Apollo96

地球の月から文化共有。音楽、映画、文学、旅、幅広い分野を紹介します。時々創作活動も。

プラネットマジックをもう一度 〜N'夙川BOYSと私の話

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好きになった先輩が好きだって言ってた、だから知ったかぶりをした。

N'夙川BOYS。

なにせ知ったかぶりなもんだからその時の私はナギガワボーイズと読んだかもしれない。なんとなく先輩のンッ?と言った顔を覚えている。

 

N'夙川BOYSは西宮の狂犬ことKING BROTHERSの須方真之介(夙川ではシンノスケBOYS)、小山雅史(夙川ではマーヤLOVE)と現役トップモデルリンダdada嬢により太陽の塔の下で結成されたバンド。

その日の気分によって担当パートが変わるざっくり編成、その特異なビジュアル、グリコのおまけ菓子程度の演奏力で映画版モテキ(2012年)に本人役で出演、劇中歌「物語はちと不安定」を提供。でも意外とルーツはJoy Divisionのdisorder。そんなバンドである。あとはYouTube開いてください。

https://youtu.be/DBddnWs4-Ag

 

さて知ったかぶりをしてしまった15歳の私に話は戻る。当時高校一年生の私は見事に高校デビューに失敗し、先述の先輩くらいしか友達ができなかった。

そんな先輩の好きなもの、無碍にできるはずがない!と真っ先にYouTubeを開いた。

多分ナギガワボーイズで検索したからサジェストに助けられた。選んだ曲は先述「物語はちと不安定」。

まだしぶとい桜は枝にしがみついていた季節だったろうか、とにかく夙川と私はかくして出会った。

 

夏が来る頃にはすっかりそのヤバそうなバンドに夢中になっていた。

旧譜を聴きあさりシュクガワという読み方も覚えついでに阪急神戸線の駅名も覚え、彼らにのめり込むことでクラスで誰からも相手にされない自分を忘れられた。

やがてヴィレヴァンも特設コーナーを設けタワレコも旧譜を推し始め待ちに待ったメジャー1stフルアルバムが発売されたのは秋だった。

そしてその秋私は初めて彼らを生で見た。

ある大学の学祭だった。やや肌寒い日の野外ステージだったが生マーヤのジャケットの下はやっぱり裸だったし生シンノスケはほんとにステージ骨組みに登ってるし生リンダは鬼のように可愛かった。生マーヤはステージを取り囲む半円状の庇に登り「土星の輪!!!」なんて言いながら駆けていた。怒られるだろ。

だがそんなことはどうだっていい。確かに目の前で繰り広げられているのは昼間同じステージに立ったであろう学生さんバンドよりも拙いであろう演奏だ。

だけど泣けて泣けて仕方なかった。涙で歪んだ視界が極彩色でキラキラと瞬いたのをよく覚えている。

正直泣くほど大好きで追っかけていたとかそういうわけではない。だけどなんだかバカみたいな熱量でバカみたいな大人をやって、全てを肯定した上でステージに立っている彼らに、救われたような気すらしたのだ。

 

翌春、先輩にも振られ、相変わらずクラスでも浮きっぱなしの私は、シングルリリース記念のワンマンライブにすがるように足を運んだ。

このシングルというのが少し曲者で、ピアノパートとベースパートが夙川メンバー外で録られている。何が言いたいかというと、あの下手クソだった夙川ではないということだ。

ライブでもサポートメンバーがそのパートを当てたり、よりクオリティの高いものとなっていた。

またファン層も少し変化していた。いわゆる日曜邦ロックタグ全盛時代だった。案の定モッシュが起きていた。マーヤはおどけながら注意をしていた。どんくさい私は蹴っ飛ばされながら、それでもあの日見たキラキラをもう一度見たくて、ステージから目を離さなかった。きっとまたあの日のキラキラにまた救われたかったのだ。

 

翌年以降もベスト版のリリースが決まり、ドラマタイアップが決まり、セカンドも出た。まさに絶好調だ。

一方でそのタイアップ曲では何度も何度も「向こうさんからOKが出ないから」リテイクをしたらしい。いちリスナーの観点からしても、彼らを取り巻く何かが変わっていってるのは明白だった。

その後も数度ライブに足を運んだが、こんなにも楽しいしこんなにもかっこいいのにはなんら変わりないのに、私はどうしても奥歯に引っかかったような何かが拭えなかったし、たとえもう変わってしまったのは私のほうだとしても煮え切らない思いがあった。

 

自らを肯定できなかったのは彼らも同じだったのかもしれない。N'夙川BOYSは2015年の冬、無期限の活動休止を宣言した。

推測だけでものを喋ってはいけないのは重々承知だが、これじゃあまりにも胸の痛い結末だ。

どうしようもなく不安定な15歳の私に、土星の輪っかに腰掛けながら救いの手を差し伸べてくれたのは紛れもなく彼らだ。未だに私の心のどこかでは、あの肌寒い日に初めて浴びたバカみたいに愛おしい極彩色のロックンロールが鳴り響いている。

 

あの日の彼らがいつかまた帰ってきますように、そしてまたあの日の私のようなティーンを救うことがありますように。

 

by beshichan

究極のサイケデリア 『A Rainbow In Curved Air / Terry Riley』

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今日紹介するTerry Riley のA Rainbow In Curved Air は普段紹介する音楽とは随分ジャンルが違うが、ジャンルの括りを忘れて聴いて見れば別にそう変わらないようにぼくは思う。
サイケロック、ポストロックやシューゲイザー、エレクトロニカが好きな方には気に入ってもらえるかもしれない。


テリーライリーは俗に現代音楽、前衛音楽、ミニマルミュージックなどと呼ばれる類の音楽を作る作曲家だ。
このジャンルは抽象画に近い性質を持つことが多い。

www.youtube.com

タイマーの音と、奏者が動く音、演奏環境での生活音しか鳴らされない無音の音楽『4分33秒』や、639年かけて演奏されて今尚演奏が継続中の曲『Organ2/ASAP』を作曲したジョンケージが現代音楽家として有名だろう。

退屈だ、ふざけている、難しい、気を衒っただけのわざとらしい代物だなどと形容され、大衆に広く親しまれることは少ない。しかしこの抽象的音楽は本当に一部のフリークにしか響くことのないものなのだろうか?
ぼくはそう思わない。
作り手の個人的な感情を極限まで押し殺した無機質な音の集積に思えるこのジャンルだが、心を空にして耳を澄ませばそれは主観的に広がる感情の渦なのだ。支配されているとも支配しているともつかない不思議な感覚で純粋に音を楽しむことができる。
深く考える必要がない音楽、深く考えることのできない音楽。
理論的にあれこれ分析し始めるとたちまち詰まらなくなってしまう。頭をまっさらにして聴けば、音で身体を満タンにすることができる。そうすれば感じられるし、出来がいい人の脳では音が像を結ばれるかもしれない。
このジャンルの音楽の抽象性はどこまでも自然、楽しみ方は至って原始的だとぼくは思っている。


Ai Rainbow In Curved Air を書いたテリーライリーは広いジャンルに影響を与えた。
The Who のピートタウンゼントはテリーライリーの作品に深く影響を受けて曲を書き、その名曲にライリーの名を冠した。あのBaba O‘Riley である。

www.youtube.com

www.youtube.com Won’t Get Fooled AgainもまたThe Who がライリーの影響を受け作った曲だ。 

 

 

A Rainbow In Curved Air はオーバーダビングを多用した電子オルガンやハープシコード、タブラッカ(中東音楽において使われる太鼓)により演奏されている。初めてオーバーダビングを大々的に用いたこの作品は、その後の音楽の可能性を広げた。デヴィッドボウイもライリーからの影響を公言している。
虹色の音が織りなす多層世界は我々の見たことのないものを展開する。この曲は60年代後半、当時隆盛を極めたサイケデリックミュージックの金字塔でもあるだろう。

www.youtube.com

この緻密に広がる虹色の多層世界は、綿密に計算し尽くされた設計図の上に成るものではなくライリーの即興演奏に依るところが大きい。

ちなみに、即興演奏に興味を持ち始めてからというものジャズが明らかに人生にとっての重要な要素であったとライリーは述べている。特に彼が傾倒したジャズミュージシャンの一人はビルエヴァンスだ。ライリーのA Rainbow In Curved Air がリリースされる4年前にエヴァンスはオーバーダビングピアノで演奏した作品を発表している。ビルエヴァンスがテリーライリーに与えたインスピレーションは即興演奏のみに留まらない。

www.youtube.com

A Rainbow In Curved Air においてもう一つ魅力的な点をあげるとすればそのエスニックでな音色だ。エスニックはサイケに色を加える大切な要素の一つだ。ライリーは大学時代、Pandit Pran Nath に音楽を学んだ。
彼はインドの古典声楽の大物で、ミニマルミュージックの祖であるラモンテヤングにも音楽を教えていた。
ライリーは彼をきっかけに東洋の音楽に触れ大いに影響を受け、実際インドに赴いて現地で音楽を学ぶこともしたそうだ。

www.youtube.com


ちなみにA Rainbow In Curved Air が演奏、発表された時期に彼はたくさんの楽曲を同じような手法で完成させている。しかし数多くあるそれらの中でもこの曲はとりわけ鮮やかで、楽しく、壮大だ。

不思議な音色は反復されながら徐々に広がっていき、幾つにも増えて飛び回り、鳴き、唸る。音は重なり合い流れ、うねりながら姿を変え何もかもを埋め尽くす。まるで万華鏡の中に放り込まれたような感覚に陥るのだ。きっとLSDの効果はこんな風なんだろうと思いながらぼくはいつもこの曲を聴いている。
歪んだ空にかかる虹…サイケだ。

短くない曲である上に情報量が多い故に聴き終えたあと頭が明らかに疲弊するから毎日聴こうと言う気になるとは言い難い。しかし気分さえ整えばこの曲は明らかに僕にとって完璧で、それを聴き終えた時は気分もまた完璧になるのだ。

open.spotify.com

by Merah

女子にこそ聴いてほしいジョージハリスン

 

ビートルズの中でも「ジョンレノン、ポールマッカートニー、リンゴスター……あと1人誰だっけ?」と言われてしまうクワイエット・ビートルことジョージハリスン。(イケメン)

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ビートルズの特集など大体気難しそうな文ばかりでビートルズを知りたい現代女子的にはとっつきづらさMAX。
ジョージハリスンはイケメンで且つ女子もうっとりなたくさんのラブソングを書いているというのになかなか見向きもされない。
感情が動かされ、共感できる意見が欲しい…それが女心。(?)
うんちくやロジカルな音楽分析もいいが、たまにはこんな記事もよいではないか。
というわけで一応女である私もちこ(21歳)が現代女子に向けてジョージハリスンのアルバムや曲をオススメしたいと思う。

 

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『George Harrison』
まずはジョージハリスンを初めて聴く方にもおすすめなこれ。これを聴いてからすっかりジョージハリスンの虜になった。
このアルバムはとにかくジャケのイメージとぴったりで、陽の光にまどろみながら聴けたらどんなに幸せだろうかと思う。
全体から感じるやわらかさ、優しさ、ノスタルジックさは数ある作品のでもいっそう素晴らしいものになっている。
愛はすべての人にやってくると歌うイケメンジョージはイデアの塊。

 

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『Extra Texture』
邦題はジョージハリスン帝国。邦題がやばいからといって聴くのをやめないでほしい。

「Can't Stop Thinking About You」をまず聴いてほしい。感情を吐露させるようにジョージが優しいメロディとともにこんなことを歌っている。

「ぼくって 君のことしか考えられない
君のことばかり想っているのさ
君なしじゃ とても生きてはいけない
君のことばかり想っているのさ

夜が訪れてきても
ぼくは白昼夢を見ているような気分さ
君に会えないと ぼくは気が狂いそう
君への想いを どうすることもできないんだ

朝がやってきて
眩しい陽射しを投げかけても
君がいなければ なんの意味もない
君への想いをどうすることもできないんだ」

最高傑作とも言える素敵な歌詞。涙腺が思わず緩んでしまうようなこんなバラードがジョージハリスン帝国に実は潜んでいるのだ。

 

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『Livling In the Material World』
ジャケからただようこの禍々しいイメージは聴けば取り払われるはず。
「Try Some, Buy Some」ではどうしても恋ができない青年の前に運命の人が現れるというロマンチックな曲だ。
「ぼくって1人が似合いと思い始めた頃
君を見つけ目が覚めたんだ
それまで便利なことさえあれど
ぼくの心に訴えるものなどなにもなかった
でも君への愛に生き、君もぼくを、そう
ぼくを容れてくれたあの日からは一切が変わった 」
運命の人に出会ってから一変し、悲しみから幸福へと変わるメロディは歌詞ととてもリンクしている。

「That Is All」ではただただきみに愛を尽くして、ただそれだけに生きたい&伝えたい愛の化身ジョージが優しく歌っている。

 

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『Thirty Three & 1/3』
ダサジャケやないか!と侮るなかれ、私が1番推したいメロウなうっとりアルバムだ。

「Beautiful Girl」は一目惚れソングで、
「ぼくに笑いかけるあの子の笑顔をみたとき
ぼくにはあの子しかいないと感じた
あの娘がそっと触れただけで
僕が今まで待ち望んでいた相手だと感じたんだ」ととにかく相手を可愛い美しいとロマンチックでスロウなメロディと共に褒め倒している。

そして一番聴いてほしい曲、「Learning How to Love You」。これもラブソングで歌詞の内容も良いがAOR的なメロディにとにかく心揺さぶられる。これを聴けば必ずジョージのピュアでロマンチックな世界に浸れるはず。


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ジョージハリスンの書く曲は実に念密に作り込まれている。まさに大器晩成型であり、たくさんのヒット曲というよりは一曲一曲に集中する職人だ。
ポールのような天才的な才能や、ジョンのようなロックン・ロールスターといったような派手さもない。
ジョージの魅力はギターや歌のうまさといった技術面ではなく、哲学と悟りの末に行き着いた境地で醸し出される柔らかな佇まいと色気と艶やかさである。
ジョージの作品は精神の問題だからこそ端的で論理的に解釈するよりジョージのイデアな世界に浸り、楽しむのがより作品の真理に近づくのではないだろうか……と熱く語ってしまったが、とにかくみんなも上記したジョージハリスンソングをデート中聴かせてくれる素敵な人とめぐりあって欲しい。

 

もちこ

 

今のGrouploveを聴いてくれ-tongue tiedとwelcome to your life-

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https://youtu.be/1x1wjGKHjBI


Tongue tiedを覚えているだろうか。ロス出身の5人組バンド、Grouploveのファーストアルバム収録のシングルカット曲で、iPod touchのCMソングに抜擢され、彼らが一躍インディーロックシーンの第一線に躍り出るきっかけとなった曲だ。

この曲をはじめとして、彼らのファーストは大人になりきれない我々世代のティーネイジャーゴコロを大いにくすぐる「エモい」1枚だ。


そんな彼ら、去年の今頃にサードを出している。

正直セールス的にも動画視聴回数的にも彼らが業界において一定の地位を得ていないこと、ていうかぶっちゃけファースト一発だったことは認めざるを得ない。だが、Grouploveはこんなところで終わるタマではない、絶対に今、聴くべきなのだ。


まず1枚目、「Never trust a happy song」の話をしよう。

全編ゴキゲンな…と言ってしまえばバカっぽい総評だが、このゴキゲンの塩梅が絶妙だ。夕暮れの海帰りのような、「今日は楽しかった、この一瞬が永遠に続けばいいのに(だけど続かないのは知ってるから、余計にさみしい)」。そんな一瞬一瞬をスナップのように切り取り、鮮やかな絵の具でキャンバスを埋めていく。そうして生まれた音楽という印象を抱く。

「この一瞬が永遠でないこと」を認めてしまえば、大人になった証拠だ。と思う。だが彼らの音楽はそれを認めない。「この一瞬を永遠に変えるため」に音楽をやっているように思うような、みずみずしい音楽だ。


では何故今、そのファーストじゃなく、サードを聴くべきか?いやもちろんファーストも聴いてほしい。セカンドも聴いてほしい。EPも全部聴けよ。

それはさておいて、ボーカル/ギターのセバスチャンとボーカル/キーボードのハナは夫婦なのである。

夫妻には、このサードが出る少し前、娘が生まれたのだ。

(まあなんとも玉のように可愛らしいお子さんである。しかも夫婦のインスタに彼女が載るときは、「grouplove」という人物タグが彼女に引っ付いている。なんともカワイイ。)

大人になることを拒んでtongue tiedを歌った彼らは人の親となり、取り巻く環境も変化した。ここで聴いてほしい、サードアルバム「BIG MESS」のリードシングル「welcome to your life」。


https://youtu.be/ng8cDzyktEY


めっちゃいいだろ…?


この曲は、セバスチャン・ハナ夫妻が娘に捧げた曲だ。陽だまりのようなハナの声は本当に優しく、なんとも暖かさに満ちている。

「さよならなんて言わないで、おやすみなんて言わないでよ」tongue tiedでそう叫んだ彼らが、子供という存在を経て、変化することを肯定した。ビデオを見ても感じるように、彼らが彼らの音楽で切り取るものが「美しい一瞬」そのものではなく、本当ならば切り取りようもない「未来」に変わった瞬間なのだ。

またサウンド面も、色鮮やかな音を鳴らす前作までの流れを汲んでいるのは変わりない。だが、ヒリヒリとしたティーネイジャーっぽさの熱量は身を潜め、優しさに満ちたさらに表情豊かな音楽へ変貌を遂げたように思う。


そんなwelcome to your lifeをリードシングルに提げたサードアルバム「BIG MESS」。

もちろん他の曲もそんな背景を持ち、ファーストよりもさらに含みを持たせた素晴らしいアルバムとなっており、まさに今これを聴くことで、彼らにとっての重要な過渡期をリアルタイムで体感できることとなる。


彼らが持つ極彩色かつ繊細なパレットに、ドカンと大きなキャンバス。次はそれで一体何を切り取って描くのかな。私は来たるフォースアルバムがものすごく楽しみだ。さあ、今こそGrouploveを聴こうぜ。


CONTACT LIGHT

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アポロ96は月に生まれました。

少年は1人きりで生きてきたので感情というものを持ちませんでした。

彼は空に浮かぶひと際鮮やかな青くて大きな星と、小さくて眩しい赤い星にいつも憧れを抱いていました。

この星には砂と岩しかありません。一度遠くまで散歩した時に足跡のようなものを地面に見かけたこともありましたがそれっきりでした。


彼はよく地平の向こうに浮かぶ青い星を見つめながら散歩をしました。青い星はゆっくり周ります。
そして見た風景をうちに帰って絵に描くのです。この星の風景や空に浮かぶ星を描きました。もちろん青い星の絵もたくさん描きました。


青い星では白い砂嵐が毎日動きまわっていました。それは青や緑の大地の上で渦を巻いたり、流れたと思えば消えたりします。

アポロ96はそんな不思議な星に行くことをいつも夢見ていました。ただ青い星へ行くだけなら造作ないことです。あんなに大きいのですから途中で見失ってしまうということもありません。
でもアポロ96はいつもその星に着いてからのことを心配していました。もし帰ろうと思ってもこの星へ戻って来られないのではないかというのが一番の心配でした。この星は青い星に比べると、随分暗いのです。青い星に着いて空を見上げてもこの星が見えなかったら、アポロ96はもう決して戻って来られないのです。

 


アポロ96は20歳になった日にある決心をしました。彼はもう十分に成長したと感じ青い星に行くことに決めたのです。帰りたくても帰れなかったり、危ない目にあったり、そんなことがあってもきっとこの星で夢ばかり見ているよりは良いんじゃないかと思いました。

 

彼は青い星が綺麗に見える日に旅立ちました。小さな隕石や惑星のかけらを蹴って、一目散に駆けました。彗星の尻尾に掴まって近道をして、鉄の水車に座って休みました。青い星は何度も廻りました。そして一周廻るごとに大きくなりました。

分厚い壁を抜け大きく息を吸うとアポロ96はゆっくり落下しました。

 

やっと到着したその日、青い星は真っ暗に見えていました。アポロ96の星からいつも見えていた白い砂嵐はその晩は薄黒くと吹き荒れていました。逃げる間も無く砂嵐に呑まれてしまいましたがアポロ96が思っていたよりそれは柔らかかったです。砂嵐は時々大きな音を出して光りました。風に流されながらアポロ96は飛びました。

冷たい透明の砂が身体にぶつかっては弾けました。

珍しい景色に見惚れているうちにひゅうっと下向きの風に引っ張られアポロ96は嵐の中から落ちてしまいました。澄んだ空気が彼を囲いました。

ずっと下には小さな星が見えました。青い星の上には小さい星があるのだとアポロ96は思いました。
だんだん近づくにつれそれが星ではなく小さな光がたくさん集まったものだとわかりました。アポロ96はとても綺麗なその光る大地を目指して飛びました。

 


高い壁の間にある地面に立った彼の周りをたくさんの誰かがせわしく通り過ぎて行きます。壁の光は色々に変わって地面を照らしました。
少年はふとキラキラ光る高い壁に囲まれた空を見上げました。

狭い空のうんと高いところに、アポロ96が生まれた星が真ん丸で黄色に輝いていました。

 

前がよく見えなくなって、彼はマスクを外しました。その世界は彼の瞳には眩しすぎたのかもしれません。

目を拭って彼は歩き始めました。

「Stan Getz/Sweet Rain」

 

 

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Stan Getz 『Sweet Rain』(1967)

Stan Getz tenor sax

Ron Carter bass

Grady Tate drums

Chick Corea piano

 

このアルバムに出会ったのはジャズを真剣に聴き始めた頃だった。レコード屋の店の人にオススメされて出会い、それが私のスタン・ゲッツ(以下ゲッツと呼ぶ)の音楽を掘り深めるきっかけになった。

そんな思い出深いアルバムであるこの「Sweet Rain」をトラックごとに紹介したいと思う。

 

 

1. Litha

ゲッツの美しいテナーとチックコリアの支えるような控えめなピアノから始まり、この2人の相性の良さが伺える。

このアルバムの甘美な世界観を魅せつつ、スリリングで緊張感漂う一曲目。

 

 

2. O Grange Amour

二曲目はゲッツが世界にブームを巻き起こしたラテン系の曲だ。私は「ゲッツ&ジルベルト」に収録されたバージョンよりこのアルバムに収録されたバージョンの方がより洒脱で好きだ。

クールの中に情熱を帯びたゲッツの美しいテナーがアルバムの中でも格段に哀愁を帯びている。

 

 

3. Sweet Rain

表題曲であるこのトラックはシンプルであるが故にゲッツの演奏が際立つ一曲で、聴くだけでまさに"天国的な"体験をすることができる。

容易にアルバムタイトルの意味が連想出来るようなメロディーラインで世界観を演出しており、このアルバムを大きく支えるグラディ・テイトの絶妙でシャープなドラミングはより一層素晴らしい。

 

 

4. Con Alma

ラテン調なドラムから始まり、ゲッツが瑞々しいメロディーを吹き上げる。アルバムの3曲目では雨が降るが、4曲目にして雨が止み、太陽の光が生き生きと降り注ぎ美しい虹が見える様子を思い起こさせる。

 

 

5. Windows

若き日のチックコリアが作曲したこの曲は穏やかに始まっていくが、徐々にゲッツが見せる情熱的で熱いソロはこの曲の中で1番の聴きどころだ。

  

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村上春樹の聴く音楽に影響を受けた私は今でも彼のセンスには絶大な信頼を置いている。「海辺のカフカ」という小説でこんな場面がある。

「僕は自分の部屋に戻り、電気ポットで湯を沸かし、お茶を入れて飲む。それから納戸から持ってきた古いレコードを順番にターンテーブルの上に載せる。ボブ・ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』、ビートルズの『ホワイト・アルバム』、オーティンス・レディング『ドッグ・オブ・ザ・ベイ』、スタン・ゲッツの『ゲッツ/ジルベルト』。」

 この『ゲッツ/ジルベルト』はボサノヴァを世界に広め、ミリオンセラーにもなったアルバムであり、私もこれをきっかけに高校生の頃にゲッツを聴いた。

しかし、「Sweet Rain」のゲッツはボサノヴァ全盛期だった60年代初期のアルバムよりアートで端正である。

所持しているゲッツの数々の作品の中でも、特に何度もターンテーブルに乗せてしまう。私の始まったばかりの音楽生活の中でも数少ない大事な愛聴盤のひとつであり、ジャズを聴き込むきっかけとなった。

そんな思い出深いこのアルバムを是非雨の日に聴いてみて欲しい。

 

  

もちこ

ダンケルクにおけるノーランの功罪

グーテンターク。

巷で「新しい戦争映画」ともっぱら話題の「ダンケルク」の話をしよう。

まだ映画を見てない人でも読めるように決定的なネタバレはしないように書くので安心してほしい。それでも極力ネタバレを回避したい人にはあまりお勧めはしません。

ちなみに当方、ノーラン監督の映画は「メメント」「プレステージ」「バットマン三部作」「インターステラー」と過半数は見た、ライトなファンであり、戦争映画はハリウッド以外作品の視聴数の方が多い、ぶっちゃけ詳しくない人間なので、そのことを御承知くださいませ。

 

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ライトなファンとは言ったが、ひとつ、今作について確信していることがある。

それは、この映画がノーラン作品の転換点であり、さらにはハリウッド映画の転換点ともなりうる、マイルストーン的作品である、ということだ。

 

正直、ノーラン作品としても映画作品としてもかなりいびつな作りであり、手放しで絶賛できる作品とは言えない。しかし、それを差し引いても、この作品が内包するエネルギーは今後の映画に大きな影響を与えうる、刮目に値するものである、と私は思う。

 

本記事では、なぜ、この作品がどうしてそう言えるのか、映画としての難点も含め、順を追って述べていこう。

 

 

 

1.徹底した匿名性 

 

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主人公の一人であるTommy演じるFionn Whiteheadは今作が映画デビュー作であり、映画の匿名性に輪をかけている

 

 これは各メディアでも広まっているため、改めて説明するまでもないだろうが、主人公に名前がない。一応陸軍の一般兵の主人公には「Tommy」という名前が付いているが、イギリスでは陸軍兵士全般を表す言葉であり、邦画の主人公が「山田太郎」と「山田花子」と名付けられていると考えたら、この作品の違和感がグッと増すのではないだろうか。ましてやクリストファーノーランというドラマ性のある映画を作り続けてきたビッグネームの監督の最新作がそれである。あまりにも斬新である。

別に匿名であるのは名前だけではない。作品は陸海空の三視点から描かれるが、どの視点でも主人公に特別な役割はない。むしろ他の誰が主人公になっても問題ない、全く代わりばえのない一兵士(あるいは民間人)にすぎない。作品の評価を巡っての大きな争点はここにある。要するに特筆すべきことがない撤退戦のシークエンスを、ただ写しているだけというのがこの作品の実態であるのだ。

既存の戦争映画では主人公を巡った物語性が付与され、ある時は悲劇、ある時は喜劇、とはいかなくともハッピーエンド、という風に明確な筋道を与えているものが王道(ということにします、あんまり詳しくないんですが)であり、物語に観客が入り込むために人物像も丁寧に描くべきであるのだが、この作品で我々が登場人物から得られる情報は少ない。「プライベートライアン」のように、それぞれの兵士の過去を語らせて、観客に情を持たせようとする場面はなく、ただ、戦場に観客の視点は放り込まれる。

ここで評論家と観客の間で好き嫌いが生まれている。確かに映画は非現実的な虚構の世界であるために、一定のリアリティーがないとそらぞらしくはなるが、事実にこだわり続け、堅苦しく面白みのない作品となってしまったら全ては水泡と化す。ましてやそれぞれの人物(特に悪役)に緻密な設定を作り込み、丁寧な物語を生み出してきたノーラン監督が今までの自分の特長を捨て去るには、ただリアリティーを追求するだけだったという動機では腑に落ちない。それに関しては次の項目で考えていこう。

 

2. 圧倒的な体験性

 

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現場第一主義のノーラン監督はカメラのすぐそばに、時によっては戦闘機の中にまで着いてきたらしい

 

「ノーランといえばIMAX」というのは最早決まり文句となっているが、今作品ではその決まり文句を改めて誇張しなければならないほど、劇場の環境、そしてIMAXの環境が前提とされた演出がなされている。

何故、物語性はここまでに忌避され、排除されなければならなかったのか。それはこの体験性に答えが隠されている。我々も名もなき一般兵として戦場を彷徨わなければならなかったからだ。

想像するといい、視界中を埋め尽くす大きさのスクリーンには撤退作戦に右往左往する兵士の群れ、体を揺さぶるほどの敵機の接近音、そして空爆による爆発。陸空海でそれぞれ内容は違えど、「一歩間違えたら死」のシークエンスが尽きることなく延々と繰り返される。それも恐ろしく生々しい迫力で。

敵の攻撃が主人公の生存フラグのために都合よく待ってくれるはずがない。平兵が上層部の指令を直接聞くわけにもいかないので、自らの生命を左右する脱出方法は周りの兵士づたいに、曖昧にしか把握していない。そしてやっとの思いで船に乗ってもいつ沈没するかという不安は尽きない。従来の映画のように、主人公と友人が再開して話し込んだり、戦場のど真ん中で大切な人の末期を看取るような「しばらくは安全だ」という暗黙の了解を感じさせる場面は一切ない。いつ何時でも事態は急変するという冷酷な事実を匂わせた極限状態を追体験することで、我々は兵士に感情移入するのではなく、兵士そのものに「なる」のである。

ストーリー、人物設定に「ダンケルク」が背を向けているのは、今までの映画の「見る」という概念との決別と言うのは、少々筆が滑りすぎているかもしれない。だが、かつてなく体験型であるこの映画は、監督が一から十まで作り上げたものを観客が享受する手法ではなく、あえて空白のある完成度のものを観客側が補完して完成させるという手法が取られており、それがノーラン監督が今まで手がけてきた作品群、はては既存のハリウッド映画の手法とは大いに異なっていることは間違いない。

 

bwe344.hatenablog.jp

 

以前上記のブログで、一人称視点の映画、すなわちPOV方式の映画の流行について触れたが、その成立背景にTVゲームとポストモダン社会(マジョリティーの衰退)を挙げた。これは「ダンケルク」にもある程度共通するものがあるように思える。POV映画の成立した21世紀初頭から10数年が経ち、VRという利器が新しく生まれた今、映像においてもっとも望まれるものの一つは「リアリティー」である。自宅の一室でジェットコースターに乗ったり、ゾンビに襲われたりすることが出来る世界の到来である。それに対して、映画館やスクリーン文化をこよなく愛するノーランが何も思わなかったはずがない。映画館でしか味わえないリアルな映像を作ろうとした心理がどこかに働き、「ダンケルク」が生み出されたという邪推は案外的を射ていると思っている。

更には、ポストモダンという様々なマイノリティーが共存しうる今日という時代に、従来の戦争物語が両手を挙げて歓迎されることもない。愛国心を煽り、仮想敵を糾弾して不戦を語る映画は食傷気味で、取ってつけたようなヘテロな恋愛でマイノリティーが捨象されるような王道物語はノイズでしかない。その結果、「ダンケルク」は物語性に欠け、体験的なアトラクションとなった。そういう見方もできないだろうか。

そうなると、ハリウッドが今後どのような映画を撮っていくかを考えると、この「ダンケルク」が雛形になるのはごく自然な成り行きである。文化資本の消費期限が短くなり、中身の薄い商品が量産される中、必死に抵抗してきたのがノーラン監督であり、そう思うと残念な路線変更とも言えるが、ある種の「手抜き」がこの作品では受け手の感受性との関係性に大きな変革を生んでおり、そこらへんのゲームとは違う意味で話は「薄く」なっている。ノーラン監督に関しては必ずしも悲観することはないのだ。ただし後続の模倣作がどうなるかは分からないが。

 

3.捨て切れなかった保守性

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 だが、ある面で「ダンケルク」は非常に時代錯誤的な駄作である。ネタバレになるのであまり詳しくは触れなれないが、「民主主義万歳!自由万歳!イギリス万歳!」がこの映画のメッセージである。そのあたりの演出となると、途端にとってつけたようなチープな盛り上げ方で、唐突に「我々は自由を守るぞ!」「自分の命を危険に晒そうが、人のために頑張るぞ!」と胡散臭い主張が前面に出てくる。ノーランと言えば静謐ながらも熱い思いを感じさせる憎い演出がトレードマークである(と勝手に思っている)のに、今回に至っては「学芸会を見せさせられてるのではないか」というレベルに落ちる場面すら存在する。物語性はないのにプロパガンバはあるというのは悲惨な結果である。

 

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また、この記事にもあるように、実際には植民地であるインドやアフリカからの兵もダンケルクの海岸に大挙していたはずだが、主要人物だけでなく背景にいる兵士全体を見ても見事に白人しかいない。そういう意味ではかなり欧米中心かつオリエンタリズムに満ちた驕り高ぶった映画であるのは間違いない。

戦争という題材は監督の出生の立場に影響されてしまうことは避け難く、例を挙げると、ドイツ製作の「ヒトラー 〜最期の12日間〜」ではヒトラーがこれまでになく情や思いやりを持つ人物として解釈されており賛否を呼んだ。イギリス生まれであり、CGよりも実写を好み(この映画も実際に飛行機を飛ばし、空爆を再現したり、異常なこだわりを見せている)、アナログフィルムにこだわる彼がどの領域まで保守的な思想を持っているのかは存じあげていないが、brexitやスコットランド独立の気運が高まり、連合国としてのアイデンティティーが揺れ動いている母国の情勢に、「ダンケルク」が回答として作られているという解釈もあまり極論ではないように思える。

ただ、そうなると、兵士の匿名性、物語性の消滅、体験性にこだわった演出という「意図的に未完成」な新機軸が活かされてこないことになる。ある者にとってはベトナム戦争、別の者にとっては湾岸戦争、イラク戦争として「ダンケルク」を体感することが出来たはずが、露骨なイデオロギー主張で全ておじゃんである。

 

 

 

 

 

以上のように、賛否両方の視点から「ダンケルク」の特色を述べた。

簡単に傑作と言えないファクターが強すぎるため、「絶対に見ろ!」と強くは言えないが、IMAXで体感できる映像体験としては最上クラスで、今後の映画界を引張っていく一作であるのは間違いないため、劇場でしか見れない今のうちに見て欲しい。

 

 自分の中ではクリストファーノーランとは、人間の本性を描く、丁寧な映画作りを得意とするが、どの映画もとどのつまりは同じことをしている「金太郎飴」的な映画監督であった。

だが今作では従来の彼の作風は鳴りを潜め、全く新規の映画ジャンルを生み出そうとしている。それは手放しで評価できる内容ではなかったが、決して立ち止まろうとはしない監督の熱い気持ちに、自分の中での好感度はうなぎのぼりである。

きっと5年後、10年後、彼の作品は更に上の次元に達している、そんな期待を与えてくれる最高の体験だった。

 

 

めちゃくしゃしんどいけど!!