Apollo96

地球の月から文化共有。音楽、映画、文学、旅、幅広い分野を紹介します。時々創作活動も。

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街角で理想の夏を見つけた話

これはある夏の夜の出来事だ。

 

僕は体調の優れない中受けた就活セミナーを終え、半ば朦朧としつつ家路に着いていた。四条通は酷暑にも関わらず相変わらずの人混みで、街の喧騒から身を守るため、僕はメタルを聴いていた(体調が悪くてもメタルは聞く)。イスラエルのバンド、Orphaned Landの新譜は疲れている自分を鼓舞し、包み込んでくれる。いつか記事にしよう。そう思って僕は道沿いの店には目もくれず、ただ家を目指して歩き続けた。

 

そうこうして、四条河原町の交差点に辿り着かんとする頃合いから、イヤホン越しにストリートミュージシャンの演奏が少し漏れ聞こえてきた。何やら和風ながらも欧米の楽器の音色であることが窺い知れ、更に言うと弦楽器のタッピング音が全体を支配しており、僕は「Chapman Stickだったら面白いな〜まあ、ないだろうけど」と、プログレ界隈では有名な(逆にその界隈でしか知られていない)10弦の楽器を思い浮かべつつ、自らの考えを否定した。

 

そうこうしているうちに、音の出所まで辿り着いた。

 

 

Chapman Stickじゃん。

 

 

余りにも予想外で、僕は思考停止状態に陥り、足を止める神経の信号を送ることに失敗し、通り過ぎてしまった。一分ほどして平静を取り戻し、引き返して自分が見た光景が本当であるかを確かめることにした。

 

 

Chapman Stickじゃん。

 

 

説明しよう!Chapman Stickとは、Emmett Chapmanが考案した弦楽器であり、8,10,12弦の3種が販売されている。見た目はギターのネックがぶっとくなった棒状の形をしていて、基本的な奏法はタッピングのみであって、ピックは使わないよ(弓で弾くこともあるぞ!)。エフェクター次第ではギターの音にもベースの音にも変化する万能な弦楽器であり、タッピングを駆使して片手で伴奏、片手でメロディーといったピアノのような演奏スタイルが可能なんだ。

この楽器を一躍有名にしたのはKing CrimsonのベーシストTony Levin氏であり、彼の演奏を機にプログレ界隈で一気に広まったんだ。なお、プログレ好きで知られるベボベの関根嬢も最近ライブでChapman Stickを弾いているところをお披露目したぞ。

あと、楽器名が長いから以後は「スティック」でよろしく。

 

そのTony Levin氏によるデモストレーションを見ていただけたらスティックがどのような楽器か大体分かるのではないだろうか。

 

さて、話を戻すと、件のストリートミュージシャンは男性がスティックを弾き、横で女性がソプラノで日本語の歌を歌っていた。その歌は歌詞ならず旋律も和風であり、スティックの叙情的なアルペジオの上を歌声がたゆたう様は言いようもない美しさで、僕はまるでそこだけ時空を超えて大昔の日本にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えた。人のごった返す酷暑の京都の交差点なのにも関わらず、彼らの周りだけ静寂と涼しげな空気に包まれていた。

 

場所は違うが、このようなスタイルで演奏していた。自分は見たときは女性も椅子に座り、マイクに向かって凛として構えていたのが印象的であった。

 

これを逃してはいけないと思い、当時(今も)食費をどう工面するか悩むレベルの金欠であったにも関わらず、即財布を取り出し、野口英世たちをカゴに送り出し、アルバムを手にとって帰路に着いた。後悔は一ミリもしていない。

散々焦らしてしまったが、ユニット名は「十一」(読み方は「じゅういち」)。スティック奏者の辻賢氏とソプラノ鳥井麗香嬢の二人組で、アルバムにはケーナ奏者やベーシストなどのゲストが参加している。また、CD版だと以下のBandcamp版のデュオのボーナストラックがない代わりに、オリジナル曲が更に5曲収録されている。

 

 

【アルバムレビュー】

 

十一の魅力を漏らさず伝えきっている素晴らしい1曲目「薄明」では、情緒的なスティックの旋律に乗ってソプラノのボーカルが幽玄な節回しで歌い、ボリビアの縦笛ケーナがどこか尺八を思わせる音色で二者の奏でるハーモニーに品良く絡んでくる。サビの盛り上げに向けてスティックが細かく音を刻んできたり、それまで裏にいたケーナが全面に出てきたりと、シンプルな編成でありながらもしっかり緩急がついていて、叙情一辺倒で終わらないところがアルバム全体のカラーを示唆している。

しっとりとした侘び寂び曲「夜桜」を挟んで続く「三番町の秋」では、ある人への思慕の思いを切々と歌う出だしからサビでは打って変わり、3拍子でワルツの様に音が跳ね、歌詞も音楽も明るくなる。アルバムの3曲目で曲名にも「三」が付くところは遊びだろうか。サウンドコンセプトや叙情性に甘えず、(ほぼ)アコースティックな音楽性でも決して飽きさせないようにする姿勢がよく伝わる曲だ。

続く「未来螺旋」や「鬼灯の坂」では、スティックがプログレにおいて名を馳せた楽器であることを再認識させる白熱した展開が繰り広げられる。低音と高音を同時に鳴らせるスティックの持ち味が存分に活かされ、打楽器がないにも関わらずバンドサウンドを聞いているかのようなスリリングさを感じるのは、この楽器があるからこそだ。

そして、ボーナストラックを除けば本編最後であり、メロディーの美しさと儚さもアルバム随一である「花園」がこの短い幻想への旅を締めくくる。もし惰性的にここまで読んでしまったという人がいたら、この1曲だけでも聞いてほしい。それだけでこの音楽の素晴らしさが存分に伝わるからだ。

 

こみ上げる気持ちを振り絞って歌い上げる、と書けばまるで演歌のようだが、実際に演歌の和の要素をうんと強めて、なお所々に欧米のエッセンスを散りばめたらこんな音になるのだろうという世界観だ。

 

 

 

繰り返して書くように、十一の良さは単純にサウンドコンセプトや雰囲気がいいところだけではない。巷のアンプラグドライブでは味わえない緊迫感や緩急の付け所もあり、バンドのライブのようでなおかつアコースティックな音楽にしかない美しさも味わえる、美味しいところ取りの音楽なのだ。

なお、京都の路上ライブだけでなく、ちゃんとした会場でのライブも京都に限らず名古屋や東京でも行っているので、もしこの記事でおや、となった方には是非チェックしていただきたい。

 

公式サイト

twitter.com

ミヨシの8月新譜レビュー

さて先月分のレビューです。過半数が初めて聞くバンドなので、良く言えば無邪気、悪く言えば情報不足の内容です。ご容赦を。

 

 

17歳とベルリンの壁「Object」

 

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最近羊文学などを中心に盛り上がってる、ジャパニーズシューゲイザーシーンのバンドの1つ。TwitterのTLで話題なので聞きました。

後述するバンド、揺らぎとは異なり、日本語ロックの文脈にシューゲイザーを持ち込んだところがいいなと思った。「複製品たち」辺りは曲名もあってPeople In The Boxっぽいし、「光景」はモロにスピッツだが、前半でシューゲイザーナンバーを並べてからのこの変化はにくい。

アジカンやくるりみたいな洋楽邦楽なんでも聞く重度の音楽オタクが率いるバンドは、一周回って日本語ロックの継承に注力する(くるりは必ずしもそうでもないが)傾向にあったが、彼らのようにどっちの要素も取り入れるバンドが出て来るのが2020年代のトレンドなのだろうか。

 

Alice in Chains「Rainier Fog」

 

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ミヨシはお恥ずかしい生き物なので、グランジはNirvanaしか聞いていないまま、それぞれのバンドのボーカルが亡くなっていく様を見てなんともやるせない思いでここまで来たのだが、このアルバムを聞いて何で聞いてこなかったんだろうと後悔した。

門外漢の粗暴な言い方をすると、メタリックなフーファイ。ヘヴィーだが柔らかく、ワイルドながらも温もりを感じる。似たような曲が続き、ミドルテンポの曲だけが続くので決してメタルのような盛り上がりはないが、疲れた心を委ねられる力強さや安心感がある。

 

Interpol「Marauder」

 

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新作がWireに似ているとのことで聞いてみた。確かにダウナーなポストパンクだ。Wireなどのポストパンクバンドは最近聞き出したので、どこがどう似てるとか具体的には言えないし、音が整いすぎていてポストパンクとして聞くには違和感があるが、それでもやはり80年代の不安定なロックシーンを音として表したあの感覚がここにも息づいている。

 

Oh Sees「Smote Reverser」

 

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どうやら今回は昨年に引き続いてOh Sees名義のようで。ただし、Spotifyは混乱してThee Oh Sees名義で配信している模様。

前宣伝とジャケットがメタルメタルしてて、さぞかしヘヴィーな音なんだろうと思って聞いてみたものの、いつも通りのかしましいガレージロックサウンドでござった。強いて言うとキーボードの存在感が強く、まるで70年代のハードロックバンドやプログレバンドを聞いているよう。

前作の冒頭のように破壊的に際立った曲はないが、オールドロック好きにも受け入れらるインディーロックバンドとして独走状態であるのは間違いない。問題はそれを認知しているオールドロック好きは極めて少ないであろうということ。

 

 

The Pineapple Thief「Dissolution」

 

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2年ペースで新譜を出していて、1枚ごとの作風の変化はいまいち分からないが、無難に佳作を出し続けるThe Pineapple Thief。オルタナティブロックを基調としたサウンドにメタルやプログレのエッセンスを取り入れ、侘び寂びの効いたUKロックを鳴らして20年近く経つが、金太郎飴のようにずっと高水準の作品を作り続けるのは才能だ。

僕の推しドラマーのGavin Harrison(ex-Porcupine Tree, King Crimson)が前作のゲストからメンバーに昇格しての参加となっている。その点だけでめちゃくちゃ評価できる。

 

糸奇はな「PRAY」

 

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以前スゴい中身スッカスカの記事で糸奇はなさんの紹介をして、当然ながら反響もなく大変申し訳ないことをしたなと自分の記事に初めて本気で反省したので、リベンジさせてください。

改めて説明すると、彼女のやっている音楽は非常に独創的だ。オルゴールやメロトロンなどのメランコリックでファンタジックな音と打ち込みサウンドが融合し、その上に、あるときは幽玄に、あるときはオペラチックに、あるときは力強い彼女の歌声が重なり、まるでセンチメンタルなホラー映画やノスタルジックな洋ゲーの世界の中に迷い込んだかのような錯覚を呼び起こす。

本作の素晴らしさは冒頭の3曲の流れを見れば分かるだろう。メランコリーさが爆発した「きみでないのなら」から幕を開け、RPGの登場人物としてメタ的視点から主人公のことを歌ったシングル曲「ROLE PLAY」でぐっと心をつかみ、Undertaleの作者Toby Foxの提供曲「74」では囚われの姫と見せかけて黒幕の邪悪な楽しみを躍動感溢れるレトロなサウンドで盛り上げる。

以降の曲もそれぞれ物語があり、音楽も微妙に表情を変え、決して一辺倒には終わらない。曲ごとの世界の住人が集まって1つの国を作り上げている。

本作は今までの既存曲をまとめ上げたベストアルバム的側面が強いが、2nd以降どのようなストーリーが紡がれていくのかが楽しみだ。 

 

浜田麻里「Gracia」

 

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浜田麻里というミュージシャンに関して、お恥ずかしながら名前をうっすら知っている程度でしかなかったのですが、今作のレコーディングにインペリテリや元ドリムシのデレク、Mr. Bigのポールにビリーなどなど、超豪華ミュージシャンが参加して夢のメタルバンドが発生している話を聞き、こりゃ聞かなきゃいかんわ、と1曲目を再生して僕の頭は吹き飛んだ。お陰で今は無頭状態でこの記事を書いていてとてもめんどくさいのだが、それでも僕をレビュー執筆に駆り立てるぐらいにこの作品は素晴らしい。バイト先で初めてこれを聞いたのだが、頭が吹き飛んでなかったら机の上に立って両手にメロイックサインを掲げて雄叫びを上げるところだった。本当に危険なので人のいるところで聞かないでください。

 

揺らぎ「Still Dreaming, Still Deafening」

 

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「17歳とベルリンの壁」と同じ月にEPを出してくるのが本当に良いな。ライバルにもなりうる2バンドが同時に新譜をリリースすることでシーン全体が盛り上がる。良いことだ。

揺らぎのサウンドはざっくり言うとポストロック×シューゲイザーであり、本来からBGMになりうるポストロックのスロウなサウンドに、シューゲイザー特有の主張感のあるドラムと幻想的な歌が挟み込まれ、アルバム全体のメリハリが効いている。

きのこ帝国がどんどんシューゲ路線から離れている一方で、また新しく複数のバンドが生まれているし、シューゲイザーは死なない。多分。

 

夕立、イーブニングサイド<ss>

 

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九月になって大学が始まると、言っていた通りくらげはアルバイトを辞めた。彼が夏休みの二ヶ月の間に稼いだ三十万円はそっくりそのまま手を付けられないまま、くらげの部屋にある空っぽの水槽に放られていた。著莪は何度も何か買えばいいのにと言ったが、くらげは親がせっかくお金を送ってくれているのだから今のうちは使いたくないと言った。

夏休みが終わってから、著莪はほとんどくらげの部屋に住むようになっていた。くらげのアパートにはキッチン以外に部屋が三つと、ロフトもあったし、壁がコンクリートでなんだか秘密基地みたいな感じがして居心地がいい。私もチャイナマネーの恩恵を受けているのだと思って著莪はよくひとりの時、苦笑いをしてしまう。著莪が図書館での仕事を終えてくらげの部屋に戻ると、くらげはいつもベランダの窓の前に三つ並んだ座布団で寝そべって小さな読書灯で本を読んでいる。日が暮れるまで窓際で本を読んで、日が暮れても、電気をつけに立ち上がるのが面倒だから窓際に置いた読書灯で本を読む。
金持ちのくせにケチだから日が暮れるギリギリまで電気をつけずに本を読む。くらげみたいな人がいるうちは、市民薄明という言葉も意味があるものだ。市民薄明は古めかしいレボリューションぽっさがあって好きな言葉だ。夕焼けの時間をネットで調べる時に市民薄明の欄があると著莪はわくわくする。

九月になってからは仕事が終わるより日が暮れる方が早くなっていた。今日は月曜日で図書館が休みだから、久しぶりにくらげの部屋の窓から夕焼けが見られると楽しみにしていたのに、急に雨が降り出してしまった。

夕立だ。ベランダでふたりで雲を見ていたら急にじめっとした風が上がってきて、手に雨粒が当たった気がしたら、すぐにざあざあ降りになった。

「ダメだ」

くらげがそう言うと著莪も黙って部屋に引きあげて、薄明るいレースごしの光の中から窓の外を眺め、今日は休みだったのに結局何もしなかったなと少し後ろめたくなった。

「ご飯でも食べに行かない?」

「だから雨だって」

くらげもつまらなさそうな顔をしている。仕事の日ならいくら降ってくれても構わないのに、と著莪は思う。

「やっぱり出かけようよ。せっかく休みなのにこんなんじゃ明日から仕事行けない」
著莪がそう言ったのを聞いて、くらげは黙って自分の寝室に行って、服を着替えて戻ってきた。ベージュの短パンに黒のTシャツだ。濡れることを想定している服装。

「くらげその格好、えっとあれだ。若い頃のジャルジャルみたいだ」

「それ誰?」

「日本じゃとても有名よ」

著莪も服を着替えに自分の部屋に入った。ここから三、四キロしか離れていない所に実家があるのに、著莪は九月になって少しずつ荷物をここに運び込んで、一応一番小さい特に何にも使われていない部屋を自分の部屋にした。くらげは何も言わない。

雨だから青い半袖のシャツを着て、下は濡れて足にビタッとはりつくのが嫌だから、膝がちょうど隠れるくらいのグレーのズボンを取った。

「服悩んでたの?」

くらげがバカにしたような顔で聞いてきた。

「普段メガネかけて働いてる図書館司書だって、休みの日はコンタクトに変えておしゃれもしようとするの!」

「変だよその格好」

著莪は確かにそうだと思って、くらげの目を見て二度黙って頷いた。

くらげの大きな黒い傘にふたりで入って駅まで二十分歩いて、傘を閉じて五百円の切符を買って、電車に乗った。嬉しいことに座れた。九月になってからくらげは電車とかバスであまり本を読まなくなった。忙しいから本に費やす脳みそが残っていないんだって言う。

「わざわざここまで出て来たはいいけど特に食べたいもの思い浮かばないんだよね。何食べようか?」

「ラーメンがいいな」

くらげがこんなすぐに食べたいものを言うのは珍しい。

「この間はラーメンなんてエセ中華だってゴタゴタ言ってたじゃん」

「あの時は僕が中華を食べたいって言ってシャガがラーメン屋に連れてったから文句言ったんだよ。今日僕別に中華食べたいって言っていないだろう」

「それは確かにそうだ」
駅を出ると新宿も大雨で、遠くの空で雲が光った。そして大きな音が鳴る。

「すごい。雷が光ると雲の形がはっきり見えるなんて知らなかったな。モコモコのランプシェードね」

そういって隣のくらげの顔を見上げると真っ青な顔だ。

「傘閉じようよ。落ちるんじゃないかな」

くらげは真面目な顔で言ってる。

「雷が私たちの方めがけて落ちて来ても、こんなビルだらけの場所でちゃんとここまで辿り着くかな。絶対途中でどこかにぶつかるよ」

大雨の中で、当たり前みたいな顔をしてくらげが傘を閉じようとしたので、著莪は慌てて彼の手から奪い取った。

「怖いならくらげだけちょっと後ろ歩いてたらいいじゃん。傘はちょうだい。私絶対濡れたくないから」

くらげは本当に傘のそばから走って出て行って、十五メートルほど後ろの建物の影を歩き始めた。著莪はやっとくらげの怖いものを見つけられたと心の中で微笑んだ。そのままラーメン屋までくらげは後ろからゆっくりついて来て、店に入った時にはベージュの短パンがすっかり茶色になるまで彼はびしょ濡れだった。

「今日だけは私が奢ってあげる。好きなもの選んでいいよ」

著莪はわざわざ雨の中付き合ってくれているくらげに対して悪いなと言う気持ちが湧いてきていた。

「じゃあラーメン大盛りに煮卵も」

少しくらい遠慮しなよって心の中では思ったけど、麺大盛りに煮卵トッピングを加えた値段と、くらげをひとりで濡らした罪悪感はちょうど釣り合う気もしたから著莪は何も言わなかった。食券を買って席について、著莪が後ろを見るとくらげが券売機にお金を入れていた。

「もう買ったよ?」

くらげは黙ってボタンを押して券を一枚取って歩いてきた。

「コップ二つお願いします」と言ってくらげが券を店の人に渡すと、「へい、お待ち」とビール瓶が一つ、コップが二つ出てきた。

「どうせビールは払ってくれないでしょう?」

「うん。コップ二つってことは私も飲んでいいんだよね?」

「もちろんだよ」

くらげは上手にビールを注いでコップをまず著莪に渡した。自分の分も注ぎ終わると、満足げに一瞬眺めてからコップを著莪の方へ突き出した。

「夕立と満月に」

「えっ、今日満月なの?」

著莪もコップを上げた。

「乾杯」

著莪はあまり酒を飲まなかったけれど、くらげはしょっちゅう酒を飲むので最近は著莪もだいぶ飲めるようになってきていた。九月だけれど夕立があるだけ、まだ夏に飲むビールの味がする。ラーメンが来るのを待つ間も退屈しない。

「へい、お待ち。大盛り煮卵トッピング、と並です」

「どうも」

わざわざどうもなんて言わなくてもいいのに、くらげは最近外で日本語を使いたがる。「どう」が棒読みで「も」がちょっと下がる感じがとても外国人の話す日本語っぽいけれど、著莪は心の中でだけ可愛いと思って、特に何も言わない。ラーメンを黙って、文字通り黙々と平らげて店を後にした。

「雨やんでるじゃん」

「夕焼けは見らんなかったけど満月は見られるね」

「満月なの全然知らなかったよ。くらげはそんなことよく知ってるね」

「だってスーパームーンだよ」

「スーパームーンって最近しょっちゅうあるけど、私普通の満月との違いわかったことないかも」

くらげも著莪も傘のことはすっかり忘れて南口まで歩いて、そのまま辺りをふらふらと歩いた。くらげが吸い込まれるようにレコード屋に入っていったから著莪も黙ってついていった。エレベーターから降りると店の中はまだ夕立のむわっとした感じと独特の匂いがして、おじさん達が真剣にレコードを一枚一枚見ている。諜報機関の秘密作戦のようで面白かったので、著莪はそのままおじさん達の間に入り込み、見様見真似でレコードを探した。くらげは音楽に詳しいけれど、著莪は大して好きなものがない。著莪が見た目が気に入ったオレンジ色のジャケットのレコードを手に取って裏をみると、青と黄色の可愛い模様の上に白いシールが貼られていてモーニング/イーブニングと書かれていた。

「きっとオレンジの方がイーブニングだよね。これ可愛い気に入ったから買おうよ」

著莪は少し遠くでCDを見ていたくらげのところまで歩いて行って、小さい声で言った。

「うちレコードプレイヤーないよ」

そう言えばそうだった。くらげの家にも著莪の家にもレコードプレーヤーはない。

「でも私これ気に入ったから買う。レコード屋さんなんだからプレーヤーも売ってるでしょ。見に行こうよ」

くらげが手に持っている三枚のCDもモーニング/イーブニングと一緒にレジへ持って行った。

「盤面の確認はされますか?」

著莪はどうしていいかわからなかったので、いいですと俯いて言った。くらげの持っていたCDは三つで千五百円くらいなのに、イーブニングはそれだけで三千円以上もしたので驚いた。

黒いビニールに入れられたレコードを持つと音楽なんて何も知らないのになんとなくワクワクするし、著莪はそのまま階段で機器を売っているフロアまで歩いて行った。著莪が一番安そうなプレーヤーを眺めていると、くらげは「一生ものだから」なんて言ってその隣にある五万円もするやつを買った。

「そのお金、私半分出すから。ちょっと貯金あるし、あとで返すね」

「良いよ。バイト代何にも使ってないし。ちょうど良いや。CDは著莪が買ってくれたし」

著莪はまた心の中でチャイナマネーだと思って、今度は中国のくらげの家族に申し訳ない気持ちになった。くらげは両手でレコードプレーヤーを抱いて、著莪が今まで見たことないくらい明るい顔でエレベーターに乗った。

「帰ったら早速聴かなきゃね。どんな音楽なんだろう」

「フォーテットは良いミュージシャンだよ。著莪は気にいるかどうかわかんないけど」

なんだ、知ってるのか。ビルから出ると外はすごく涼しかった。湿った黒いアスファルトが街の灯りを照らしている。もうちょっとだけ秋だということを著莪は忘れていた。雲もすっかり晴れているし、衝動買いの額にはどうかと思う部分もあったが、著莪はやっと今日という日に満足した。

「その、フォーテットってどんな感じの曲なの?」

著莪がそう言った瞬間、赤っぽい色の閃光が視界を覆った。

「え、今のって雷?」

びっくりした顔でくらげの方を見たら、彼はまた青い顔で固まっている。今度は著莪もくらげと同じくらい顔を青くしていた。ふたりとも今日の買い物の品をしっかり抱えたまま、あたりを見回した。通りを歩いている人も歩みを止めて道の真ん中を見つめている。

「今確かに目の前に落ちたよね」

「なんだか思っていたより雷って真っ直ぐなんだ」

くらげは濃い眉をへの字にして、泣きそうな顔で言った。

「でも、道路普通だし、燃えたりしてない。なんか赤かったし本当、思ってた雷と違うよね」

新宿の人は何もなかったようにまた歩き出して、道路の真ん中の、雷が落ちたように見える場所にいた人もひとり以外は何もなかったように散らばって行った。

雷が落ちたように見える、赤い閃光が真っ直ぐに落ちたように見えるまさにその場所で、立ち止まっている少年だけは空の一点を見つめながら泣いていた。大きな音さえしなかったものの、こんなに近くで雷が落ちるのを見た人間の反応としては彼のものが一番まともだ。

著莪とくらげもぽかんとした顔をして空を見上げた。そこには雲ひとつない、街明かりをどこまでも吸い込んで返さない暗くて深い空が広がっていて、その一番真ん中に満月がいつもよりくっきりと光っていた。

 

前の話

最初の話

aiko「ストロー」からみる 愛のゆくえ

 恋愛が鬱陶しがられ始めて久しい昨今ではあるが、人が人を求めるというのはやはり根源的欲求なのではないかと思ってしまうことも多々だ。だから我々はSNSにアカウントをつくり、誰かをフォローし、誰かにフォローされ、情報を発信し、情報を受信し、いいねをつけ、いいねをつけられる日々を送る。

 人類が人間社会を築き共同体として生を全うする以上、なにかを求める先には必ず人間がいる。そしてウェブ2.0期を境とする人間社会のアップデート以降、我々の抱く欲求とその満たし方をも更新され、人間関係の形式までもが多様化した。つまり、恋愛それ自体がオワコンとなった訳ではなく、恋愛以外の人との関わり方が拡大したことにより相対的に人間関係における恋愛の比率が低下し、かねてより続く恋愛至上主義的なものに我々は鬱陶しさを覚えるようになったのではないだろうか。また、性自認や性的指向の垣根が取り払われたことにより恋愛の形式も多様化しただろう。

 そんな現代だからこそ、我々は“恋愛”について考えてみる必要があるのではないか。人類が“恋“と呼び、“愛”と名付けたその現象は一体なんだったのか。人間の営みの中でも最小単位の文化、最小規模のエンターテイメントとも言える人と人との交流の中でもなぜ恋愛が特別視されてきたのだろうか、いま一度振り返ってみようではないか。

 

 私は、恋愛において人々が求めているのは端的に言って「他者」であると感じている。そもそも「自己」とは「他者」を認識し、その対比として確認されるものだ。人生とは「他者」であり、他者性を追求する最たる行為こそが「恋愛」であると思うのだ。

 小説家・平野啓一郎氏は著書『私とは何か 「個人」から「分人」へ』でこんなことを書いている。

 

愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態である。(中略)他者を経由した自己肯定の状態である。

 

 分人とは、人間とはそれ以上分割不可能な「個人(individual)」という存在ではなく、更に細かく複数に「分けられる(dividual)」存在であり、「自己」とはそれぞれの「他者」との相互作用の中に存在するものである、という平野氏が提唱する概念である。

 人間は他者を経由することでしか自分を存在させることができない。さらに経由する他者によって自己とは変わりゆくものである。そんな変動し続ける「自己」をプレイングする人生というゲームにおいて、最も自己を自己足らしめてくれる他者との関係性こそが「恋愛」なのではないだろうか。

 さらに、平野氏は同著書で、「恋」とは短期間で燃え上がるものであり、「愛」とは継続性の期待されるものであると説き、また、こうも書いている。

 

持続する関係とは、相互の献身の応酬ではなく、相手のおかげで、それぞれが、自分自身に感じる何か特別な居心地の良さなのではないか。

 

 「あなた」を反映した「わたし」でいられる瞬間の愛おしさをそれぞれが抱ける関係性、つまり「わたし」と「あなた」との間に自然発生的に生じる「共同性」こそが愛だ。「他者性」は「自己」への強い反応があると「共同性」へと変換する。そこに人が恋愛を求める理由があるような気がする。恋愛とはBoy meets GirlではなくYou & I である。

 

 恋は盲目とも言うように、「あなた」によって共同性を獲得しようとする愛すべき「わたし」にとってはすべての日常が特別性を帯びてくる。筆者の好きな和歌にこんなものがある。

 

信濃なる 千曲の川の 細石も

君し踏みてば 玉と拾わん  (万葉集 巻十四の三四〇〇 作者未詳)

 

 

 愛すべきあなたが踏んだ石であるのなら、川沿いに転がるなんてことのないただの小石であろうと宝になりうる。この「わたし」と「あなた」の共同性を築き上げる中のみで発生する美しき世界。まさに毎日がスペシャル、当たり前が輝き出し、日常だった光景が非日常へと移り変わる。これでこそ「あなた」と「わたし」の燃え上がる恋のパワーなのだろう。

 

 では、その燃え上がった恋のパワーが弱まり継続性の愛へと転じたとき、「あなた」と「わたし」の共同性が自然と化したとき、「あなた」が「わたし」を経由した分人の居心地の良さに慣れきったとき、愛はどこへ向かうのだろうか。「わたし」はなにを思うのだろうか、「あなた」になにを願うのだろうか。

 きっと「わたし」はこう願うだろう〈君にいいことがあるように〉と。

 

 

 デビューから20周年を迎える今年、その間日本のポップミュージック界の最前線でひたすらに「あなた」と「わたし」を綴った歌を歌い続けてきたaikoから、ニューアルバム『湿った夏の始まり』が届けられた。

 本アルバムで特に目を引くのは、やはりシングル曲でもある「ストロー」だろう。〈君にいいことがあるように 今日は赤いストローさしてあげる 君にいいことがあるように あるように あるように〉のフレーズが何度も繰り返され、嫌が応にも口ずさんでしまうほど印象的な「ストロー」では、「あなた」との共同性を獲得し、ある程度時間が経過した後の「わたし」の日常が歌われている。

 

 この〈君にいいことがあるように〉というフレーズ、字面だけみると前向きな思いと取れなくもないが、筆者にはどこかaikoの陰を感じてならない。曲自体も非常にリズミカルで小気味良い曲調ではあるが、決してハツラツとした明るさではなく胸の内に霧がかかったような印象を受けてしまう。軽やかながらも靄のかかった部分が奥底に潜んでいるかのようなこの感覚は、私たちが日常生活を送る中で度々感じる“マンネリ”に似たものがある。

 

 人間は慣れきったことは無意識で処理するようになるが、無意識は時に怠慢へと変化する。同じ時刻に起床し、同じような朝食を食べ、着替えをし、同じ時刻に家を出る、同じ時刻の電車に乗って年配のサラリーマンたちに押しつぶされ、同じ時刻に職場に着く、仕事の終わる時間だけは不安定で帰宅する時刻はバラバラだが、何時に帰ってこようが身体は疲れているからご飯食べてシャワー浴びてスマホを眺めながらゴロゴロしていつの間にか寝てしまう。そんな生活が習慣化し、毎日延々と同じ動作を繰り返していくうちに徐々に日常が当たり前に蝕まれ、“自分”が遠退いていくような感覚に苛まれる。自分は何のために毎日生活しているのだろうか、残りの人生もずっとこのままなのだろうか、そんなことを考えては「人生」とか「人間」とか「労働」とか「社会」とかの意味がわからなくなり、明日を生きる気力の一切を失ってしまう現代人もそう少なくないはずだ。

 

 「ストロー」ではその虚無にも似た感覚が恋人との同居生活に生じてしまう。

 

初めて手が触れたこの部屋で なんでもないいつもの朝食を 喉を通らなかったこの部屋で パジャマのままで朝食を

 

 君と初めて手が触れたのはこの部屋だったね。あれは君と出会ってから何度目のことだっただろうか、わからないけどお互いになんだかドキドキしたことは覚えているよ、コンビニで買ってきたお惣菜の味もわからないほどドキドキして結局ろくに手もつけないで、君に身体を委ねたあの日のことを……

 

 〈初めて手が触れた〉を字面どおり受け取るとして、手が触れたそれだけのことでものが喉を通らないほどの緊張感を覚えるのは「わたし」の中で「あなた」が特別な「他者」として存在しているからに他ならない。特別な存在である君との共同性の獲得を目標として過ごした日々は君と時間を共にすることそれ自体が非日常であり、何気ない当たり前の時間が特別なものに見えた。時を重ねるほどに一緒になれた私と君はついに同居することになった。これからはすべての瞬間が特別に感じられ、君と一緒にいつもドキドキしていられる、そう思った。

 だが、一つ屋根の下で君と過ごす日々は時間を経るごとに新鮮味が薄れ、当たり前になり、すぐそばに君がいるだけではドキドキなんてするわけもない。だから私は当たり前のように君の分も朝食をつくる。君も朝目が覚めると、パジャマのまま食卓へ座り、テレビから流れるワイドショーに気を取られながらなんでもない朝食をなんでもないように食べる。「わたし」と「あなた」が共同性を手にしたいま、同じ空間で同じ相手を前にしてごはんを食べることすらできないくらいに緊張していた「わたし」と「あなた」はもう存在しないのだ、愛は“燃焼”ではなく“継続”だ。

 

寝癖ひどいね 行ってらっしゃい 小さくさようならと手を振る 明日も君の笑顔を見られますようにと手をふる

 

 お互いを意識して些細な動作にすらも緊張していたあの頃の私たちはもういない。君はいま、私を目の前にしてもパジャマのまま寝起きの顔を平然と見せてくれるし、寝癖を恥じる素振りも見せない。昔は外を歩いていても窓ガラスに自分が反射するたびに髪型を気にしてた。

 忙しなく支度を終えた君はいつもの時刻に出勤する。君の帰りはいつも遅いよね、残業頑張ってるんだよね、そうわかっているから「行ってらっしゃい」と言う胸の内で「さようなら」とつぶやく。今日の君にはもう会えないとわかっているから「さようなら」とつぶやく。明日の朝、パジャマ姿で寝癖のついた君とまた会えますようにと、そのわずかな時間に君の笑顔を見られますようにと、私は手を振る。君は、次に私と会うのは明日になるということに気付いているのかな……

 

 〈君にいいことがあるように〉という私の抽象的な願いは、君の生活の具体像を描けなくなったことの表れでもある。君と一緒になってからは君と一緒にいる時間が減ってしまった。私のいないところで君が誰と関わって、どんな表情をして、どんな言葉を発して…そんなことを知るすべなどなにひとつない。それでも私にとってかけがえのない存在である君が、私のいないところで過ごす君の生活が少しでもいいものであってほしい、だから私はただただ願う、君にいいことがあるように。

 

瞳閉じて書いた日記 薄くて強い覚え書き ずいぶん色が変わったなって見えない心が愛おしい

 

 ふと、昔書いた日記に手を伸ばす。記された出来事はどれもありふれていて、特別なことはひとつもなくて、もしかしたらいまの生活ともあまり変わらないのかもしれない。でも、その文字からは幸せな私たちの様子が浮かび上がってくる。なんでもない朝食を一緒に食べただけのことがどうしてこうも嬉しそうに書かれているのだろう。一挙一動に幸福を感じていたあの頃の私と君の非日常は、いまや私たちの日常になった。正直、いまの生活は出会った頃より悲しくて寂しいかもしれないと思うこともある。でも、日常に君がいてくれるからいまの私が存在する。

 

お皿に残る白い夢を君の口に入れてごちそうさま 大きな小さい半分に慣れた頃思うこと

 

 「わたし」と「あなた」が「わたしたち」になることを夢見たあの頃は、ふたりで夢を追いかけた。「わたし」と「あなた」が「わたしたち」になったいまは、私は「わたしたち」としての私の夢をみて、君は「わたしたち」としての君の夢をみる。私の夢が君の夢であり、君の夢が私の夢であったあの頃とは少し違う。

 

君にいいことがあるように 今日は赤いストローさしてあげる 君にいいことがあるように あるように

 

 aikoは“赤いストロー”についてこんなエピソードを語っている。

 

赤色のストローを引いた時なんだか嬉しくて『小さいけどなんか前向きになれる嬉しい事が好きな人にたくさん起こったらいいな』と思って作りました 

 

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 赤いストローとは、すなわち愛する「あなた」が踏んだ小石のようなものである。小石自体に価値はないが「わたし」が「あなた」への想いを小石にも付与することでそれは「わたし」にとっての宝石となる。つまり、赤いストローを引いた時の嬉しさはaikoだけのものなのだ。〈君にいいことがあるように〉と願いながら赤いストローをさす行為は私にとっては小さな幸福であるが、君は赤いストローになにか思い入れがあるわけではないし、赤いストローをみて今日も頑張ろうと思うわけでもない。赤いストローは「わたしたち」の幸福ではない。ただ、君と生きる私の生活の些細な嬉しさのようなことが、私と生きる君の生活のどこかにも起こってほしいと、私は願うのだ。君はなにに小さな幸せを見出すのだろうかと想像しながら、願う。

 

 本当に大切なものは失ってから初めて気付く、使い古された言葉のとおり大切なものというのはいつしかそこに存在するのが当たり前になり、意識しなくなっていく。逆に言うと、我々が普段意識することというのは多くが異常を発しているものである。例えば、普段はおなかに意識を向けることは少ないが、腹痛がするときはお腹が気になる、あるいは少し脂肪がついてきたと感じればお腹が気になる。大切なものが正常に大切であり続けるからこそ、それがそこに在ることが自然で、普通で、日常であり、無意識ながら安定的に恩恵を受け取るようになる。日々の暮らしもそうだ。多くの人が安定を求める。暮らしを安定させ無意識で幸福を受け取りたいと多くの人は思う。

 ただ無意識は時に怠慢へと変化する。当たり前を繰り返す日々には惰性がつきまとう。また、繰り返し続けることは恐怖を伴う。いつ終わりがくるかわからない状況で同じようなことをし続けるのは苦痛だ。

 

 だから私は居心地の良さに佇むこの苦しさが大切であることを絶対に忘れない。忘れたくないからいまの生活の中に咲く小さいけれどなにか前向きになれるようなことをひとつひとつ見つけていたい。そして、君にも見つけてもらいたい。

 

 私は願う。

 君にいいことがあるように。

 繰り返し願う。

 君にいいことがあるように。

 繰り返し続けるこの願いが当たり前にならないように。

 君にいいことがあるように。

 あるように。

 あるように。