弾くのが1番だという納得のパフォーマンスを披露した。

そして介護されながらヨタヨタ現れたAlan Whiteも、力に欠けた省エネドラムを叩くものの、サポートのJayと同じドラムセットでもスネアの打音だけで彼こそがYesのドラマーだ!と確信させる安定感をもたらし、何故2、3曲しか叩けないのに意固地に引退しないのかをはっきりと自分の音で表明していた。 

 

今回アルバム再現を行った3rdアルバム。Tony Kayeのシンプルなオルガンは健在で、プログレというジャンルの抱える難解さよりYesの持ち味であるメロディーの親しみやすさが前面に出たポップなアルバムだ。そして近年の再現ライブの出来がどうだったかというと...いや、リンクは貼らないでおこう。

 

ここまで読んでいただいた人には分かるだろうが、今のYesが抱えているのは「身体的老化による演奏面での困難」ではない。「精神的老化による防げるミスの看過」という、よりたちの悪い爆弾を抱えているのだ。

演奏面だけではない。「本当に素晴らしい作品が出来るという確信がなければ新作は作らない」と職人気質な発言をしつつも、「過去のアルバム再現ツアー」という集客のために金の匂いがする呼び込みを続ける姿勢(既に名作は一通り再現し終わり、再現は二巡目に突入している)は、バンドとして新鮮さを保ち続けるには不健全な状況にある。

無論、かつての栄光を売り物にして老後の活動を行うバンドはいくらでもいるので彼らだけを責めることは出来まい。だが、こうも半端に「俺たちはまだやれる」と提示されて、ライブはミスが散見してグダグダ、となると、ファンとしてはモヤモヤして仕方がない。

 

思えば、Jon Andersonの気まぐれが頂点に達して2つのYesが現状存在している時点で、レジェンド枠の中ではかなり組織運営が下手くそなバンドであることは間違いないが、その2バンドにしても、片方は全盛期と全くそのままの演奏を披露し、新譜の話も宣言してファンの期待をくすぐりながらも、Jonの気まぐれ病が爆発して「新譜?何の話?」とバンドの存続も絶望的にし、もう一方は若手で空いた穴をどんどん補填してはいるもののソロイストがヘロヘロでどうしようもないライブを続けている。

 

90年代以降、決して楽曲の出来は悪くないが、屈託なく褒めちぎることが出来ないアルバムしか出てこなかったことも、結局はバンドが健全化する瞬間がごく少なかったからだと思うし、持つものはあるのにそれを充分に発揮できずに叩かれるという流れが定着したのは悲しい限り。そもそも本当に今のYesに絶望していたら、こんな誰に向けているのかも分からない愚痴を3千字も書くわけがない。あーあ。僕はYesが好きである。