Apollo96

地球の月から文化共有。音楽、映画、文学、旅、幅広い分野を紹介します。時々創作活動も。

I Fall in Love Too Easily(あまりにも簡単に恋に落ちてしまう)

 

歌うようなトランペットに中性的な甘いヴォーカルのウェストコーストジャズのスター、チェットベイカー。
普段ジャズを聴かないという方でも、名前くらいは知っているのではないだろうか。
今回はチェットベイカーという人物について語っていきたいと思う。

 

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チェットベイカーは見ての通り、ジャズ界のジェームス・ディーンとも言われ若き日はとってもハンサムで女性を虜にしてきた。(Live音源でも女性の黄色い声がちらほらと聴こえる)

その上あの中性的な甘いヴォーカルとくれば一部のジャズファンから女子どもが聴くものとして認識されそうであるが、女である私はそれをポジティブな言葉として受け取りたいと思う。
それはきっとチェットという人物が「放っておいたら勝手に野垂れ死んでそうなくらいどうしようもないダメ男だけどいたいけでなんだか放っておけない……!」というような母性本能をガンガン刺激してくるからだ。そして彼のため息の出るような美しい演奏もしっかり楽しめば楽しさが倍である。
そういうわけで女として聴くチェットベイカーもまた格別なのだ。

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彼の代表的なアルバム「Sings」では文句なしの甘くロマンチックなチェットのヴォーカルと透き通るような美しいトランペットにうっとりできる。おそらくチェット入門にはもってこいだ。

リバーサイドから出ている「It Could Happen to You」や「Chet」はかなり売れ線を狙っているのが見え見えだが、その聴きやすさや表面的な美しさをギリギリのラインで芸術に昇華させ、洗練されたアルバムにしている。
この大衆性と芸術性との舵取りが絶妙な塩梅なのも彼のなせる技である。

そして私の最近お気に入りのアルバムは「Chet Baker In Milan」だ。このアルバムを聴けばチェットのトランペットの良さがとにかくわかるだろう。このチェットの演奏は実に伸びやかで、今にも潮風が吹いて水しぶきが飛んできそうなとってもごきげんな演奏である。

https://youtu.be/6MeWbAHS6Z4

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そしてチェットベイカーの魅力は誰しもが”あまりにも簡単に恋に落ちてしまう”ような音だ。
若き日のまっすぐと吹き抜ける爽快な音色や甘く囁くような優しい音色、哀愁漂う晩年の色気を醸し出す音色などチェットのトランペットからは目が離せない。

必要最低限の音で無駄に着飾ろうとしない洗練されたその音はまるでディオールのニュールックのように上品。
そして翳りのあるささやくような唄は彼の天性のジャジーなフィーリングから生み出される。
吹きたくなれば吹き、唄いたくなれば唄う。確かにそこに居るのに、どこかにふと消えてしまいそうで追いかけたくなる。ゴダール映画の「勝手にしやがれ」の風景にもあてはめたくなるような色男、チェットベイカー。
そんな彼の魅力に皆おもわず”あまりにも簡単に恋に落ちてしまう”のだ。

 

 https://youtu.be/4Zbo6EEqp2c

 

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追記:レコードプレーヤーをついに一式揃えました。某雑誌で入手困難といわれたCandyのレコードは私の宝物です。

 

もちこ

Temples 来日公演に向けて!火山の国ニッポン万歳!

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11月は待ちに待ったテンプルズの来日公演だ。度重なる来日ラッシュに疲れ始めた皆さんには、この記事を公演に向けた起爆剤にして頂けたらと思う。

テンプルズが今までに出したアルバムは2枚、後は5曲程度のB面曲があるのみなのでさっと概要を掴むのは簡単だ。
ここでは一歩踏み込み、あまりメディアに取り沙汰されなかった2ndアルバムのヴォルケーノと、個人的ライブの見どころについて語ろうと思う。

 

待ちに待った2ndアルバム、Volcanoについて

www.youtube.com フジロックでは演っていないヴォルケーノ収録曲。

昨今の新人バンドに珍しくない2ndアルバムでの失速という現象は当然テンプルズにも心配されていたわけだが、2ndアルバムのヴォルケーノは明らかに我々の期待を超える出来で待ちくたびれたファンを安心させてくれた。
実は1stアルバムであるサンストラクチャーズから3年空いての2ndアルバムである。本人たちとしても2ndアルバムを急いでクォリティを落とすことを避けたかったのだろう。実に懸命な選択だったと思う。
ただ時間をかけすぎた分、世間の注目は離れてしまったし、あっと言われる新鮮さで批評家たちを惚れさせるほの出来とも言い難いものでヴォルケーノはセールスも知名度もデビュー時の飛躍感には劣っている。しかしとにかく良いアルバムなのは確かだ。

 

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前作との違いは概ねアートワークの変化に相似だ。

サンストラクチャーズのアートワークが不思議な建造物(実在する)とレトロスペクティブな青年たちの遠景であったのに対し、ヴォルケーノのアートワークはシュールレアリスティックな象形だ。ヴォルケーノのサウンドは過去のムーブメントの焼き増し以上のもので、奇異で独自性のあるものだ。時間が長く経った分だけ新しい技術アイデアが散りばめられ、過去からのレファレンスも幅広くなった。

キーボード・ギター担当のアダムのシンセのバリエーションが広がったのはもちろん、ライブではベーシストのトーマスがキーボードの前に座る場面も見られた。


このアルバム、敢えて例えるなら天地創造。4人の覡は富士(FUJI?)の頂から人に創造の神話を語ろうとしているのだ。
ケタリング神話の第2章ヴォルケーノには、我々が如何にでも解釈できるくらい鮮やかなシュールレアリズムが鳴り響いている。

やはり拝めるアイドルはテンプルズの他にない。

 

www.youtube.com  2015年にはVolcano/Saviourというタイトルで既にライブで披露されていたOh! The Saviour。今年はまだ演奏されていない。

 

余談だが、実は先程少し富士山と言う言葉を持ち出したのには理由がある。今作のタイトルであるヴォルケーノが指す火山はほぼ確実に富士山なのである。
「何だ火山なんて世界中にいくらでもあるじゃないか。いくら日本が好きだからって富士山とは限らないのでは?」
という声が聴こえて来そうだが理由は以下の通り
本人がインタビューでそう語っているから

ジェームズ

「ヴォルケーノの中で最初に書かれた曲はOh! The Saviour。僕が唯一ホテルの部屋で書いた曲だと思う。あれは日本の富士山にいた時だった。」

インタビュアー

「だから歌詞に火山と出てきて、それが最終的にアルバムタイトルになったと?」

ジェームズ

「その通り」

www.billboard.com

 

大概Fuji Rock期間中の苗場プリンスホテルでの出来事だろうと推測するが、そうであったにしても彼は富士山に居たつもりであり、ひょっとしたら本当にツアー中富士山に立ち寄っていたのかもしれない。
しかしまあとにかく、Oh The Saviorの歌詞と曲の原題に用いられた火山とは富士山からの着想なのだ。そしてアルバムタイトルはその曲から拝借と…
日本に生まれて良かった。

こんな日本人にとって特別なアルバムであるので僕の思い入れも深いです。一度聴いてさらに歌詞を読んだりでもすれば、僕が勝手におとぎ話をでっち上げてしまいアルバム紹介で妄想ばかり語る理由も分かるはず。

 


ここからは月末に控える来日公演に向けて今年のツアーで既に演奏されている曲の中から個人的に熱い曲を紹介したい。

 

Certainty

www.youtube.comヴォルケーノからの先行シングル曲だ。この曲はイントロからもう最高。フィルインからの図太いシンセベースで緊張が走り、メインリフですぐ聴者は最骨頂に達する。
ちなみにフジロックでは最前列のど真ん中にいたのだが、サートゥンティーの熱波をまともに食らってしまった前方エリアは気づけばリフをシンガロングしていた。リフのシンガロングがテンプルズのライブで起こるのだ。本当に楽しかった。一番の盛り上がりどころの様に感じたのでたくさんはしゃぎたい。

 

Ankh

www.youtube.com

Ankhはテンプルズを象徴する曲の一つ、またアンク「☥」とはエジプトの象形文字で生命を象徴する。1st期の曲だがアルバムには未収録、元々はColours To Life のB面曲で日本独自盤であるシェルターソングEPにも収録されている。
もちろん一番の見どころは、間奏のシンセリフだ。ジェームズの歌の後にさっと静かになりベースだけが孤立し、その次の瞬間一気に印象的なリフが来る。ぼくは毎回YouTubeで動画を見る度に、はぁ自分はこの瞬間のために生きてきたんだなと安直に思ってしまう。
(残念ながら今ツアーでの演奏頻度は高くないので運良く見れたらラッキーほどの気概で。)

How would like to go?

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ある意味2ndアルバムのヴォルケーノで最も地味な曲と言えるが、フジロックでぼくの記憶に最も印象を残した曲はこれである。ライブ映像を見てもあまり伝わらなさそうなのでiPhoneで撮ったフジロックでの写真を載せておく。かなり神聖な瞬間だった。ジェームズがギターを置いて歌うシーンは心が奪われる美しさだ。

 

Mesmerise

www.youtube.com

スタジオアルバムの音源と全く違うことになるのがこの曲。アウトロが延長されなんとも最高だ。どこかのインタビューで「本当はアルバムでもああやりたかったけど流石に生意気だと思って思いとどまった」みたいなことを言っていた記憶がある。シューゲイズバンドでホロコーストパートと呼ばれる轟音パートに似ているとも言えるが、この曲のアウトロはより多面的なサイケでとても瞑想的だ。
僕は今年のフジロックこれを楽しみにして行ったと言っても良いくらいこのアウトロを愛している。
ちなみに「メズマライズは終わらない」とジョジョの奇妙な冒険 第4部のサブタイトルにもなっている。嘘だ。

 

以上
この辺りがライブでの見どころかと。

 

それでは皆さん楽しんで来てください。
by Merah

平沢進を聞きますか?

ご!

 

突然だが、平沢進を聞いたことがあるだろうか?

 

1954年生まれの63歳、普通のミュージシャンなら創作のピークも過ぎ、ベストアルバムやカバー集を引っ提げ、毎年ホールでライブをやる歳なのだが、彼は昔と変わらず精力的な創作活動を続け、近年になってまた人気のピークを迎えている、稀有な年齢不詳のおっさんだ。

何故最近再び売れ出したかというと、それはなんとも21世紀らしい理由である。

 

彼はTwitter芸人なのだ。

 

最初は企画的な一時の様子うかがいで開設したアカウントだったが、自分のバンド、P-modelのメンバーの名字が、当時ブレイクしたアニメ「けいおん!」の登場人物に流用されたことをネタに、名言「間違えてないか?私は平沢進だぞ。平沢唯じゃない。」を放ち、元から浮世離れしてるキャラだったことを知ってるファンは「平沢から萌え文化の話が出るなんて!」と驚き、彼のことを知らない人は「けいおん!の元ネタの人のユーモアセンスが凄いらしいぞ」とRT&フォローをし、平沢唯発言時代は「私みたいなマイナーなんぞに3千人フォロワーが付くなんて何かの間違い」と言ってたのが、今月とうとう10万の大台に乗ってしまい、途中で「マイナー代表」から苦し紛れに「ステルスメジャー」と自称を変更にした彼も、今やネット住民の間ではそこそこ有名人になってしまった。

 

ツイートは正直意味不明なのだが、言葉選びなどのセンスが良くて、筒井康隆が落語をするような、それ単体で一つの創作物として成立している。

正直金取っても良いレベルと自分なんぞは思ってるが、一方で、Twitterのキャラが一人歩きして、音楽家として彼のことを認知しないファンも増えたようである。

 

そんなわけで、この記事では、「平沢、たまに名前聞くしちょろっと見て面白い人とは分かったけど、ぶっちゃけよく分かってない」ぐらいの人を対象に、彼の音楽をプレゼンしよう。

 

人間性も相当マッドな人だが、それはTwitterででも「誰か平沢の魅力を教えてください!」と叫べば、拡散されて山のようなレスポンスが来るので気になる人はそうしてください。

じゃ、行くよ。

 

 

①まずはインパクト大の電子サウンド

 

核P-model - Big Brother

 

youtu.be

 

収録アルバム「ビストロン

 

一曲目となると選び手のセンスが問われるが、ここは無難に僕が平沢にハマった最初の曲を推したい。

まず初めの素朴な疑問「核P-modelって何だ?」について答えるが、

 

P-model解散後、歌もの要素の強い「平沢進」名義に専心していたが、久々に電子音バリバリのサウンドでやりたくなった。けどバンド再結成したくないし、「核」って付けることで区別したれ。

 

と、まあこんな感じのものです。

普通ならバンド再結成、あるいは新しいバンドを作れば済む話だが、彼はマッドサイエンティストと仙人を足してじっくり煮詰めたような人格の持ち主なので、歴代バンドメンバーとは解散後もずっと仲良い癖に、バンドは絶対いやなのだそうだ。

という訳で、平沢の話で解せない行動や設定や謎ワードが飛び交っても「あいつはそういうやつだ」という風にスルーして、決してファンが勝手に教祖に祭り上げてると思いなさらないように。

 

長々と話したが、執拗にまで重ねられた電子音に禍々しいコーラスの入る強烈なこの曲は、タイトルから分かるようにディストピアがコンセプトにある。

基本的に彼はSF好きの万年中二病なので、SFチックな設定を好んで用いる。なので、この曲を気に入った人はまだまだ同路線で楽しめるので喜びましょう。

 

②電波系ヒラサワここにあり

 

平沢進 - 世界タービン

 

 

収録アルバム「サイエンスの幽霊

 

※PVがガンギマリなので、視聴時には周りの目を気を付けてください。

 

曲としてはもっと公式が狂ってるものもあるが、あくまでも入門なので、ここは彼のマッドサイエンティストっぷりが程よく確認できるこの作品にしておいた。

 

何が「ヨングミナー」なのか、何が「タービンが回るから大丈夫」なのか、我々には一ミリも分からない(ヨングミナーは古代朝鮮語らしいが)。

恐らく想像はとっくについているだろうが、彼の歌詞は日々のツイートに負けず劣らず意味不明で、解読しようとするには大変骨が折れる。

辛うじてこうではないかと自分なりの答えを出すと、「音楽を聴くというのは聞き手側の知識や感性を作品に投影する行為」と規定する平沢らしく、そこには普段自分では意識してなかったが心の奥底では気付いていたかもしれない、物の見方が転がっている。そういう風に人々を別の領域に導くのが、彼のやり方。どう考えてもカルト宗教。

フロイトやユング、SF作品が彼のインスピレーション元なので、この記事を機にハマった人がもしいれば、ハヤカワ文庫などとゆくゆくはお友だちになることだろう。

 

③電波だけが取り柄じゃないよ平沢は

 

平沢進 - ロタティオン(LOTUS-2)

 

 

 収録アルバム「千年女優オリジナルサウンドトラック」、「賢者のプロペラ」、「映像のための音楽

 

最初の二曲でビリビリしびれる平沢サウンドを堪能してもらったが、勿論それだけが平沢の強みではない。

これはサブカル界隈では有名人のアニメ監督今敏の「千年女優」のED曲であり、おそらくツイッター以前の平沢新参者のメインルートだったのが、この曲辺りであろう。

一人の女優の生涯をダイナミックに描いた本作の感動を更に溢れさせるこのメロディー。輪廻転生を象徴する蓮をタイトルに据えた歌詞も含め、余りにもクライマックス過ぎる超名曲である。ちなみにタイトルにLOTUS-2とあるが、LOTUSという曲を聞いた今敏がインスパイアされて千年女優を作ったことに対して、平沢本人が直々に続編を作ってレスポンスをするという何とも羨ましい話である。

今敏監督は惜しくも「パプリカ」を遺作として亡くなったが、葬式の出棺時にはこの曲が流れた。作品だけでなく、一人の生身の人間の人生までをも包みこむスケールの大きさは、ここまでに浮世離れした達観の域にいる平沢だから出来ることだ。

恐ろしいことに、平沢はこのレベルの曲を割と簡単に作ってしまう。

普通のミュージシャンが、最盛期のアルバム二、三枚にやっとこさ収められるクオリティーの曲をちゃちゃっと造作もなく作ってしまう。なんとまあ、恐ろしいなで肩のおっさんだ。

 

④中二万歳!バカコーラスに酔いしれろ!

 

平沢進 - 灰よ

 

 

収録アルバム「Ash Crow

 

先述の今敏しかり、独特の世界観、SFやファンタジーと親和性の高い作風もあってか、平沢にはクリエイター側のファンも多い

「ベルセルク」の作者、三浦健太郎もその一人である。「ベルセルク」のアニメには平沢が度々曲提供をしており、この曲は去年のアニメ化に際して書き下ろされた新曲である。

分かりやすいオーケストラサウンドをバックに熱唱しているが、壮大なコーラスは女性のクワイアの打ち込みもあるが、ソプラノも含めて彼の多重録音が基本的なスタイルだ。コピーペーストではなく、全ていちいち歌い直しているため、「バカコーラス」と自称してるが、そもそもこんなに高音域になったのも、歌よりオケから、しかも鍵盤の黒鍵を使わずに作曲していたら自分の声域が二の次になって…と無茶苦茶な説明をしており、怪我の功名も大概である。

ベルセルクの曲は大体こんな感じなので、バンドを「培養」状態(無期限活動休止という意味です)にして最大の収穫は、バンド時代にはなかったダークファンタジー路線を量産するようになったところにあるだろう。

 

⑤昔はこんなこともしてたよ

 

P-model - Potpourri

 

 

収録アルバム「Potpourri

 

実は私、バンド時代のライブ音源なども含めたボックスセット、「太陽系亞種音」(ネーミングセンスで色々悟ってほしい)でP-model時代の曲を一網打尽に聞いてやろうと画策しつつも、貯金が出来ずに停滞状態で、90年代以降のテクノポップ時代を聞いているぐらいで、80年代の生演奏時代はさっぱりだが、一つ、バンド時代でも彼らが異色だったことを示す曲を載せておこう。

 

この収録アルバムはいわゆる「ブレイクした後に同じ路線で行くのに飽きて出したダークな三作目」なのであるが、平沢の場合は「これぐらいで離れるファンならどっかいっちまえ」ぐらいの開き直りをして作っているので、ブレがなくアングラを全力でやりきっている。

平沢と言えばファンへのツンデレ芸が当時から有名だが、ここまでそっけないのも「ファンに背を向けても付いてくるのがミュージシャンの実力」みたいな考えが根本にあるようで、違法ダウンロードにも「所詮は金を払う価値がないと思われているだけのこと」と言明し、自らは約20年前からアルバムリードトラックをシングルカットではなく、無料ダウンロードで配信するという、ストリーミング普及前の欧米の音楽シーンの一般的な手法を先取りしていた。そこまで自らの作品に自信を持っている中々に気骨のあるタフガイなのだが、デビュー間もない時期に彼のことを見初めたのが、なんとあのDavid Bowieである。

楽屋にやってきて馴れ馴れしく話しかけてくる外国人がいるなと思ってよく顔を見たらBowieだった、とあまりにも平沢らしいエピソードだが、Bowieはかなりお気に召したらしく、その時(1980年ごろ)の日本での記者会見で、最近気に入ってるミュージシャンにP-modelを挙げ、坂本龍一との対談でもP-modelをイチオシするぐらいに、彼の頭には強烈な存在として残ったようだ。

XTCの前座をやった際にも気に入られたらしく、TwitterでアンディーがファンからのリプライでP-modelを覚えてる?と聞かれて、「Kameari Pop(P-modelの曲)...なんて素晴しい曲だ」と返す一幕もあり、今の電子音と壮大なオケという作風が確立する前から、その才能は遺憾なく発揮されていたのだ。

 

⑥その昔はこんなこともしていたよ

 

MANDRAKE - 飾り窓の出来事

 

 

収録アルバム「unreleased materials vol.1」

 

自らのギター奏法を「ロバートフィリップ(キングクリムゾンのギタリスト)のカット&ペースト」と言いきってしまうぐらい、彼はプログレに傾倒していたのだが、P-modelのチープなシンセパンクサウンドでデビューする前は、ほぼ同じ面子で本格的なプログレッシブロックを演奏していたのだ。

泣かず飛ばずでちゃんとしたレコーディングはなく、後年公式がリリースする間では簡単には聞くことが出来なかったが、プログレ愛好者の間では平沢をここから知る人も多いぐらいに、ハイクオリティーの作品を作っている。

ようやくレーベルが注目した頃には既に行き詰まりを感じていた彼は、ポストパンク、ニューウェーブのサウンドに平然と鞍替えしてしまう。the policeも驚くぐらいの激変っぷりからは、平沢はずっと昔から達観した変人の「平沢」だったのだと窺い知ることが出来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上で作風ごとにざっと説明したが、彼の名曲、代表曲の選出は「ポールマッカートニーの名曲ランキング」を作るぐらいの悪手なのは間違いなく、一曲ハマったら無間地獄のごとく珠玉の作品が現れてくるので、聞く際には摂取量にご注意ください。

 

さて、彼の近況だが、久々に生ドラムを迎え入れたライブも無事盛況に終わり、そのライブの記念に、「Twitterで9万フォロワーが付いた記念の五日間のライブ(それが生ドラムのライブ)で、スネアを9万回叩くことに成功したら無料配布する9万音符からなる曲」(ごめん、何言ってるか分からないのは自分もおんなじだ)が発表され、更にはライブ作品の編集のようなもろもろの雑務を終えたら新譜制作に取りかかると宣言しており、再び創作期の真っ盛りとなるだろう。

おそらく、ツイッターでは明らかに早すぎる作曲過程が垂れ流しにされるので、サービス精神旺盛な新曲のヒント(ただし、一ミリも音が想像できない)も含めて楽しむのが吉とであろう。

他にもハッシュタグで募った質問に答える(ただしツンデレ)ストリーミング配信などなど、積極的に活動している様はとても還暦を越えた人間には思えないぐらいなので、この記事から少しでも平沢に興味を持った人は是非にフォローしよう。

ついでに言うと、平沢のファン「馬の骨」のアカウントを数人フォローしてると、意味不明な平沢のツイートを解読して日本語に直してくれるから、ファンとの交流もやるのが良いぞ。マジで。日本語で書かれた平沢の言葉が我々の知ってる日本語になるのはそれ自体が一つの創作活動。

日本一過小評価された監督、北野武ーソナチネを例に

※今回は前置きが長いので、映画のレビューだけを見たい方は飛ばしてください。

 

マルハバ。

 

「アウトレイジ 最終章」が絶賛上映中である。僕も先週劇場に足を運んだが、前作の「アウトレイジ ビヨンド」では減退したハイスピードのバイオレンス、爆発する狂気が元に戻り、三部作の完結編として有終の美を飾っていてくれた。

 

それでも、一作目の「アウトレイジ」にあった、凄まじいスピードで、なおかつ話が進んでいくにつれて加速度的に繰り広げられていく暴力の応酬、目まぐるしく移り変わる抗争の展開、時おり差し込まれる芸術的なカメラワーク、そう言ったものが欠けていて、普通の映画としては充分なレベルの完成度でも、アウトレイジ・サーガとしてはやや拍子抜けな終わりを迎えた。

 

二作目では西田敏行や塩見省三などの頭ひとつ飛び出たレベルのヤクザっぷり、加瀬亮や中尾彬などにひどい役柄を与える俳優遊びと、一作目にはなかった新要素(加瀬亮は一作目の延長線だが)があったが、三作目では大杉漣、ピエール瀧など、なんとなく想像がつくキャラの俳優が初登場だったりと、本作だけの新要素もなく、身も蓋もないことを言ってしまうと一作目の下位互換と呼べなくもなかった。

 

しかし、そう言っていると「ここまで酷評するのは贅沢すぎるぞ」と牽制されるかもしれない。

実際のところ、酷評する割には見終わってからずっとネットに上がってるインタビューや前作の名場面を漁ってるので、なんだかんだと言いつつも、自分は三部作全部を楽しんではいる。

 

つまり、「キタノ映画」としてのハードルがあまりにも高いため、普通に考えて良い映画であるにも関わらず、旧来のファンなどには今回の作品はウケが悪いのだ。

更に言ってしまうと、申し分のないヤクザ映画の「アウトレイジ」ですら、昔からのファンには「魂を売った」、「売名」などとすこぶる評判が悪い(とか言って僕の初めて見たキタノ映画が「アウトレイジ」なのは内緒でオネガイします)。

それがどういうことかというと、まずは「世界のキタノ」という称号の説明に遡る必要がある。

 

実は、「世界のキタノ」と呼称されている「世界」とはハリウッドのことではない。ヨーロッパである。実際、ヴェネツィア国際映画祭では金獅子賞を獲得し、カンヌにも出品はしているが、アメリカの方向での売り込みはあまりなされていない。

「「世界のキタノ」と言っても、少し海外で受けたのを日本のマスコミが大げさに取り立ててやいのやいの言ってるだけで、ハリウッドにまでは受け入れられなかっただけだ」と言ってしまったらそれまでだが、北野武本人がハリウッドの分業体制をあまり良く思っていないことを度々明言しており、そしてなにより、作風がアメリカの明快な娯楽作品ではなく、ヨーロッパのアート気質なものに近い。

そんな彼が「アウトレイジ」というアートもクソもないゴロツキが睨みきかせて暴言を吐きまくるどエンタメを作ったのだ。それは受けが悪くても当然だ、とは思う(僕はアリと思うが)。

 

さて、タイトルについてだが、「アウトレイジ」のイメージがどこまで世間に浸透しているのかは分からないが、北野武を映画監督として評価する映画ファンは(少なくとも自分の周りには)少ない。映画好き=洋画好きのような風潮があるのは事実だが、それだとなおさら初期のキタノ映画は洋画的な雰囲気をたたえた作品が多いので、ファンにならないほうがおかしいぐらいにドンピシャである。

やはり、芸人が映画を作っているという認識、日本のメディアが欧米で活躍する日本人を過度に褒め立てている傾向が彼の映画の評価を狂わせているところがあるのではないか。

この記事では、アウトレイジの是非ではなく、従来の「キタノ映画」の魅力を、自他共に最高傑作と認める「ソナチネ」を例に取り上げて伝えようと思う。

 

 

 

「ソナチネ」(1993年)

 

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この画像だけで、なんとなく非商業的な香りを覚える方もいるのでは



 

あらすじ

北島組傘下の村川組組長の村川(ビートたけし)は北島組幹部の高橋(矢島健一)の命の元、沖縄の阿南組と抗争している友好組織の中松組への手助けを命ぜられ、子分のケン(寺島進)や片桐(大杉漣)を引き連れて石垣島へと向かう。到着早々阿南組に襲撃され、一行は用意された隠れ家へと身を潜める。手助けといっても出て行けば襲われるので特にすることもなく、村川は近くの浜辺で男に襲われていた女、幸(国舞亜矢)をチンピラから救ったのを機に交流を深め、ケンは阿南組の良二(勝村政信)と意気投合し、退屈な時間を浜辺で潰し、一夏を過ごすのだが、そこにも殺しの手は迫り……

 

…これだけ読んで心が惹かれるだろうか? びっくりするぐらいありきたりである。

実はここまでフツーな話を用いるのはキタノ作品では結構あるあるで、彼の強みはシナリオそのものの独自性ではなく、いかに普通の話を再構築するかというところにある。

そんな彼の再構築の特異性を見ていこう。

 

 

徹底的なミニマリズム

 これはキタノ映画のほぼ全般に言える特徴だが、彼の映画は最小限の事実で最大限の情報量を語る。

以下の動画で語っているが、彼は将棋を引き合いに出して、解説ではいちいち全過程を説明しなくとも、対局後の駒の配置を見ればそれまでの戦いがどういうものだったか分かるし、映画もそういう絵を取るべきだと主張している。商業映画にありがちな、「黒幕が主人公の見えないところでほくそ笑む」、「主人公の死角で敵が暗躍している(志村、後ろーっ!みたいなノリのあれね)」といった伏線はなく、いきなりズバッ、である。そこでようやく観客には伏せられていた真の人間関係が判明するのだ。

そういうわけで、キタノ映画は話が大して進まないので地味だな、と思っていると一気に展開が変わる。不親切な演出なのは確かだが、そのサッと流れが変わる様は見ものである。

また、その劇的な演出を活用しているのもソナチネ、キタノ映画の強みなのだが、それは後で述べよう。

 

 

「キタノブルー」と色彩感覚

「キタノブルー」はキタノ映画に触れたことがない人でも聞いたことがある人は多いだろう。

 


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これはソナチネがとりわけ暗いので、他のキタノ映画だともう少し明るいのだが、見てのとおり、青は青でも、暗い

どちらかというとキタノブルーというものは、夏の空や海などの生き生きとした「陽」を表す方の青ではなく、「静脈」、「青白い顔」といった、静謐で「」を表す方の青である。

それを象徴するかのように、キタノブルーの炸裂するシーンでは良く殺人が行われる(全てのシーンでではないが)。夜明け前のような、浮き世場馴れしたほんのりとした明るさは此岸と彼岸を繋ぐ、生死の境目の世界にいることを匂わせる。

まさにミニマムかつマキシマムな情報量を有した演出技法である。色彩を演出に用いるのはゴダールなどにも見られるテクニックではあるため、一種のオマージュとも言えるが、固有名詞を産み出すほどの絶妙な青みは、彼オリジナルの演出方法と言っていいだろう。

 

劇的な演出

前述した二つの特徴を更に展開して言うと、本作ソナチネはとりわけ強烈な演出が目立つ。

一番明確なのはエレベーターの銃撃戦だが、作品屈指の名場面なので、ここは別の狙撃シーンを貼っておこう。

 

 

何事もなく堂々と歩み寄ってきた殺し屋が村川の子分のケンを殺して悠然と歩いていく一部始終を、なんら装飾的な演出をすることもなく、淡々と映すだけのとんでもないシーンだが、ここでも彼のミニマリズム、色彩感覚は縦横無尽に駆使されている。

この映画は、ヤクザ映画であるはずだが、阿南組からの襲撃以降、隠れ家と近くの浜辺で「ぼくのなつやすみ」よろしく子供じみた遊びを延々とやっている。間延びがどうだとかそんなレベルをはるかに越した中盤の終焉がこのシーンなのである。

キタノブルーとは違い、石垣島の空と海という生の源である「」を背景に、真っ当な大人になりそびれた、ある意味子供から成長することに失敗したヤクザたちが一見するとノスタルジックな、実のところは現実逃避の歪な「」の空間で遊んでいる。そこに前触れもなく殺し屋が侵入し、一筋の「」とともに「」がもたらされる。

この動画だけだと不可解なまでに動かないケンと村川のリアクションに疑問を持つかもしれないが、本編をここまで見てきた人間はほのぼのとした遊びに長々と興じてきた彼らと同様に突然の死の香りに対処できない。間延びと見せかけて、実は中盤の蛇足のような日常シーンは全て伏線だったのである。全く不親切だが、逆に言うとここまで伏線と思わせることはないミニマムさが、突然の死に強烈なインパクトを与える。

他にも全編で活躍する久石譲の音楽がここぞという山場で霧散消失したり、急激な変化、強烈な対比を示す演出によってキタノ作品はトラウマ級のインパクトをわれわれに植え付ける。

 

虚無的な死生観

これこそ「芸人がカメラ持ってる」という認識を打ち砕く決定打だと思うのだが、彼の作品、特にソナチネまでの、バイク事故で生死の間をさ迷う体験をするまでのキタノ映画における死生観は、ぎょっとするぐらいにニヒルで醒めている。

どうにも死は、恐怖で登場人物らを支配するのではなく、ヤクザという職業柄、距離感が近すぎて壁を作れる存在ではなくなっているようなのだ。

 

劇中で、村川が幸に向かって「あんまり死ぬの怖がってるとな、死にたくなっちゃうんだ」と表面的には矛盾した発言をしているが、まさに初期キタノ作品を象徴するセリフだと思う。

彼らは誰かを殺せば殺すほど、自分も死の側に引き摺りこまられていることを自覚し、恐怖を覚えるのだが、あまりにもグッと近寄ったせいで、逆にその暗がりに魅了されている。どす黒く汚れた人間である自分をも包み込むことができる暗黒の「死」。

 

フロイトでいうエロスとタナトスの構造がぴたっと収まる。人は生に対する欲望を持っている一方で、死に対しても積極的な姿勢を心のどこかでは持っている。

死にたくないけど、死にたい

圧倒的な矛盾が、赤と青、綺麗な青と薄暗い青、幼児性と死といった対比の中でグロテスクなまでに鮮やかに描き出される。それに彼らの殺し合いは隠れながらではなく、棒立ちで真顔で延々と撃ち続ける。ハリウッドなら真っ先に当たるか、主人公補正で全部当たらないの二択レベルの無謀さである。そんな細々としたところから、村川の、ひいては北野武の死生観が見て取れるようだ。

彼はこの映画に対して「死を通して生を描こうとした」と説明しているが、主人公の死に向かって生き続ける様は決して命の尊さだとかそういうものを語るのではなく、死をすぐ隣にただ存在するものとして物語る。キタノ映画ではよく主人公のビートたけしが自殺にしろ他殺にしろ死を迎えて終わるが、それは信賞必罰や死刑論者のような「殺したのだから死ぬべき」というような単純な話ではなく、「あまりにも死に近づいた生者は死者と紙一重」というメッセージを有しているように思えるのだ。

言葉にするとどうにもまだるっこいが、このニヒルな死生観を彼はわずかなセリフと研ぎ澄まされた演出で表現する。このセンスたるや、日本人監督が珍しく海外でウケたとかそういう次元の話ではない。

ゴダール、黒澤明、タランティーノなどが彼の映画を褒め称えているが、当然というべきだろう。

 

 

 

以上でソナチネをメインとしたキタノ映画の素晴らしさのプレゼンはおしまいである。

ちなみに本作はそれまで作ってきたキタノ作品があまりにもアート気質で、業界人以外からは黙殺されてしまい、最後にやりたいようにやってそれで売れなかったら映画業は終わりにしようという気持ちで作っただけあって、全く客が入らなかった。

その後、バイク事故で死にかけたのを境に作風が生に近寄るのだが、事故直前は、プライベートな問題に加え、映画が世間的に認められないことへの鬱憤で一種の鬱状態になっていたらしく、この「ソナチネ」を作っていた頃、主人公の村川と同じく、北野武自身もかなり死に取り憑かれていたのではないかと思うと、ゾッとしたものがある。

言わば逃亡に近い石垣島ロケでの楽しそうなメイキング映像を見ていると、歪な「生」とは当時の北野自身を取り巻く状況のことだったのかもしれない。

最後は筆が滑りすぎてやや演説じみた文になってしまったが、これを読んだ方が少しでも彼の映画に対するイメージをアップデートしてくれたら幸いである。

 

 

 

プラネットマジックをもう一度 〜N'夙川BOYSと私の話

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好きになった先輩が好きだって言ってた、だから知ったかぶりをした。

N'夙川BOYS。

なにせ知ったかぶりなもんだからその時の私はナギガワボーイズと読んだかもしれない。なんとなく先輩のンッ?と言った顔を覚えている。

 

N'夙川BOYSは西宮の狂犬ことKING BROTHERSの須方真之介(夙川ではシンノスケBOYS)、小山雅史(夙川ではマーヤLOVE)と現役トップモデルリンダdada嬢により太陽の塔の下で結成されたバンド。

その日の気分によって担当パートが変わるざっくり編成、その特異なビジュアル、グリコのおまけ菓子程度の演奏力で映画版モテキ(2012年)に本人役で出演、劇中歌「物語はちと不安定」を提供。でも意外とルーツはJoy Divisionのdisorder。そんなバンドである。あとはYouTube開いてください。

https://youtu.be/DBddnWs4-Ag

 

さて知ったかぶりをしてしまった15歳の私に話は戻る。当時高校一年生の私は見事に高校デビューに失敗し、先述の先輩くらいしか友達ができなかった。

そんな先輩の好きなもの、無碍にできるはずがない!と真っ先にYouTubeを開いた。

多分ナギガワボーイズで検索したからサジェストに助けられた。選んだ曲は先述「物語はちと不安定」。

まだしぶとい桜は枝にしがみついていた季節だったろうか、とにかく夙川と私はかくして出会った。

 

夏が来る頃にはすっかりそのヤバそうなバンドに夢中になっていた。

旧譜を聴きあさりシュクガワという読み方も覚えついでに阪急神戸線の駅名も覚え、彼らにのめり込むことでクラスで誰からも相手にされない自分を忘れられた。

やがてヴィレヴァンも特設コーナーを設けタワレコも旧譜を推し始め待ちに待ったメジャー1stフルアルバムが発売されたのは秋だった。

そしてその秋私は初めて彼らを生で見た。

ある大学の学祭だった。やや肌寒い日の野外ステージだったが生マーヤのジャケットの下はやっぱり裸だったし生シンノスケはほんとにステージ骨組みに登ってるし生リンダは鬼のように可愛かった。生マーヤはステージを取り囲む半円状の庇に登り「土星の輪!!!」なんて言いながら駆けていた。怒られるだろ。

だがそんなことはどうだっていい。確かに目の前で繰り広げられているのは昼間同じステージに立ったであろう学生さんバンドよりも拙いであろう演奏だ。

だけど泣けて泣けて仕方なかった。涙で歪んだ視界が極彩色でキラキラと瞬いたのをよく覚えている。

正直泣くほど大好きで追っかけていたとかそういうわけではない。だけどなんだかバカみたいな熱量でバカみたいな大人をやって、全てを肯定した上でステージに立っている彼らに、救われたような気すらしたのだ。

 

翌春、先輩にも振られ、相変わらずクラスでも浮きっぱなしの私は、シングルリリース記念のワンマンライブにすがるように足を運んだ。

このシングルというのが少し曲者で、ピアノパートとベースパートが夙川メンバー外で録られている。何が言いたいかというと、あの下手クソだった夙川ではないということだ。

ライブでもサポートメンバーがそのパートを当てたり、よりクオリティの高いものとなっていた。

またファン層も少し変化していた。いわゆる日曜邦ロックタグ全盛時代だった。案の定モッシュが起きていた。マーヤはおどけながら注意をしていた。どんくさい私は蹴っ飛ばされながら、それでもあの日見たキラキラをもう一度見たくて、ステージから目を離さなかった。きっとまたあの日のキラキラにまた救われたかったのだ。

 

翌年以降もベスト版のリリースが決まり、ドラマタイアップが決まり、セカンドも出た。まさに絶好調だ。

一方でそのタイアップ曲では何度も何度も「向こうさんからOKが出ないから」リテイクをしたらしい。いちリスナーの観点からしても、彼らを取り巻く何かが変わっていってるのは明白だった。

その後も数度ライブに足を運んだが、こんなにも楽しいしこんなにもかっこいいのにはなんら変わりないのに、私はどうしても奥歯に引っかかったような何かが拭えなかったし、たとえもう変わってしまったのは私のほうだとしても煮え切らない思いがあった。

 

自らを肯定できなかったのは彼らも同じだったのかもしれない。N'夙川BOYSは2015年の冬、無期限の活動休止を宣言した。

推測だけでものを喋ってはいけないのは重々承知だが、これじゃあまりにも胸の痛い結末だ。

どうしようもなく不安定な15歳の私に、土星の輪っかに腰掛けながら救いの手を差し伸べてくれたのは紛れもなく彼らだ。未だに私の心のどこかでは、あの肌寒い日に初めて浴びたバカみたいに愛おしい極彩色のロックンロールが鳴り響いている。

 

あの日の彼らがいつかまた帰ってきますように、そしてまたあの日の私のようなティーンを救うことがありますように。

 

by beshichan

究極のサイケデリア 『A Rainbow In Curved Air / Terry Riley』

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今日紹介するTerry Riley のA Rainbow In Curved Air は普段紹介する音楽とは随分ジャンルが違うが、ジャンルの括りを忘れて聴いて見れば別にそう変わらないようにぼくは思う。
サイケロック、ポストロックやシューゲイザー、エレクトロニカが好きな方には気に入ってもらえるかもしれない。


テリーライリーは俗に現代音楽、前衛音楽、ミニマルミュージックなどと呼ばれる類の音楽を作る作曲家だ。
このジャンルは抽象画に近い性質を持つことが多い。

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タイマーの音と、奏者が動く音、演奏環境での生活音しか鳴らされない無音の音楽『4分33秒』や、639年かけて演奏されて今尚演奏が継続中の曲『Organ2/ASAP』を作曲したジョンケージが現代音楽家として有名だろう。

退屈だ、ふざけている、難しい、気を衒っただけのわざとらしい代物だなどと形容され、大衆に広く親しまれることは少ない。しかしこの抽象的音楽は本当に一部のフリークにしか響くことのないものなのだろうか?
ぼくはそう思わない。
作り手の個人的な感情を極限まで押し殺した無機質な音の集積に思えるこのジャンルだが、心を空にして耳を澄ませばそれは主観的に広がる感情の渦なのだ。支配されているとも支配しているともつかない不思議な感覚で純粋に音を楽しむことができる。
深く考える必要がない音楽、深く考えることのできない音楽。
理論的にあれこれ分析し始めるとたちまち詰まらなくなってしまう。頭をまっさらにして聴けば、音で身体を満タンにすることができる。そうすれば感じられるし、出来がいい人の脳では音が像を結ばれるかもしれない。
このジャンルの音楽の抽象性はどこまでも自然、楽しみ方は至って原始的だとぼくは思っている。


Ai Rainbow In Curved Air を書いたテリーライリーは広いジャンルに影響を与えた。
The Who のピートタウンゼントはテリーライリーの作品に深く影響を受けて曲を書き、その名曲にライリーの名を冠した。あのBaba O‘Riley である。

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www.youtube.com Won’t Get Fooled AgainもまたThe Who がライリーの影響を受け作った曲だ。 

 

 

A Rainbow In Curved Air はオーバーダビングを多用した電子オルガンやハープシコード、タブラッカ(中東音楽において使われる太鼓)により演奏されている。初めてオーバーダビングを大々的に用いたこの作品は、その後の音楽の可能性を広げた。デヴィッドボウイもライリーからの影響を公言している。
虹色の音が織りなす多層世界は我々の見たことのないものを展開する。この曲は60年代後半、当時隆盛を極めたサイケデリックミュージックの金字塔でもあるだろう。

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この緻密に広がる虹色の多層世界は、綿密に計算し尽くされた設計図の上に成るものではなくライリーの即興演奏に依るところが大きい。

ちなみに、即興演奏に興味を持ち始めてからというものジャズが明らかに人生にとっての重要な要素であったとライリーは述べている。特に彼が傾倒したジャズミュージシャンの一人はビルエヴァンスだ。ライリーのA Rainbow In Curved Air がリリースされる4年前にエヴァンスはオーバーダビングピアノで演奏した作品を発表している。ビルエヴァンスがテリーライリーに与えたインスピレーションは即興演奏のみに留まらない。

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A Rainbow In Curved Air においてもう一つ魅力的な点をあげるとすればそのエスニックでな音色だ。エスニックはサイケに色を加える大切な要素の一つだ。ライリーは大学時代、Pandit Pran Nath に音楽を学んだ。
彼はインドの古典声楽の大物で、ミニマルミュージックの祖であるラモンテヤングにも音楽を教えていた。
ライリーは彼をきっかけに東洋の音楽に触れ大いに影響を受け、実際インドに赴いて現地で音楽を学ぶこともしたそうだ。

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ちなみにA Rainbow In Curved Air が演奏、発表された時期に彼はたくさんの楽曲を同じような手法で完成させている。しかし数多くあるそれらの中でもこの曲はとりわけ鮮やかで、楽しく、壮大だ。

不思議な音色は反復されながら徐々に広がっていき、幾つにも増えて飛び回り、鳴き、唸る。音は重なり合い流れ、うねりながら姿を変え何もかもを埋め尽くす。まるで万華鏡の中に放り込まれたような感覚に陥るのだ。きっとLSDの効果はこんな風なんだろうと思いながらぼくはいつもこの曲を聴いている。
歪んだ空にかかる虹…サイケだ。

短くない曲である上に情報量が多い故に聴き終えたあと頭が明らかに疲弊するから毎日聴こうと言う気になるとは言い難い。しかし気分さえ整えばこの曲は明らかに僕にとって完璧で、それを聴き終えた時は気分もまた完璧になるのだ。

open.spotify.com

by Merah

女子にこそ聴いてほしいジョージハリスン

 

ビートルズの中でも「ジョンレノン、ポールマッカートニー、リンゴスター……あと1人誰だっけ?」と言われてしまうクワイエット・ビートルことジョージハリスン。(イケメン)

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ビートルズの特集など大体気難しそうな文ばかりでビートルズを知りたい現代女子的にはとっつきづらさMAX。
ジョージハリスンはイケメンで且つ女子もうっとりなたくさんのラブソングを書いているというのになかなか見向きもされない。
感情が動かされ、共感できる意見が欲しい…それが女心。(?)
うんちくやロジカルな音楽分析もいいが、たまにはこんな記事もよいではないか。
というわけで一応女である私もちこ(21歳)が現代女子に向けてジョージハリスンのアルバムや曲をオススメしたいと思う。

 

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『George Harrison』
まずはジョージハリスンを初めて聴く方にもおすすめなこれ。これを聴いてからすっかりジョージハリスンの虜になった。
このアルバムはとにかくジャケのイメージとぴったりで、陽の光にまどろみながら聴けたらどんなに幸せだろうかと思う。
全体から感じるやわらかさ、優しさ、ノスタルジックさは数ある作品の中でもいっそう素晴らしいものになっている。
愛はすべての人にやってくると歌うイケメンジョージはイデアの塊。

 

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『Extra Texture』
邦題はジョージハリスン帝国。邦題がやばいからといって聴くのをやめないでほしい。

「Can't Stop Thinking About You」をまず聴いてほしい。感情を吐露させるようにジョージが優しいメロディとともにこんなことを歌っている。

「ぼくって 君のことしか考えられない
君のことばかり想っているのさ
君なしじゃ とても生きてはいけない
君のことばかり想っているのさ

夜が訪れてきても
ぼくは白昼夢を見ているような気分さ
君に会えないと ぼくは気が狂いそう
君への想いを どうすることもできないんだ

朝がやってきて
眩しい陽射しを投げかけても
君がいなければ なんの意味もない
君への想いをどうすることもできないんだ」

最高傑作とも言える素敵な歌詞。涙腺が思わず緩んでしまうようなこんなバラードがジョージハリスン帝国に実は潜んでいるのだ。

 

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『Livling In the Material World』
ジャケからただようこの禍々しいイメージは聴けば取り払われるはず。
「Try Some, Buy Some」ではどうしても恋ができない青年の前に運命の人が現れるというロマンチックな曲だ。
「ぼくって1人が似合いと思い始めた頃
君を見つけ目が覚めたんだ
それまで便利なことさえあれど
ぼくの心に訴えるものなどなにもなかった
でも君への愛に生き、君もぼくを、そう
ぼくを容れてくれたあの日からは一切が変わった 」
運命の人に出会ってから一変し、悲しみから幸福へと変わるメロディは歌詞ととてもリンクしている。

「That Is All」ではただただきみに愛を尽くして、ただそれだけに生きたい&伝えたい愛の化身ジョージが優しく歌っている。

 

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『Thirty Three & 1/3』
ダサジャケやないか!と侮るなかれ、私が1番推したいメロウなうっとりアルバムだ。

「Beautiful Girl」は一目惚れソングで、
「ぼくに笑いかけるあの子の笑顔をみたとき
ぼくにはあの子しかいないと感じた
あの娘がそっと触れただけで
僕が今まで待ち望んでいた相手だと感じたんだ」ととにかく相手を可愛い美しいとロマンチックでスロウなメロディと共に褒め倒している。

そして一番聴いてほしい曲、「Learning How to Love You」。これもラブソングで歌詞の内容も良いがAOR的なメロディにとにかく心揺さぶられる。これを聴けば必ずジョージのピュアでロマンチックな世界に浸れるはず。


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ジョージハリスンの書く曲は実に念密に作り込まれている。まさに大器晩成型であり、たくさんのヒット曲というよりは一曲一曲に集中する職人だ。
ポールのような天才的な才能や、ジョンのようなロックン・ロールスターといったような派手さもない。
ジョージの魅力はギターや歌のうまさといった技術面ではなく、哲学と悟りの末に行き着いた境地で醸し出される柔らかな佇まいと色気と艶やかさである。
ジョージの作品は精神の問題だからこそ端的で論理的に解釈するよりジョージのイデアな世界に浸り、楽しむのがより作品の真理に近づくのではないだろうか……と熱く語ってしまったが、とにかくみんなも上記したジョージハリスンソングをデート中聴かせてくれる素敵な人とめぐりあって欲しい。

 

もちこ